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NHK大河ドラマ『青天を衝け』第38回ネタバレ感想 栄一の嫡男

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いよいよ12月に突入。『青天を衝け』のラストも近づいてきました。先日は2度目の飛鳥山にある大河ドラマ館へも行くことができ、明治編の衣装など見ごたえのある展示を楽しんできました。興味がある方はレポを覗いてみてください。

さて、第38回のオープニングには久しぶりにあの方が登場いたしました!

「こんばんは、徳川家康です」

いやぁ、お待ちしておりましたよ、北大路欣也さんの家康様!!まさか幕末明治の大河ドラマで家康さんがこんなに待ち焦がれることになる存在になるとは思いもしませんでした(笑)。威厳とユーモア、最高です。

徳川の世が終わってから20年とちょっとが経過し日本は近代国家への道を着実に歩んでいきましたが…、ここにきて日本古来の伝統を再評価する流れが出てきたようです。ということで、大日本帝国憲法発布と同じ年、上野にて徳川家康が江戸に入ってから300年に当たることを祝う「東京開市三百年祭」が開かれたとのこと。「呼ばれたようだ!」と家康さんが嬉しそうに席を立つシーンがなんとも斬新で可愛く面白かったですw。

以下、第38回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

『青天を衝け』第38回 栄一の嫡男

2021年12月05日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、草彅剛、高良健吾、泉澤祐希、大島優子、板垣李光人、山崎育三郎、福士誠治、ほか

あらすじ

栄一(吉沢 亮)や旧幕臣たちは、徳川家康の江戸入城三百年の節目を祝う「東京開市三百年祭」を開催。昭武(板垣李光人)らと再会し、旧交を温める。栄一の気がかりは、汚名を被ったまま静岡でひっそりと暮らす慶喜(草彅 剛)のことだった。一方、渋沢家では、息子・篤二(泉澤祐希)が、跡継ぎの重責から逃れるかのようにある過ちを犯してしまう。栄一は、篤二を退学させ謹慎を命じる。そして、明治27年夏、日清戦争が起こる。

<公式HPより引用>

明治22年(1889年)の「東京開市三百年祭」を企画したのはかつての徳川の旧幕臣たちでした。栄一のほかにも、栗本鋤雲や前島密、ドラマにはついに出てきませんでしたが(これが本当に残念)箱館戦争を戦った榎本武揚といった錚々たる面々が加わっていたようです。

猪飼様の「快なり!!」の掛け声に栄一たちも呼応するシーンは胸アツでしたねぇ。烈公さんの口癖だったし、慶喜さんもそれを受け継いでた。でもこの場にその主役の二人がいないことが惜しまれます。慶喜は存命でしたが、幕末の混乱の責任を感じて参加を見送ったらしい。
後日、高松凌雲が「渋沢君が来られなかったことを残念がっていた」と病床にある美賀子に報告。すると「御前(慶喜)が、渋沢を見出したのは平岡の慧眼だったと呟いている」と傍にいた平岡の妻のやすに微笑みかけていました。栄一は慶喜一家のことも常に気にかけて色々とアドバイスを送っていたようで、美賀子もそれに深く感謝していました。

みんなそれぞれに幕府時代のことを懐かしく語り合っている。そのなかで、道半ばにして命を絶たれてしまった小栗上野介井伊掃部頭の功績をもっと認めてもいいはずだという話も出ていました。特に小栗さんはあの時代の中で誰よりも早く近代国家の道筋を描き実現させようとしてた人でしたからねぇ…。もっと長く生きていたら日本はどう進化を遂げていたのかと思ってしまいます。

あと、猪飼が「先日、烈公の肖像画を見てきたけどすごく似ていた!」と興奮気味に語ってたのが微笑ましくてよかった(笑)。

斉昭を紹介する時によく出てくるあの肖像画のことですよね。そんなに本人と似ているのか!と私も興味が湧きました(笑)。

しばらくすると、すっかり大人っぽくなった徳川昭武がやって来ました。懐かしさのあまり「民部公子様!!」とテンションが上がる栄一たち。そんな彼らに昭武は少し複雑な表情を浮かべながら

