「鎌倉殿の13人」ゆかりの地レポート -源範頼・安達盛長(修善寺エリア)-

022年度大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。ドラマとしては個人的に好きなテイストではないのですが(汗)鎌倉時代前後が取り上げられ注目されていることには非常に大きな関心を寄せています。

GW期間中に大河に出演した人物ゆかりの地をいくつか訪ねることができたので、紹介していきたいと思います。今回は、伊豆・修善寺エリアにある源範頼のお墓安達盛長のお墓について。

源範頼の墓

源範頼は源頼朝の異母弟、源義経の異母兄(源義朝の六男)で、木曾義仲追討や一の谷・壇ノ浦で活躍し平家滅亡に大きく貢献しました。義経とは違い、頼朝に従順を貫いていたことからその信頼を得ていたと伝わっています(逐一報告していたらしい)。

「鎌倉殿~」では迫田孝也さんが魅力的に演じていました。

ちなみにドラマの中で範頼が「蒲殿」と呼ばれていたのは、生まれ育った場所から「蒲冠者」と呼ばれていたことにちなんでいます。

アクセス

少し車通りの多い道から少し脇に入った遊歩道を上った先の丘の上にお墓があります。車で行くことはできないので近くのコインパーキングに停めるのがベスト。お墓の少し手前には軽食屋さんがありました。

また今回行くことができませんでしたが(不覚だった!!)、お墓から修善寺方面に数分歩いた先に範頼が自刃したという信功院跡があります(日枝神社の参道を行く途中)。

スポンサーリンク

かつては「範頼の祠」と呼ばれるものが建っていたとのことですが、明治12年に発掘調査をしたときに骨壺が発見され「範頼の墓」との裏付けが成されたそうです。現在の墓石は昭和7年に建立されたものです。

お墓の周りは綺麗に整備されていました。環境もよく、切ない最期を遂げることになってしまった範頼さんも静かに眠ることができているのではないでしょうか。

ちなみに、訪れた時期に修善寺ではスマホアプリによるスタンプラリー企画をやっていて(5月15日終了)、チェックポイントに可愛いパネルがそれぞれ建てられていました。

範頼さんのお墓の手前にあったパネル。どことなく迫田さんに似てる気がする…かも。

以下少しネタバレ的なこと(2022年5月現在)。

スポンサーリンク

頼朝には従順を貫き信頼を得てきた範頼でしたが、九州の戦後処理を任されている間に頼朝と義経の関係が悪化。これに伴い頼朝から義経の処分を言い渡されますが、範頼がそれを断ってしまったことから覚えを悪くしてしまったらしい(汗)。その後は頼朝による奥州藤原氏討伐の戦い(藤原氏が義経を匿っていたことがきっかけ)に参戦したとのことですが、範頼としてはあまり気が進まなかったかもしれません。

1193年の「富士の巻狩り」(大掛かりな狩りイベント)で起こった事件により運命が暗転してしまいました。有力御家人たちも参戦して盛り上がっていた最中に「曽我兄弟の仇討事件」が発生(親の仇である工藤祐経<大河では我が家の坪倉由幸さんが演じています>を曽我兄弟が襲撃した事件)。
結果的に曽我兄弟はすぐに討ち取られてしまったのですが(仁田忠常の記事参照)、現場が混乱していたことから「頼朝が討ち取られた」という誤った情報が頼朝の妻である北条政子に伝わってしまいました(汗汗)。

誤情報を信じた政子は大いに嘆き悲しんだとのことですが、その様子を目の当たりにした範頼は「兄の後には私も控えているから心配しないでください」と慰めてしまう。この政子を気遣ったが故の優しさが、彼を悲劇の淵に陥れてしまうことに(涙)。

結局頼朝は無事に鎌倉へ帰還。その時に政子は「範頼が、密かに頼朝に取って代わろうとしてるかもしれない」と告げてしまったという(汗汗)。頼朝が死んでしまったかもしれないと嘆いていた時に範頼から告げられた言葉の意味を、政子は「こいつ、謀反企んでいるのかもしれない」と思い込んでしまったのでしょう(一方で彼女のでっち上げによる陰謀だった説も…)。恐ろしい女!とも思いますが、そういう風に解釈してしまうほど鎌倉時代は荒んだ空気が漂っていたのかもしれない(震)。

政子からその話を聞いた頼朝は大激怒。範頼は疑いを晴らすための「神仏に誓って兄に逆らう気など毛頭ありません」と起請文を必死にしたためますが、そのなかで”源姓”を名乗っていたことが分不相応だとして火に油を注いでしまう結果になったらしい(汗汗)。頼朝、何とも人間が小さい…。だけど、彼が怒った時点で既に範頼排除の気持ちは変わらなかったのかもしれない。
さらに悪い事に、頼朝の真意を確かめるべく範頼は家臣の当麻太郎をこっそり侵入させてしまったらしい(当麻が勝手に寝所に侵入したという説もあるようですが)。これを察知した頼朝は「あいつ、やっぱり俺を追い落とそうとしてたんだ」と確信させるに至ってしまいここでほぼゲームセット状態に(震)。

