栗原さんのトーク時間はだいたい正味30分~40分くらいでしたが、歴史的なことも絡めた興味深い話をたくさん聞くことができて楽しかったです。
栗原英雄ステージトーク in 旧毛利家本邸・南側庭園
2022年04月23日(土)13時30分頃~14時30分頃
- 栗原英雄さん(俳優)
- 柴原直樹さん(毛利博物館館長)
- 船本佳子さん(FMわっしょい)
オープニング
船本さんから「俳優の栗原英雄さんです!」と紹介されると会場からは一斉に大きな拍手が沸き起こりました。それと同時に上手側(客席から見て右側)から颯爽と少し早歩きでやって来た栗さん。そのままインタビューゾーンの中央を通り過ぎてシレっと下手側へと歩いて行ってしまいそうになるというお茶目さを発揮(笑)。
「ありゃ、どこ行っちゃうのよww」みたいな笑いが拍手と一緒にあちこちから漏れて和やかな雰囲気になりました。こういう盛り上げ方、さすがだなぁと。船本さんから「こんな一面があったなんて」とツッコミを入れられると、ちょっといたずらっ子のように照れながら「はい、真面目にやってます」とニンマリする栗さんが可愛かったw。
この日の栗原さんの出で立ちは、紺色のスーツに濃紺のネクタイ姿。ダンディーな色気は後方席の私のほうにもムンムン伝わってまいりました。あと思ったのが、ちょっと毛量が増えたんじゃ!?と(笑)。特に顔廻りがけっこう濃い印象だったんだけど…気のせいかもしれないww。ちなみにトークショー中はマスク無しのお姿だったので、素の栗原さんの表情が見えて嬉しかったです。
トークは本邸1階のちょうど中央部分で行われました(階段があるところには「栗原英雄さんステージトーク」と書かれた看板が置いてあった)。栗さんの座ってる姿はピシッとしていて…佇まいが完全に”武士”っっ!!って感じだった。和やかな語り口調なのに姿勢は常にシャンとしてるところが素晴らしいと思います。
まずは大河ドラマの話題。「鎌倉殿、面白いですよね!!」と船本さんが客席に同意を求めると大きな拍手が沸き起こり(私はうっすら拍手ww)その光景を見て栗原さん嬉しそうにしてたんだけど、そのすぐあとに「先週の放送後に色々とおりを受けまして」と自己ツッコミwww。
そう、ちょうどこのトークイベントが行われる前に放送されたのが…佐藤浩市さんが演じる上総広常が大きな悲劇を迎えてしまう回だったんですよね。浩市さんがとてもチャーミングで親しみやすさもあるキャラを演じられていたので、残酷な形で消されてしまった展開はなかなかに衝撃的でした。
栗さんが言ってた「お叱り」というのは、頼朝に「広常を消すべし」と助言していたのが大江広元だったことを差していたのだと思われます(汗)。だけど私が見かけた限りだと非難の集中砲火は大江さんより頼朝さんに向いてた気が…。洋ちゃん熱演しただけなのに気の毒だなぁなんてw。頼朝という人物は冷酷な面が多かったというのはよく聞いてた話なので、私は「彼ならやりかねない」と思いながら見たかな。
自虐気味になってた栗原さんのコメントを聞いた船本さんは即座に「鎌倉時代はああいったことはよく起こっていたらしいというのはみんな分かってますよ」とフォロー。その言葉に安堵したのか表情を緩めながら会場に向かって
「武衛たち、わかってるよね?」
と身を乗り出してた栗さんにめっちゃ萌えた(笑)。『鎌倉殿~』ファンは広常が勘違いしたまま使っていた”武衛”と呼ばれているみたいですねw。私個人は今年の大河はファンになれそうもないので心の中で「武衛の仲間入りできないかも…すまん、栗さん!」と謝っておりました(笑)。
この後は、船本さんによる質疑応答のような形でトークが展開していきました。
『真田丸』での真田信伊役と、『鎌倉殿の13人』での大江広元役について
6年前に放送された大河ドラマ『真田丸』で主人公の信繁の叔父上・真田信伊を演じられている栗原さん。この時は武家出身の役でしたが、今回の『鎌倉殿~』の大江広元は公家出身の役ということになります。ということで、演じていて気付いたことや共通点はありますか?というような質問がありました。
これに対して、二つの人物の共通点として「先頭に立つ人物ではなくナンバー2として支える立場にあるということです」と回答されていました。さらに船本さんから「どちらの方が素に近いですか?」と質問されると…ちょっと苦笑いしながら「三谷さんはどちらにも似てると思ってキャスティングしたんだと思います」と答えてた栗原さん。
「僕はどちらかというと人をサポートする側のほうが好きで性に合ってる。そこを三谷さんは見抜いたんだと思います」
という趣旨のコメントをされていたのがとても印象的でした。あぁ、だから栗原さんはトップの立ち位置にいなくてもついつい注目してしまうような存在感を放たれているんだろうなと納得。人を支えることが好きと言える人は本当に素敵だと思います。
大江広元と毛利家との繋がりについて
続いては毛利博物館館長さんから大江氏と毛利氏の関係についての説明がありました。この説明をするために館長の柴原さんが事前に関係図を書いた資料を用意してくださっていたのですが…系図が細かくて前方の人にしか見えないということに気が付かれる事態にww。