「もう公子ではない。齢も37だ」

と衝撃の一言を告げる昭武!!え!!!もう37歳になられたのですか…!!いや、それにしては、若々しすぎるぞ(笑)。どんなエイジングケアをされているのか気になるではないですかww。まぁ、栄一も50でもあの若々しさなので驚くんですが(笑)。

昭武は1876年にフィラデルフィア万国博覧会の御用掛として渡米し、その後にフランスへ再留学を果たしました。留学中に欧州各国を周り、ロンドンには半年在住していたとのこと。そして、1881年に日本に帰国しました。

栄一は昭武からフランス滞在中に世話になったエラールヴィレット将軍がまだ元気に存命していると聞いて嬉しそうな表情を浮かべていました。
ちなみに、私個人としては…、水戸の菊地平八郎さんはどうしているのかが気になってしまう。昭武が海外へ行っている間、彼はどうしていたのだろうか。詳しい解説はどこにもない人物なので色々と気になってしまいます。元気でいてほしいよ…。

田辺と栗本は大日本帝国憲法の発布による恩赦がきっかけで「上野に西郷隆盛の像が立つらしい」とニマニマしながら噂をしていましたが、昭武は「そのような話はもうよい」と制するのでした。今はもう過去のあれやこれやを振り返るときじゃないってことですかね。

暫くすると、すっかり年老いた永井尚志高松凌雲の手を借りて会場にやって来た。かなりのご年齢にお見受けしましたが…この時74歳だったようです。現代の70代は若々しく見える方が多いのであの老けっぷりにはちょっと驚いてしまう(汗)。
永井が息災だったことに栄一をはじめ参加していた面々は嬉しそうに集まってきた。特に箱館まで一緒に戦っていた喜作は胸を熱くしている様子。

そんな彼らを前にテンションが上がった永井は少し枯れた声で「徳川万歳」と両手を掲げる。それに呼応して、参加者全員が「徳川万歳」を連呼。

みんな本当に嬉しそうないい顔をしていて…それを見ただけでもなんだかグッとくるものがありましたね。色々あったけど、みんなそれぞれの場所で頑張っているのです。

しかし、慶喜だけは時代から取り残されたように静かに身を潜めるように静岡に籠ったまま。息子のは父が趣味に没頭する姿を見ながらも、人を描こうとしないことに疑問を感じていたようでした。

厚は慶喜の側室が産んだ子供で四男でしたが、兄が早くに亡くなってしまったため長男として育てられていました。
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栄一は多くの人を前に日本の今後の在り方について演説会を開いていました。

あまりドラマでは触れられていませんでしたが、この頃栄一は銀行や海運だけでなく、紡績、製紙、肥料、建築、食品、鉄道、鉱山・・・などなど、ビックリするほど多くの産業の立ち上げに着手していました。 本当に寝る暇あったのか!??と心配になるレベルの仕事量だよなぁ。ホテルや学校にも関わっていたらしいし、生涯で関わった会社は500を超えると言われてますから…、どれだけ彼が精力的に働いていたのかがわかる。どんな時間の使い方してたんだろう!?

さらに前回運営危機に遭っていた養育院ですが、バザーの開催で基金を集め盛り返したらしい。後妻の兼子は慈善会の会長を務めていたということで、そのあたりの準備も抜かりなくやってくれていました。彼女はやはり優秀な女性だったのですね。