完全に頼朝の不興を買う結果になった範頼は伊豆の修禅寺に幽閉されることに。資料が乏しいことからその後の範頼のことはよく分かっていないそうですが、悲劇の最期を遂げたことは確かかもしれません。

一説では、範頼の家臣が不穏な動きをしていると察知した御家人たちに襲撃されたというものも。最期は梶原景時の軍に襲われ、結果的に屋敷に火を放ったうえで自刃したという哀しい最期が伝わっています。鎌倉時代を生き抜くには優しすぎた人物だったのかもしれないなぁ…とも。

このあたりの出来事を、迫田さんがどのように演じるのか期待したいと思います。

スポンサーリンク

安達盛長の墓

安達盛長は源頼朝が伊豆に流されていた頃からずっと支え続けた忠臣でした。盛長の正室が、頼朝の乳母でもある比企尼の長女だったことが縁だったことから仕えることになったそうな。

また、頼朝と政子の仲を取り持つキューピッド役も務めたと伝わっている人物。本当は時政の次女にラブレターを書いた頼朝は、それを盛長に託したと。ところが盛長は「彼女にはあまり良い評判がない」として勝手に長女・政子宛に名前を変えてしまった(笑)
これがきっかけで頼朝と政子は逢瀬を重ね結婚するに至ったという伝説。もし本当だったとしたら、盛長の先見の明すごかったんだなと思いますw。

「鎌倉殿~」では 野添義弘さんが飄々と時にチャーミングに演じています。

初回から登場していますが、頼朝の腰巾着みたいな雰囲気だった頃は彼が何者かよくわからない人でしたw。平家討伐のあたりから輪郭がはっきりしてきたように思います。将来的にお坊さんになる人物なので、どんな扮装になるのか楽しみです。

アクセス

源範頼のお墓から少し進んだ先にある山の中(修禅寺の裏山)にお墓があります。ここも徒歩で行ったほうがいい場所。かつては範頼の墓のすぐそばにあったそうですが、道路工事の影響で今の場所に移転したそうです。少し坂を上る程度なので比較的簡単に辿り着きます。

ちなみに、範頼は盛長にとっての娘婿に当たるとのこと。近くにお墓があったのは親族関係にあったからということも考えられますね。

スポンサーリンク

とても静かなところで訪れる人もほとんどありませんでした。すぐ脇には小川が流れていて、そのせせらぎの音に癒されます。大河ドラマが進むにつれて活躍する姿も増えてくると思うので、お参りする人がもう少し増えたらいいなと思いました。

自然豊かな美しく静かな場所で、安達盛長さんも心安らかに眠っていることでしょう。

墓地入口にあったスタンプラリーのパネルが可愛い。柔和な表情がどことなく野添さんの雰囲気と重なるかなぁ、なんてほっこりしました。

以下少しネタバレ的なこと(2022年5月現在)。

大きな戦を経て鎌倉幕府が動き出し頼朝が初代鎌倉将軍となった後も、盛長はその重臣として支え続けました。ところが、1199年に頼朝が謎の急死を遂げてしまう。大きなショックを受けた盛長は悲観して出家してしまい「蓮西」と名乗るようになりました。これまでずっと頼朝一筋で仕えてきたわけですから、その落胆たるや想像に難くありません…。

頼朝亡き後、その息子・頼家が18歳で2代目鎌倉将軍となります。ところが、まだ若い将軍の政治が空回りを続けてしまったことから「十三人の合議制」システムが誕生。盛長もその一人として加わりました。

この年の秋に梶原景時が御家人たちの嫉妬や不満を買うようになっていました。やがて批判の声は大きくなり、盛長も景時の弾劾にサインしたと伝わっています。
梶原景時の変が勃発し、彼を幕府から追放したその翌年。安達盛長は66歳でこの世を去りました。頼朝が逝去してからわずか1年後のことでした。
スポンサーリンク

竹林の小径

余談ですが、範頼と盛長のお墓からほど近い場所に竹林の小径という美しい場所があります。

竹林の中央には竹製の丸いベンチが設置してあり、多くの人がその場所で写真を撮影していました。その近くには、八重さんのスタンプラリーパネルも。

チャーミングな表情がとても可愛らしい!

恋愛のパワースポットとしても知られているそうです。非常に美しい景観が楽しめるので、鎌倉殿めぐりの一環としてぜひ訪れてほしいところ。

アクセス

さらに余談ですが…、修善寺総合会館には範頼役の迫田孝也さん工藤茂光役(愛之助さん演じる宗時と一緒に善児にやられてしまった人物)の米本学仁さんのサインが飾られていました。掲載は控えますが、どうやら1月に訪れていたようです。興味のある方はぜひ。

タイトルとURLをコピーしました