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山口県の史跡と風景巡り~歴史の香り漂う名所~ 国宝・瑠璃光寺五重塔(山口市)

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2022年10月~2023年10月まで主人の転勤に伴い山口県で暮らしました。おそらく世間的にはあまり知名度が高くないところだと思いますが(当時は私も下関のフグくらいしか印象がなかった 苦笑)、約1年暮らした中で様々な名所にも訪れたので「山口県」の美しい場所についていくつかの記事に分けてご紹介したいと思います。

今回取り上げるのは、山口県山口市の香山公園内にある『国宝・瑠璃光寺五重塔』です。

2024年1月、アメリカの超有名紙であるニューヨーク・タイムズが発表した”2024年に行くべき52カ所”のなかに、北米、パリに次いで3番目に日本から唯一まさかの山口市が選出されたことが大きな話題となりました。

特に「非の打ちどころ無し」と大絶賛された名所が”国宝・瑠璃光寺五重塔”だそうです。

この写真は2023年3月撮影時のものですが、まさに”日本特有の美”が凝縮された光景で初めて見た時は息を飲んだものでした。

おそらくニューヨークタイムズの記者さんはこの光景を見て感動し「是非推したい」とプッシュして下さったのだと思うのですが…、当の国宝五重塔は2023年4月から2025年秋までの予定で大改修工事の真っただ中にあるというタイミングの悪さ(汗)。

令和の大改修では、これまで風雨にさらされ傷み始めてきた檜皮葺(ひわだぶき)屋根の全面葺き替えが行われています。全体をシートで覆っての大掛かりな改修を行うのは約70年ぶりとのこと。

私が住んでいた時期に感じたのが、山口市…というか山口県じたいがあまり観光事業に積極的ではない印象があって(←あくまでも個人的感想)。それだけに、まさかアメリカの超有名メディアに”世界で3番目に行ったほうがいい場所”と紹介されるなんて予想外すぎてビビったんじゃないかと(苦笑)。ただ、そのことが逆にタイムズ紙の中で「過度な観光客に悩まされることが少ないコンパクトな都市」と評価されたのかもしれません。

でもこの記事が発表されたことで、山口市も少し本気を出してきたかも!?
せっかく遠方から訪れてくれた観光客をガッカリさせてはならないと瑠璃光寺では大改修中ならではの特別企画をいくつか打ち出してくれているようです。

詳しい企画内容については公式ページを参照。

個人的には、五重塔内に安置されていた「秘仏」の特別展示というのが非常に気になります。改修中のみしか見れない貴重でありがたいものとのことなので、仏像に興味がある方はぜひチェックしてみてください(2024年現在の情報)。

山口県の史跡と風景巡りレポ -国宝・瑠璃光寺五重塔-

五重塔と大内氏の関係

現在の香山公園敷地内に五重塔が建てられたのは、室町時代の中期1442年頃。周防・長門の守護だった25代・大内義弘の菩提を弔うため、弟で26代目大内家当主の盛見により造営されました(ここにはかつて、義弘が建立した香積寺がありました)。

大内義弘とはどのような人物だったのか。

長門・豊前・周防など西国6か国の守護大名だった25代大内義弘。最初のうちは室町幕府3代将軍の足利義満とうまく付き合えていたものの、どんどん勢力を増していく大内氏に対し脅威を抱かれてしまった事で関係が悪化(義満の要求を義弘が突っぱねたのが発端らしい 汗)。
そしてついに1399年、義満率いる幕府軍と義弘率いる大内勢は全面対決へ(応永の乱)。最終的に、泉州・堺で大内軍は敗退し義弘は討死。最期は敵方に一人勇猛果敢に突撃して討ち取られたと云われています。誇り高き武将であったことが伺えますね。

応永の乱勃発時に周防の国の留守を任されていたのが弟の大内盛見です。

引用:Wikipedia

義弘と共に闘い最終的に降伏し生還を果たしたもう一人の弟・大内弘茂との家督争いの末(義満は弘茂を推していたらしい)、盛見が勝利し26代目を継ぎました。義満の時代には決して上洛しなかったという盛見でしたが、いなくなった後は幕府との関係が回復し信頼される存在となったのだとか。