その頃、渋沢家の家族にも様々な変化がありました。

栄一の二女の琴子は大蔵省の阪谷芳郎と結婚。阪谷芳郎は、栄一が一橋家家臣になったばかりの頃に岡山(井原)で出会い親交を深めた阪谷朗蘆の息子に当たります。

くにが産んだ文子は尾高次郎と結婚が決まっていました。次郎は尾高惇忠の次男に当たります。ちなみに、文子と次郎の間に生まれた六男は『青天を衝け』のOPテーマ曲指揮者を担当されている尾高忠明さんのお父様です。つまり、忠明さんは栄一の曽孫ということになりますね。
ここで惇忠さんに登場してほしかったんだけど…、時間の関係でサラリとナレーションだけで終わっちゃったのが残念…。

そして、文子の母で栄一の妾だったくには…、文子の結婚が決まったことで自分の役目の終わりを感じ新たな人生を始めるべく渋沢家を出る決意をしました。歌子たちは渋沢家に尽くしてくれたくにに心からの感謝を伝えました。常に日陰の身としての立場を貫き、自ら渋沢家の輪に入ることをしなかったくにさんは立派な女性だったと思います。これからは、日向の道を堂々と自分の足で歩いて充実した人生を送ってほしい。
文子はそんな母に「寂しくなります…」と不安そうな顔を見せましたが、篤二もまた何も言葉をかけないながらも寂し気な表情を浮かべていたのが印象的でした。

千代亡き後、くには彼にとって母と同じような存在だったのかもしれません。

でも、渋沢家を出ていくときのくにさんは、とてもスッキリした清々しい表情を浮かべていましたね。どうぞお元気で…。

大内くには渋沢家を出た後、栄一の長年の友人であった織田完之のもとに後妻として嫁いだそうです。
ちなみに、ドラマには出てきませんでしたがくには文子を産んだ2年後に二女の照子を出産しています。照子は尾高惇忠の妹の子供(千代の姉)の大川平三郎に嫁ぎました。

篤二はその後、歌子夫婦に親代わりとして育てられます。中等科を卒業した後は栄一の後継者としてパーティに招かれることも多くなり期待を寄せられていましたが、篤二としてはそれを大きなプレッシャーと感じているようでした…。

その頃、東京養育院の慈善会バザーが盛大に開かれていました。栄一と一緒にやって来た井上馨もその盛況っぷりに目を細めていました。
そういえば、パリ万博のセットで使われていた日本の国旗が一時出張に出たという話を聞いたのですが、このバザーのシーンを見て「これか」と納得しましたw。

すると、兼子と暗黙の目線を交わした栄一が大きな声で「私はこの扇とレースを50円で買おう」と宣言する。1円が約2万円だった時代だそうですから…今の価値でいうと栄一はポンと100万円を寄付したことになります。
これを聞いた福地たちは「渋沢がそんなに出したなら我々も出さないわけにいかない」と次々と財布のひもを緩めていく。この策に一番乗ってしまっていたのが井上馨さんw。立派な器のコーナーに行くと「すべて買い取ろう」とドヤ顔しております。それに驚いたご婦人が言いにくそうに告げたお値段は「200円」。つまり、現在の価値でいうと400万円。これにはさすがにビビっていた井上さんでしたが、言っちゃった手前後には引けずお支払いすることになってましたね(笑)。

これは渋沢栄一の「泥棒袋」と呼ばれるエピソードのひとつだったとのことです。自分が率先して高い金額を出すことで、後に続く人がそれ以上の額を出さざるを得ないような空気を作ったらしい。こういうところも賢いなぁと思います。今回も兼子と示し合わせたんでしょうね。
バザーはこの日以外にもよく行われたらしく、数千万の資金が集まって運営にも余裕ができたようでした。

バザーには川村恵十郎やすもやって来ました。川村は近々内閣を辞職して日光東照宮へ奉仕しに行きたいと考えているらしい。栄一は「御前様も喜びましょう」とその選択を応援しますが、やすは少し暗い顔をしながら「今の午前様を平岡が見たらどう思うでしょう…」と呟きました。今の時代から取り残されたかのように、汚名を残したままひっそり暮らす慶喜のことを想うとみんなの胸は痛む…。

