こちらの記事は、GW鹿児島『西郷どん』旅の記録の続きになります。
大河ドラマ『西郷どん』ゆかりの地レポ一覧
大河ドラマ『西郷どん』感想一覧
再び鹿児島県内における、西郷隆盛(吉之助)ゆかりの地についてレポートしていきたいと思います。
第7弾は、西郷さんの生誕から征韓論のあと鹿児島に帰還するまでの史跡をご紹介します。
大河ドラマ『西郷どん』では後半に出てくるであろう場所が含まれています。ご了承ください。歴史の足跡として参考にしていただければ幸いです。
『西郷どん』紀行 -西郷隆盛を訪ねて-
西郷隆盛銅像
鹿児島市内に立つ西郷隆盛の銅像です。遠くから見ても存在感があり、鹿児島の町を守護しているかのようでした。
昭和12年に、鹿児島市出身の彫刻家・安藤照(渋谷の忠犬ハチ公像の作者でもあります)によって制作されました。完成まで8年かかったそうです。軍服姿が実に凛々しい😆。
安藤照は終戦間際の空襲に遭い亡くなってしまったとのことで…資料も失われ長い間その実寸はハッキリとは分からなかったそうですが、西郷生誕180年の年に学生有志が実測に挑戦したのだとか!
その結果、西郷像の身長は5.275メートルであることが判明(台座を含めると8メートル)!5.7頭身だそうです。
上野の西郷さんがラフな軽装姿の銅像(クリックすると大きくなります)に対して鹿児島市の西郷さんはキリッとした陸軍大将姿で建っているので、比較するのも面白いと思います。
ちなみに、鹿児島県内には霧島市の西郷公園にもう一つ巨大な西郷隆盛像があるようです。
今回行きそびれてしまいましたが、高さは何と10.5メートルとのこと!!鹿児島空港からすぐの場所にあるので機会があればそちらも立ち寄ってみたいです。
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西郷隆盛生誕地
1827年(文政10年)に西郷隆盛(吉之助)はこの地に誕生しました。ドラマによく出てきた西郷家の実家はこのあたりかと推測します。
ちなみに、史実によると祖父・父・母を相次いで亡くした西郷家はそれまで住んでいた家を売却して別の場所に移り住んだそうです(ドラマでも多額の借金していたシーンありましたからね)。「宅地跡」の碑があるそうですが、今回はスルーしてしまいました😅。
少し奥に入ると、石積みの上に立つ「誕生之地」と刻まれた石碑があります。そのすぐ脇にある小さな石碑は「西郷従道誕生之地」碑です。
西郷従道は西郷隆盛の弟で幼名は「信吾」。大河ドラマにも少年・信吾が度々登場してきましたが、成長した姿は関ジャニ∞の錦戸亮くんが演じていますね(第1話に登場)。
石碑の近くに積まれている石は、西郷従道邸庭園跡庭石です。
西郷従道は明治7年に東京の目黒に邸宅を購入しています。その庭園にあった3種類の石(伊豆石・伊予の石・紀州の青石)が平成12年に公園を整備する時に寄贈されたそうな。
アクセス
大河ドラマで度々その名前が出てきた「加治屋町」。維新の立役者となった薩摩隼人を多く輩出しています。
西郷家墓地
江戸時代中期からの西郷家の墓地です。西郷隆盛(吉之助)の家族の多くがこちらで眠っています。ちなみに西郷本人は違う場所に眠っています(後ほど紹介します)。
この写真を見て分かっていただけるかと思いますが…訪ねた日は猛烈な豪雨となっており、お墓参りで立つはずのスペースが「川」になっていたためかなり難儀いたしました😓。
西郷の両親・吉兵衛さんと満佐さんのお墓は入口から手前の列の一番奥にあります。
おそらく、お酒が供えられている向かって右側が父親の吉兵衛さんで、左が母親の満佐さんだと思われます(雨が酷すぎて確認ができず…)。
吉兵衛さんの隣にある少し小さめのお墓は祖母のきみさんで、一つ置いて隣に祖父の龍右衛門さんのお墓があります。
ちなみにこの日の雨があまりに激しすぎて…龍右衛門さんのあたりですっ転びそうになったのを墓石に助けられました😵。おかげで墓地の川にダイブせずに済んだ(苦笑)。龍右衛門さん、ありがとうございました🙏。
西郷隆盛(吉之助)のすぐ下の弟・吉二郎のお墓は入口すぐの真ん中列にあります。比較的大きい墓石なのですぐ分かると思います。『西郷どん』では渡部豪太くんが熱演していますね。
そのすぐ隣にある少し小さめのお墓は最初の奥さんのマスさんで、写真には写りませんでしたがその隣に二番目の奥さんの園子さんのお墓があります。
吉二郎さんは後半激動の渦に巻き込まれていくことになるんですよね…。お参りができてよかったです。
また、西郷と奄美大島で結婚した愛加那との間に産まれた長男・菊次郎もこちらの墓地で眠っているそうです。菊次郎が出てくるのはだいぶ先の話だと思いますが、後々大きくかかわってくると思われます。
アクセス
小さな敷地なので、駐車場はありません。車の場合は近くに停めてから歩いていくことをお勧めします。
西郷屋敷跡
征韓論に敗れた西郷隆盛が鹿児島に帰郷。西南戦争が始まるまでの4年間をこの地で過ごしました。敷地は広かったものの、屋敷は質素な作りだったそう。西郷の人柄が伺えます。
西南戦争の影響で屋敷は焼けてしまい西郷従道によって再建されたと伝わっていますが、現在は建物は残っていません。
唯一当時のまま残っているのが井戸です。
入口すぐのところにあります。実際に西郷が使ったと思うとなかなかに感慨深いものがありました😊。
西郷の元には多くの人が教えを乞いに訪れたと言われています。
「徳の交わり」とあるこちらの像は庄内藩の菅美秀が会いに来た様子を表現しているそうです。戊辰戦争の折に西郷は庄内藩へ寛大な沙汰を下したとのことで親交を深めるようになりました。菅は20日間にわたってその教えを受けたとされています。
入口に立って一番最初に目に入るのがこの像です。
撮影日の雨の激しさをお分かりいただけるでしょうか😅。西郷さんも菅さんもずぶ濡れになっていて少しお気の毒でした(汗)。
ちなみに「南洲翁遺訓」は菅が西郷から教えを受けた人の話をまとめて出版したものだそうです。
アクセス
次回も西郷さんゆかりの地についてのレポになります。主に西南戦争との関連史跡を中心に紹介予定。
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