源平屋島合戦ゆかりの地(2)-佐藤継信-

1185年に源氏と平氏がぶつかった屋島の合戦。香川県高松市の屋島地区に史跡がいくつかあるので訪ねてみました。

当記事は その1 の続きになります。

今回は、源義経の忠臣・佐藤継信に纏わる史跡について紹介したいと思います。

佐藤継信は義経が奥州から鎌倉の兄・頼朝の元へ駆けつける折に弟の忠信と共に家臣として共にそれに随行しました。

通説では、継信は屋島合戦の最中に義経を狙って飛んできた矢の盾となって戦死したとされています。義経は継信の死をひどく哀しみ、丁重に弔ったそうです。

 

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源平屋島の合戦ゆかりの地(2)-佐藤継信-

佐藤継信に関連する史跡をご紹介します。写真はクリックすると全て大きくなります。

射落畠

この場所で、佐藤継信は源義経の身代わりとなり、平家の平教経(清盛の甥)の放った矢を受けて亡くなったとされています。継信の子孫の方が整備して石碑を建てられたとのこと。


敷地中央に大きな碑がそびえてました。その奥には「遠祖君乗馬薄墨碑」があります。

薄墨は義経の名馬でしたが、継信の菩提を弔った僧にお布施として寄贈されました。後日談は後述にて。

<アクセス>

最寄り駅はことでん志度線の「八栗駅」です。ことでんバス「八栗口」バス停すぐのところにあります。

 

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洲崎寺

佐藤継信の亡骸は、戦火で焼けた洲崎寺の扉板で源氏本陣のほうへ運ばれたと伝わっています。その縁により、継信の菩提寺にもなっているそうで毎年法要が行われているそうです。

寺の歴史は古く、810年頃に空海によって建立されたとされています。
源平の戦に続き、戦国時代になると長宗我部元親の侵攻を受けて焼け落ちてしまったそうですが、江戸時代中期に再建されて今に至っています。かつては日本を歩き測量したことで有名な伊能忠敬も立ち寄ったとされています。

また、四国遍路の父と呼ばれる「信念」さんのお墓もあります。


お寺に入って左手奥にあります。

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お寺の「源平の庭」はぜひ注目していただきたいです。

屋島の地理を表現している庭石の配置が実に見事で綺麗でした。

お寺の塀には「源平合戦屋島の戦い」を解説する庵治石版が並んでいるので、史跡めぐりの参考にぜひ目を留めてみてください。

<アクセス>

ことでん志度線「八栗駅」徒歩10分ちょっと。ことでんバス「洲崎寺西」すぐ。