やすの呟きを聞いた栄一は「もし御前様や平岡様であればどんなおかしろい日本を作ったでしょうな…」と懐かしむように想いを馳せている。円四郎がもしも存命だったら…と私もそう思ってしまいしんみりしちゃいましたよ…。
やすはそんな栄一に忘れないでいてくれてありがとうと頭を下げて感謝するのでした。川村の中にも、栄一の中にも、円四郎は永遠に生き続ける存在だと思います(涙)。

ところが同じころ篤二はどうしていたかというと…、悪友たちに囲まれて放蕩三昧な状況となっている(汗)。彼らは篤二があまりにもすごい人たちに囲まれた生活で窮屈な想いをしていることなど露知らずのようで、盛んに「お前の家族はすごい人ぞろいだぞ」とプレッシャーをかけまくり(苦笑)。偉大な渋沢栄一の後を継ぐのはおまえしかいない!と散々持ち上げられる篤二は複雑な笑みを浮かべていました。

彼自身は、栄一の仕事に対してあまり興味がないように見える。それだけになおさら苦しい立場なんだろうねぇ。こうして悪友たちとお座敷遊びすることで気を紛らわせているのかもしれない。それにしても、篤二を演じる泉澤くんの唄、渋くてよかったな~。以前トーク番組でお年寄りのいる前でカラオケするのが好きだったみたいなエピソード話してたの思い出した。

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お気に入りの芸者と一緒に帰る途中の篤二を、鬼の形相の姉・歌子が待ち伏せしていましたw。歌子は篤二の親代わりやってましたから、毎晩のように遊びに耽っている弟を見て気が気じゃなかったと思います。家に戻ると滾々と篤二に説教する歌子でしたが、その中で触れた栄一への一言に思わず吹いたww。

「あれほどの仕事をなさった父様なら、品行上の欠点があっても、時代の通弊として致仕方がありません」

あぁ…やっぱり、この頃の渋沢栄一の女子遊びは加速していたのですね(苦笑)。たぶん、栄一は兼子のことは千代ほど”愛する女性”という目で見れなかったんだろうね。彼女は外向きの仕事もできるものだから、なおさらビジネスパートナーとしての存在に思えたのかもしれない。
もしかしたら、千代を失った喪失感を他の女性に求めてしまったというのもあったんじゃないだろうか。歌子たちもなんとなくそれを察してたから許してしまった、みたいなのもあったのでは。

とはいえ、相当な数の女遊びをなさっていてお子さんもたくさん作ったようですから…、現代だったらもう大炎上して表歩けないパターンですよ、これは(苦笑)。そのあたりのところをどう描くのかと気になっていましたが、こうして歌子の「父様の品行上の欠点」という言葉で流したのは巧い演出だったなと思いました(笑)。まぁ、兼子さんもしっかり何人もお子さん産んでいたようですからね。

歌子は無気力そうな篤二に必死に「この家はあなたが継いでいくのですよ!」と自覚を持たせようとしましたが、あまり響いていない様子でしたね。言われれば言われるほど篤二の気持ちは萎えているようにも感じる。

明治23年(1890年)、国会開設に向けての衆議院議員総選挙と貴族院の任命式が行われる。この当時、選挙権を与えられていたのは全人口のたった1パーセントくらいに過ぎなかったらしく、貴族院に至っては選挙無しで地位の高い人たちが選ばれていきました。
栄一はその過程で貴族院に選ばれてしまったようですが、「私は一生政治には関わらないと決めているのに勝手に選ばれて困ったものだ」と渋い顔をしてすぐに辞退しようと考えていました。

忙しい栄一が渋沢家に帰ってきたこのタイミングで、歌子と穂積は篤二の素行について手を焼いていることを報告しました。一度環境を変えたほうがいいと考えた二人は、篤二を熊本の第五高等中学校に入れたらどうかと提案する。