盛見はその後勢力を九州にも拡大させましたが、筑前の領有権を巡って大友持直や少弐らと対立。その戦に敗北し命を落としてしまいました…。亡くなった年は1441年だったそうですから、建立していた五重塔の完成を見届けられなかったことになります。さぞ無念だったことでしょう(涙)。

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瑠璃光寺五重塔の光景

瑠璃光寺五重塔は、奈良の法隆寺五重塔、京都の醍醐寺五重塔とならび日本三名塔に数えられています(現存する塔のなかでは10番目に古いのだとか)。室町中期の大内文化の隆盛を伝えるものであり、なおかつ室町の最も優れた建造物であるとして明治36年に国宝指定されました。建築様式は和様に分類されますが、一部唐様式の手法も用いられているとのこと。

高さは31.2メートル。屋根は檜皮葺。

塔としては日本唯一といわれる円形の須弥壇の正面には、平安時代につくられた阿弥陀如来坐像大内義弘公の銅像が安置されていました。一般の人の目には触れることがない「秘仏」とされていますが、大改修期間中のみ特別に見学できるそうです。

山口県に在住している折たまに見に行っていた五重塔。令和の大改修前の美しい光景をいくつか写真に収めているので紹介していきたいと思います(写真をクリックすると鮮明に見えます)

ちなみに、2026年秋まで五重塔は見えない状態ですが、香山公園の敷地内には四季折々の美しい植物が多く季節ごとに訪れる人の目を楽しませてくれています。お花見や紅葉狩りスポットとしてもおすすめ。

春の瑠璃光寺五重塔

秋の瑠璃光寺五重塔

冬の瑠璃光寺五重塔

ライトアップされた瑠璃光寺五重塔

塔のライトアップは日没から22時まで毎日行われていましたので改修後もそのような形になると思います。

あじさいの季節

2023年6月撮影時には五重塔を囲う工事の真っただ中(汗)。が、園内に咲き誇るアジサイがとても美しく見応え充分です。かなり多くの株が植えられていながらも、見物客が少なく比較的ゆっくり楽しむことができました。

無事に令和の大改修が完了しこの美しい”日本の美”を堪能できる日が来ますように。

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瑠璃光寺について

五重塔から奥に行くと、かつて大内義弘が建立した香積寺(こうしゃくじ)があった場所に瑠璃光寺が建っています。

関ヶ原の戦の後の1604年、毛利輝元がへと封じられることが決まり香積寺(この当時の山口のトップは毛利氏)も引寺されることが決まりました。それから約86年後の1690年、跡地となっていた場所に仁保瑠璃光寺が移築。これが現在の『瑠璃光寺』です。

仁保瑠璃光寺は、1471年に陶氏の7代目当主・陶弘房が亡くなった後夫人がその菩提を弔うため今とは違う場所に建立されたお寺です。建立当時は安養寺と呼ばれていましたが、1492年に呼び名が”瑠璃光寺”と制定されました。

ちなみに、香積寺はどうなったのかというと…、毛利輝元が萩へ向かう際に解体され木材として運ばれたそうな。当初は五重塔も一緒に移す予定だったようですが、町の人から「どうか残してほしい」と必死に懇願されたことで今の場所に残ることができたというエピソードが胸アツです。

境内は綺麗に整備されており、建立当時からの貴重な歴史的史料を体感できる素敵なお寺なのでぜひこちらも訪れていただきたい。

寺の門の前には大内文化の礎を作った大内弘世(義弘・盛見の父)の像があります。

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拝観時間・アクセス

香山公園、瑠璃光寺境内は基本的には拝観無料で自由に見学することができます。観光の案内は9時~18時まで。

瑠璃光寺境内にある資料館の見学のみ拝観料がかかります。拝観時間は9時~17時。料金は大人200円。詳しくはリンク先を参照。

山口県はバリバリ車社会なので自動車で訪れるのがベスト。観光バスもよく来るため駐車場もかなり広いです(約100台分)。

公共交通で行く場合はJR山口線の湯田温泉、または山口駅からバスが近いと思います(だいたい15分弱)。

大内氏をデザインした可愛いコミュニティバスも運行中。ただ、都会と違って本数は少ないと思うので(私はそれで苦労した 苦笑)事前にチェックしておくことをお勧めします。

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