イベントが終わった後に博物館を見学していたらその時のパネルが置いてありました。これを見ると…前方の人も読めるか分からないレベルの細かい字だったw。せっかく時間かけて作ってくださったのに、ちょっと残念でしたね~~。でも、説明するために一所懸命作られたのは伝わってきましたよ。
ちなみにバツが悪そうにされていた柴原さんを見た栗原さんは「視力検査図みたいですよね」とニンマリ優しくツッコミを入れられてました(笑)。ということで、ボード説明は諦めて栗さんの手元にあった”カンペ”を参考にしての解説ということにw。
大江広元には子供がたくさんいたとのこと。
長男は寒河江(後に承久の乱で失脚してしまいます)、次男は鎌倉から東北の長井、三男は資料があまりないらしく省略(汗)、そして広元の後を継いだ四男・季光が現在の神奈川県厚木市の”毛利”庄を相続したそうです。ここから「毛利家」が発生したと言われているんですね。厚木に”毛利”の始まりがあったというのは今回初めて知りました。
毛利季光は後に北条義時のひ孫と対立し敗北したことで、一旦は毛利家が没落してしまったそう(三浦一族が滅ぼされてしまった宝治合戦。季光の妻の実家が三浦氏だったのでそちらについてしまったが故の悲劇とのこと)。
この戦で毛利氏はほぼ壊滅状態になってしまいましたが、唯一越後の国にいた季光の四男・経光の家系のみが生き残ったそうです。最初に広島(安芸国吉田庄)に入ったのは経光の四男・時親という人物(安芸毛利の祖)で、ここから約200年後に中国地方の覇者となった毛利元就を輩出。
関ケ原の合戦に敗北した後は長州へ移ることになり、ここから長州藩毛利氏が誕生。第13代長州藩主の敬親は明治維新を成功に導いた立役者の一人となりました。
この話を聞いていた栗原さんが「はい、先生!」と突然挙手。ちょっとビックリした様子の柴原先生が可愛かったw。栗さんが注目したのは、毛利氏と”四男”との繋がり。
「大江広元の四男・季光、その息子の四男がその後を継いで、さらにまた四男が継いで…、今の殿様(毛利報公会会長の毛利元敦さん)も四男ですよね!?すごいです!!」
いやはや本当ですよ!!大江氏の代から”四男”繋がりがここまで多い家も珍しいのではないでしょうか。毛利の”四男”パワー、おそるべしです。柴原さんも栗原さんの鋭い指摘に思わずビックリして笑ってしまっていたほど。司会の船本さんは「すごいリサーチ力ですね!」と舌を巻かれていました(←栗さん的には自分よりも毛利家の四男パワーのほうがすごいと思っている節が大きかったけどw)。
大江広元から毛利氏に受け継がれていると感じることについての質問も。これに対して栗原さん曰く
「庭園が残っているということ自体がまさにそれだと思います」
とのこと。毛利の血筋が脈々と今日まで続いているということに生きる力を感じると語っていらっしゃいました。
たしかに、美しく手入れされた素晴らしい庭園に癒されました。一見の価値ありだと思います。大江氏から続く毛利氏が生き抜いてきた証だと思って眺めるとまた新たな感動があるかもしれません。
大江広元の企画展で資料を見た感想は
トークショーの前に15名の選ばれし精鋭が栗原さんと柴原館長と一緒に大江広元の資料が展示してある企画が行われていました。新聞記事を見る限り、栗さん、かなり熱心に見入っていた様子がうかがえますね。そんな姿を間近で見られた方たちが羨ましい。
そこで一番印象に残ったものはと尋ねられると、広元が使用したと伝わる「馬上の鞭」を挙げていらっしゃいました。「僕、乗馬やってるんで」とちょっと嬉しそうな表情をされていたのが印象的だったな。『真田丸』の撮影のために練習されていましたが、今ではすっかり趣味になられたようですよね。
私もトークが終わった後に見たのですが、かなり綺麗な状態で保管されていてビックリしました。一応「伝」の域は脱していないようですが、おそらく本物なんじゃないかなと思います。
ここで柴原館長さんからの解説。
大江家は元々は学問の家柄で、鎌倉幕府では広元は行政官僚の仕事(政所の別当)に就いていたそうです。それゆえに、役人・学者というイメージが強いのですが、鎌倉時代の資料として読まれている「吾妻鏡」には、広元が戦争についてのアドバイスをしていたという趣旨の記述が多いらしい。それゆえ、戦国時代には”広元は外交や調略といった戦を主流とした物騒なことを得意とした人物”として捉えられていたようです(汗)。
また、広元の肖像画には扇子など雅なものではなく「兵法」の巻物を持っている姿が描かれているのも特徴的だとのこと。そこからも、彼がひ弱な人物ではなく御家人たちも驚くような策略を言い放つような人物であることが伺えるそう。
なるほどね~~。つまり、栗さんのお芝居はそれに沿って構築されていくんだなと。これは今後が楽しみになりました。この解説を聞いた栗原さんも、演技プランが間違いじゃなかったと分かったようで「ちょっと救われました」と胸をなでおろしていましたw。
ちなみに、大江広元が使ったと伝わる鞭を入れる袋を作ったのは毛利元就だったそうです。こちらも一緒に展示されていましたが、とても綺麗な状態で残っていて驚きました。毛利氏がいかに大江氏を敬っていたのかが垣間見える気がします。
長くなってきたので続きは次のページにて。