夏目漱石は、1896年~1900年までの間に熊本の第五高等学校で英語教師をしていました。篤二が入る数年後ということになりますね。将来内閣総理大臣となる池田勇人や佐藤栄作もこの学校の出身者だそうです。

歌子たちの提案を受けた栄一は、篤二を熊本の学校に入れることを承認。篤二は黙ってそれを受け入れていたようでしたが、隔離されているような気持になっていたかもしれない。仲の良かった腹違いの弟たちと遊んでいる時はあんなに生き生きした表情をしてるのにね…。この環境を変えることはかえって篤二を追い詰める結果になるのではという不安が過ってしまう。

その頃、慶喜は凌雲から美賀子の病状について衝撃の事実を聞かされていました。美賀子は「乳がん」に侵されてしまっていたのです…。東京のしっかりした病院で手術を受ければ助かるかもしれないと聞いた慶喜は、苦しげな表情を浮かべながら「どうか、よろしく頼む」と頭を下げました。
側室も多くいたとはいえ、慶喜にとって美賀子は苦難の時代を共に乗り越えた大事なパートナー。離れ離れになるのは寂しいと思っただろうけど、望みがあるなら手術をして元気になってほしいと凌雲に託したのだろうな…。

凌雲と話した後、慶喜は子供たちと楽しそうに遊ぶ美賀子のもとに足を向ける。

落ちていた花をそっと美賀子の手に渡してやる慶喜。それを嬉しそうに受け取る美賀子。でも、二人の間には何も言葉は交わされない。目と目で通じ合い、お互いの想いを感じ取っているようで…その姿がとても儚く切なかったです(涙)。おそらくこの時美賀子は自分の命がもう長くないことを悟ったのだと思う…。

その頃、栄一は水道整備の工事が着手されることになったため東京府会の会議に出席していました。栄一自身も「東京水道会社」 を立ち上げる予定だったようですが、この頃はまだ承認が下りず東京市が担当することになっていたとのこと。

問題となったのは水道管を国産にするか舶来品にするかということでした。栄一は品質が良く安全性の高い舶来品の水道管を使うことを強く主張しましたが、鉄工業者たちは自分たちのほうが外国より良いものを作っていると大反論して会議が大揉めになってしまう。
するとその最中に栄一に緊急の知らせが入り退席せざるを得ない状況となってしまった。あぁ…、これは非常にタイミング悪かったですね(汗)。業者たちは栄一がいなくなった後さらに「外国贔屓の渋沢」と罵りまくり。大きな遺恨を残す形となってしまった。

で、その急な知らせというのが…、篤二の一件。渋沢家では「ワタクシ ダイシッサク トクジ」という電報が届いたということで大騒ぎになっている。熊本からの知らせによれば、なんと篤二は女を連れて大阪に脱走したというのです(苦笑)。これにはさすがの穂積も怒りを隠し切れない。
兼子は栄一に相談したほうがいいと告げましたが、歌子は「私たち兄弟の失策です」として忙しい父に迷惑をかけたくない一心から自分たちだけで解決しようと決意してしまう。歌子は責任感強すぎるんだよなぁ…。千代から父の偉業を教えられた上で厳しく躾されてた影響でしょう。

ところが、やはり手におえないと判断した穂積は琴子の夫の阪谷と一緒に栄一のもとを訪れ篤二のことを報告する。栄一が呼び出されたのはこの時だったわけです(時系列がちょっと分かりづらかったけど 汗)。

 篤二の不始末は自分たちの責任でもあると頭を下げる二人でしたが、栄一はそれを咎めることなくむしろ、迷惑をかけてしまっていることを申し訳なく想っていたようでした。

栄一は、熊本の学校から退学させて謹慎させることを決めました。それに対して阪谷は飛鳥山にいる篤二と会うかどうか尋ねるのですが…「私は会わないほうがいいだろう」とそれを拒んでしまう。自分の責任を感じているものの、会ってしまえば情が湧いて甘やかしてしまうことになりかねないことを危惧してのことでした。
ただなぁ…、篤二は親の愛に飢えている節があるから、ここはやはりちゃんと向かい合ってやったほうがいいような気がしてしまう。この時の選択を栄一は後に後悔するかもしれない…。

