こちらの記事は、GW鹿児島『西郷どん』旅の記録の続きになります。
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薩摩といえば、島津家です。大河ドラマ『西郷どん』でも度々登場してきます。特に島津斉彬や島津久光は西郷に多大な影響をもたらし、深くかかわった人物でもあります。
照国神社を中心にご紹介していこうと思います。
『西郷どん』紀行 -島津家-
照国神社
島津家第28代当主・島津斉彬を「照国大明神」として祀っている照国神社です。天皇からその名を与えられたというくらい、斉彬の功績は多くの人に称えられていたようですね。
神社の入り口には高さ約20メートル近くもある大鳥居がそびえています。昭和4年に完成したとのことで、戦災にも耐えたようですね(本殿は西南戦争・太平洋戦争の戦火で焼けてしまい、現在は3代目に当たります)。老朽化対策で2007年に大掛かりな補修工事が行われたそう。
また、神社の境内に入るとひときわ目を惹く変わった『木』が飛び込んできます。
斉彬が存命だった頃に植樹されたイヌマキの木で、樹齢は170年以上だと言われています。名前が市民の公募から決められたそうで「斉鶴」とつけられました。鶴が羽を広げているような美しい形に目を奪われました😃。
照国神社横にある探勝園には巨大な島津斉彬公の銅像があります。
広大な広場の中でひときわ存在感を放っていた斉彬公!さすがです😃。
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さらに奥へ行くと、国父・島津久光公の銅像もあります。
綺麗な整備された庭の奥に建っていて…なんか、心なしか斉彬よりも良い待遇っぽかったかも!?西郷とも対立したこともあったため気難しい人だったと言われることも多いようですが、幕末の動乱期に薩摩を支えたのは久光さんだったんですよね。国父として大きな役割を果たした人でもあります。
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最後にお目見えしたのが斉彬の跡を継いだ第29代当主島津忠義の銅像です。「西郷どん」に登場したばかりの頃は茂久と呼ばれていました。斉彬の遺言により、その娘と結婚して藩主の座に就きました(斉彬の息子・哲丸は仮養子という形となっていましたが、その後夭折してしまったため忠義が正式に藩主となりました)。国父である父・久光と共に幕末の動乱期にあった薩摩を支え発展させることに力を注ぎました。
明治に入ってからは鹿児島の知事や貴族院で活躍。律儀な性格で死ぬまで久光の教えを守ってマゲを切らなかったのだとか!
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アクセス
鳥居の近くに駐車場があります。
鶴丸城跡
鹿児島城は、1601年に初代薩摩藩主となった島津家久によって建てられました。島津家の家紋が『鶴丸の紋』であったことにちなんで別名を「鶴丸城」といい、現在もその呼び名で親しまれているそうです。島津家の居城としても使われた平城でしたが、明治6年に火事で本丸が消失してしまったそうで…現在は城壁と堀だけが残るのみです😢。
現在、城跡の敷地内には鹿児島の歴史資料を展示している黎明館が建っています。
鶴丸城は西南戦争の折の激戦地にもなったそうで、現在も城壁には生々しい弾痕が多数残されていてちょっとゾクッとさせられました…。
このあたりは御楼門部があった場所とされていますが、ボコボコ凹んでいるように見えるのはほぼ西南戦争の弾痕跡だと言われています。
しかも、よーーく見てみると…銃弾らしき鉛が食い込んでいる穴がいくつかある😱😱!!いかに激しい戦いだったかというのが偲ばれます…。
アクセス
福昌寺跡
福昌寺は島津家代々の菩提寺で、かつては大きな本堂が建てられていたそうですが、明治2年に発布された廃仏毀釈によって廃寺となり・・・現在は墓地が残るのみとなってしまいました。
敷地内には島津家当主の第6代師久・氏久から第28代当主の斉彬までとその一族の墓があります。
訪れた時には二つの門が閉まっていたので入っていいものかどうか躊躇したのですが😅、鍵が開くようになっていたので中に入ってお参りさせていただきました(基本的にいつも閉まっているようですが自由に中に入れることになっているようです)。
中に入ってまず驚いたのは、その敷地の広さと荘厳な雰囲気です。さすが島津の当主の皆さんが眠っていらっしゃるだけのことはある・・・といった「圧」を感じました。
本当にめちゃめちゃ広大な敷地なので、まず最初にこちらの案内図を見てからお参りすることを強くお勧めします。これを頭に入れておかないと、誰がどこに眠っているのか見当が付きません😅(クリックすると大きくなります)。
今回は時間の関係で、「西郷どん」に関わりのある島津の皆様のみのお参りとなりました。次の機会があれば今度はゆっくりお参りしたいです。
島津斉興と由羅の方のお墓
奥にあるお墓が斉興公で、手前にあるお墓が由羅の方になります。「西郷どん」では鹿賀丈史さんが斉興を、小柳ルミ子さんが由羅を演じられました。
島津斉彬と英姫のお墓
右側のお墓が斉彬公で、左側のお墓が奥さんの英姫になります。「西郷どん」では斉彬を渡辺謙さんが、その妻を戸田菜穂さんが演じられてました(ドラマ名では喜久)。
ちなみに、二人のお墓から少し離れたところに藩主候補となった哲丸(斉彬の側室の子)のお墓もありました。大河でも斉彬存命のうちの最後の息子として登場しましたが、わずか3歳で夭折してしまったそうです…。
島津久光のお墓(クリックすると大きくなります)
どの島津の殿様よりもひときわ大きな存在感を放っていたのが、国父・島津久光のお墓です。鳥居もあり、久光の墓の周りには大きな灯篭が理路整然とびっしり並んでいて圧倒されました。この当時の久光の影響力の大きさがうかがい知れます。
久光のお墓だけは案内を見なくてもすぐに分かると思います。
なお、久光の息子で第29代当主の忠義は墓地の裏山・常安峰に眠っているそうです。当日チェック不足で忠義さんの場所までお参りに行くことができませんでした。ごめんなさい。
アクセス
駐車場がないので、車の場合は近くのパーキングに停めて徒歩で訪れることをお勧めします。
島津家と関わりの深い場所についてのご紹介でした。
参考 仙巌園レポは以下を参照してください
次回は南洲墓地についてご紹介します。
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