歌子や琴子から父の言いつけを聞かされた篤二。自分と会うつもりがないことを知ると寂しそうに俯いてしまう。そんな弟に琴子は「お父様はあなたを愛しているから面会をお許しにならなかったのよ」と懸命に言い聞かせていましたが、おそらくその言葉は彼には響いていなかったんじゃないかな…。

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そんな暗い空気の中、血洗島から野菜を担いだていがやって来て「兄さまはいつの間にか、もっと大きなものの父様になってしまったのかもしれない」と笑い飛ばしていました。ていさんんが来てくれたことで場の空気も少し和みましたよね。ナイスタイミング!市太郎さんとも幸せにやれてるようだしよかった。

その翌日、篤二は謹慎のためていと一緒に血洗島へ行くことになりました。ぼんやりと庭を眺める篤二に、ていは幼い頃の栄一のエピソードを楽しそうに聞かせてやる。そういえば行方不明になったことあったなぁと私も懐かしく思い出しちゃったよ。あの時の栄一は実に無邪気で自由だった。
自分の知らなかった父の違う側面を知った篤二は、ふと母の千代が倒れた時のことが浮かんできたようでポツリポツリと語り始める。

当時まだ10歳だった篤二は、突然母が重篤な状態になったことを受け止められず戸惑っていました。その時栄一が彼を抱きしめ「庭の草むしりをしよう」と誘い出していた。あの時、徳を積めば千代の病気も回復すると言い含めていたっけ…。
篤二はそのことを信じて、父と一緒に熱い日差しが差し込む庭で必死に雑草を取っていました。あの時無言で千代の回復を祈りながら草むしりをしていた父の顔を篤二は鮮明に覚えていたのです。

しかし、その願いもむなしく千代はそれからすぐに命を落としてしまった。その哀しみは今でも彼の胸の中に焼き付いていましたが、その一方で、忙しかった父と一緒に草むしりができた時間に喜びも感じていたという篤二。あの幼い時にそんな複雑な感情を抱えてしまった彼のことを思うとなんだかとても切なくなってしまう…。「今でも夏は苦手です」という言葉がとても印象深かった。

ていは篤二の心の孤独を敏感に感じ取り、何とか元気づけてやりたいと藍葉作りを一緒にやるよう誘いました。ていの夫の市太郎も篤二のことを気にかけてくれている。そんな雰囲気の中で篤二も少し気が紛れたのか楽しそうにしていましたね。彼にはこういう田舎の生活のほうが合っているのかもしれない…。
しかし、やがて謹慎期間は終わりを迎え篤二は東京へ戻って華族の娘である敦子と結婚することが決まりました。これでよかったのだろうかと思わずにはいられなかったなぁ(汗)。

明治25年(1892年)、栄一は伊達宗城の病気見舞いの帰りに馬車に乗っていたところを突然暴漢に襲われてしまいました。

ドラマでは1人の男が襲ったことになっていましたが、実際には2人の男に襲われたそうです。栄一は馬車の窓ガラスが破られその破片で怪我を負ってしまったそうな。これは撮影では危険だと判断されてあのようなシーンになったのかなと思いました。

駆けつけた警察官たちに囲まれた暴漢の姿を見て栄一は何かに気が付いたようでした。
この知らせを受けた喜作が慌てて栄一のもとを訪れますが、当の本人は意外と冷静でホッとした様子。この数か月前に大隈重信が爆弾で襲われた事件があったことからそれと同じ目に遭ったのではないかと相当心配していたのです。

大隈重信は条約改正の折に「大審院に外国人判事を置く」ことを条件に入れたことに反発する人物の雇った暴漢に爆弾で襲われ、右足を失うことになってしまいました。驚くことに、その時の右足は今もホルマリン漬けされて大隈家の菩提寺に保管されているらしい…(震)。

栄一は暴漢が本気で自分を殺しに来ていなかったことから、彼らを雇ったのは舶来品の水道管を主張したことに抗議する連中だと察していました。つまり、脅しにかかられたということです。
この時代は未だに千代の命を奪ったコレラも蔓延していたことから、栄一はなんとしても品質のいい舶来品の水道管を設置して水をきれいにしたいという想いが強かった。

「過去の過ちは、忘れてはならない」

でもなかなかその気持ちが通じないことに苛立ちも感じているように見える…。過去の過ちを振り返れば、自分たちの利益のことを優先することなど重要ではないはずなんですよね。でもこういうことって今も続いてるだろうし…、人は学ばない生き物でもあるのかなぁと思ってしまいます。

結局水道工事は、鉄管の問題が続出しまくり6年も遅れることになったそう。日本の水道管を主張していた業者たちの不正も明らかにされ、舶来品を主張していた栄一が正しかったことが証明されました。

ちなみに、後に暴漢のうちの一人は出所後に栄一のもとに謝罪に訪れたそうです。これに感銘を受けた栄一はその人物を許し、資金まで渡したというエピソードが残っているのだとか。なんという懐の深さ!!なかなかそんな人いないと思う。

その一方で、慶喜のもとには哀しい知らせが届いていました。東京の家達邸(徳川宗家)で療養していた美賀子が治療の甲斐なく世を去ってしまったのです。美賀子が映し出された写真を暗室で見つめる慶喜の痛々しい表情が哀しかった…。

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美賀子の訃報を聞いた栄一たちは慶喜の心情を想い心を痛めていました。栄一は、いっそのこと慶喜が東京の方へ出てきたほうがいいのではないかと提案。喜作も、慶喜の息子の厚が男爵となって東京に住んでいたことからこれに賛成しました。
それに対して凌雲は、このところ慶喜の体調も不安定なことから東京に来てほしいと思っているものの、未だに朝敵になったことを強く意識して動こうとしないことに頭を悩ませていると告げました。

それにしても、細田君が演じる高松凌雲先生、年数がたつごとにどんどんセクスィーで素敵な男性に成長していますよね!ちょっとドキリとしてしまうほどカッコいい。

慶喜の心中を聞いた喜作は、慶喜は一度も朝廷と戦うつもりは一度もなかったではないかと憤慨する。幕末の混乱期、一番近くでその時の慶喜をずっと見てきた彼には痛いほどそれがわかるでしょうね…。栄一もパリから帰国後に慶喜と再会した時、語らずともその胸の内の苦悩と葛藤を敏感に感じ取っていました。
慶喜が東京へ出ていけないのは、勝海舟が御一新の時の自分の功績をひっくり返されることを恐れてそれを許さなかったからだという噂もあったそうですね。

栄一は世間の風当たりが未だに慶喜に冷たいことを実感し嘆く。

「俺が気に入らないのは、御前様が幕府の終わりになさった数々のご偉業まで、まるでなかったかのように消し去られ押し込められそこに別の輩がどんどん現れて、己こそが日本を作ったという顔をしていることだ」

福地も栄一の意見に大いに賛同します。この時改めて慶喜の功績をもっと世に広めていかなければという使命感のようなものが彼らの中に広がっていきました。

それからしばらくして、日清戦争が勃発。町は日本優勢の報道を聞いて熱狂し沸き立っている。その歴史が昭和にも繰り返されることになったのかと…なんだかとても複雑な気持ちで見てしまった。

栄一は東京商業会議所および関東銀行界代表として広島に大本営を置いていた明治天皇の元に赴いた帰り、静岡の慶喜の元を訪問。慶喜は栄一が訪ねてきてくれたことを素直に喜びますが、天皇自らが陣を強いたことに驚きを隠せない様子でした。
それに対して栄一は「戦争はあえて望むものではありませんが、陛下の元で挙国一致の事に当たるのは、東湖先生の尊王攘夷の志そのもの」と答えます。あぁ、そうか、そういう考えに至るわけか。しかし慶喜はあまりその話に耳を傾けたくないように見える。

栄一は、これから先は自分たちの次の世代が気張る時代になると慶喜に伝える。しかし、その前にどうしてもやり遂げなければならないことがあると告げた栄一。

「あなた様のことを、世に知らしめたい」

その言葉に慶喜は大いに戸惑ってしまいますが、栄一は構わずそのための手筈について熱く語りだします。そのうえで、どうにかして慶喜の功績を世に広めていきたいとさらに熱を上げて説得。
しかし慶喜は全くその気がないようで「話すことは何もない」と退けてしまう。自分はどう解釈されても一向に構わないと諦めきった様子の慶喜。それでも栄一は「諦めません」と力強く答え一歩も引く様子を見せませんでした。慶喜を想う栄一の気持ちは誰よりも熱い。いつかそれが慶喜の心に響いてくれればいいのだけれど…。

明治28年(1895年)3月、日清戦争は日本の勝利で終結します。町が勝利に沸いて大騒ぎしているなかを、篤二が無表情で唄を口ずさみながらぼんやりと通り過ぎていく。彼にはただ空しい光景としか写っていなかったのでしょう。何やらその後を想うと不吉な予感すらします(汗)。

そんなある日、栄一は伊藤博文のもとを訪れます。戦争中に栄一が寝込んでいたことを心配する伊藤。渋沢栄一はその当時皮膚がんを患って切除手術を受けたそうです。
栄一は「色んな所にガタが出てくる、もうすっかり年寄りだ」と苦笑いしていましたが…、見た目がとても若々しくとても50代半ばとは思えないのでなんとも信ぴょう性がw。それよか伊藤さんのほうがだいぶ見た目的に貫禄つきましたよね。あの千円札の写真にかなり近づいてる。ということは、彼の運命ももうすぐ…。

日清戦争では2億という大金を使ってしまったらしく、これから日本の産業を盛り上げていかなければと気合を入れている伊藤。それに対して栄一は国家予算以上のお金を使ってしまったことの帳尻をどう合わせるのかと怪訝な顔をしましたが、伊藤は清から賠償金を取る案を考えていたようでした。その交渉をまとめた伊藤はやはりすごい人物だと思う。

日清戦争に勝利したことで、日本もようやく一等国の仲間入りができそうだと期待を膨らませる伊藤。その言葉を聞いて栄一のテンションが一気に上がります。彼は日本の発展のことよりも、慶喜が東京へ戻れるタイミングがきたことに気持ちが盛り上がっていたのです。
予想外のことを切り出された伊藤は「おぬし、まだ昔の主を慕っているのか」と驚くとともに呆れ顔w。それでも栄一は「御前様無くして今の日本はありませんよ!!」と熱く慶喜への想いをぶつけるのでした。これには伊藤さんも参った状態だったでしょうねw。

それから2年後の明治30年(1897年)、約30年ぶりに本格的に東京へ戻ってきました(母の見舞いで一度東京へ来たことはあったらしい)。朝廷や徳川宗家の強い働き掛けもあっての帰還の実現でした。

新しく巣鴨に邸宅を構えた慶喜の元を、栄一と兼子、篤二とその妻の敦子が祝いに訪れている。篤二は慶喜の持参した趣味の数々に大いに興味を抱いた様子でしたね。そんな彼に慶喜も優しく声をかけていました。

栄一は慶喜が東京へ戻ったことに感無量といった表情を浮かべています。でも、息子とは未だにまともに向き合っているようには見えない…。今回は比較的抑え気味だった篤二ですが、次週はこれまでの鬱憤んが爆発してしまうようでとても気がかりです(汗)。

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【吉沢亮 (出演), 高良健吾 (出演) 形式 Blu-ray】
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