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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地レポート -源頼朝(鎌倉)-

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2022年度大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。ドラマとしては個人的に好きなテイストではないですが(汗)鎌倉時代前後が取り上げられ注目されていることには非常に大きな関心を寄せています。

GW期間中に大河に出演した人物ゆかりの地をいくつか訪ねることができたので、紹介していきたいと思います。今回は、源頼朝の鎌倉エリアの史跡についてのレポ。

『鎌倉殿の13人』ゆかりの地レポ一覧

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた河内源氏2代目・源頼義が1063年に源氏の氏神様として鎌倉の由比ガ浜付近に”八幡神”(第15代・応神天皇 、比売神 、応神天皇の母・神功皇后)を祀ったのが起源とされています。1081年には頼義の息子である3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復したという記録が残っているとのこと。

頼義・義家の血を引いた頼朝は1180年に平家打倒の兵を挙げ、その折に現在の地に八幡宮を遷しました。以降、社殿を中心として鎌倉幕府の中枢となる施設を整備しその基礎を創り上げることに。
頼朝が始めた流鏑馬や舞楽などの祭事は、現在も八幡宮で受け継がれています。特に、毎年九月に行われている「流鏑馬神事」は有名。

かつて幼少期に片瀬に住んでいた頃はよく訪れていましたが、その後引っ越しなど様々な人生行事が重なり(汗)すっかりご無沙汰となってしまっている鶴岡八幡宮。久しぶりに今回ゆっくり回りたかったのですが、あまりにも多くの人が訪れていたのと(大河の影響もありそう)時間がなかったこともあり満足に参詣することができませんでした。

もう少し時間を置いてからまた行ってみたいです。

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とりあえず、行けた箇所を少し紹介します(境内はかなり広いので時間に余裕を持って行った方がいいです)。

太鼓橋は昭和になってから架け替えられたものです。私が幼少期に訪れていた頃は通行可能でしたが、不幸な事故が起きた後からは渡れなくなってしまいました。

舞殿は、義経と涙の別れをした後に捕らえられた静御前が頼朝の前で舞を披露したと伝わる若宮の回廊跡に建てられたとされています。静が義経を恋しく想いながら”しづやしづ”と舞ったエピソードは有名です。

ちなみに、鶴岡八幡宮でもうひとつ有名なエピソードが「実朝暗殺事件」です。鎌倉幕府3代将軍の源実朝(頼朝の次男)が右大臣拝賀の式に出席した折、甥の公暁(頼朝の長男・頼家の息子)に殺されてしまいました。
かつて公暁が待ち伏せした時に潜んでいたと伝わる御神木の「大銀杏」が本殿へ続く石段の脇に立っていましたが、2010年の悪天候により倒木してしまいました。非常に残念です。

現在は、移植された御神木の根っこ部分の隣にその子孫にあたる「ひこばえ」(若芽)が植えられていて元気に育っています。御神木の幹は鶴岡ミュージアムカフェで見ることができるそうです。

アクセス

駐車場など詳しいことは公式サイトを参照。

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源頼朝の墓(法華堂跡)

1198年12月、稲毛重成が亡くなった妻(北条時政の娘で政子の妹)を供養するために相模川に橋を架けました。その渡り初めを行った源頼朝でしたが、帰り道に落馬し翌年の正月が明けた頃にそのまま帰らぬ人となってしまいます。53歳でした。記録には詳しい死因が記録されていないとのことで、頼朝の最期については現在も謎が多いとのこと(一説では、義経の亡霊のせいということになっているらしい)。

大河ドラマでは6月26日放送の第25回で頼朝の死のエピソードが描かれていました。死を恐れながらも最後は自らの運命を受け入れる如く最期を迎えた姿がとても印象深かったです。大泉洋くんの緩急つけたお芝居はやはり見事でした。個人的にはコミカルシーンをもっと削って描いてほしかったという想いが強いんですけどね(苦笑)。洋ちゃん、お疲れ様でした。

墓は頼朝の持仏堂跡(頼朝の死後に法華堂という名前になりました)に建立されたと伝わっています。現在の墓石は1779年に島津重豪が再建した時のものとのこと。よく墓石を見てみると下の方に島津家の家紋である「轡十文字」が刻まれています。

すぐ近くには頼朝を支えた大江広元と島津忠久のお墓がありますが、ある伝説によれば薩摩島津氏の祖でもある忠久は”頼朝の隠し子”と言われているそうな。そのご縁もあって頼朝の墓を整備することになったのかもしれません。

ちなみに、墓へ続く階段の数は頼朝が亡くなった年齢と同じ「53段」だそうです。

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頼朝の墓へ続く階段入口には、頼朝を祀った白旗神社があります。

頼朝が葬られたと伝わる法華堂は1872年に廃仏毀釈によって取り壊されてしまいますが、その後「白旗神社」として新しく建てられたとのこと。

頼朝の墓から金沢街道方面に歩いて行ったところに、かつて居を構え政務を行っていたとされる「大倉幕府跡」の碑があります。

春になると桜が綺麗に咲いているそうでお花見客も多く訪れるとのこと。

アクセス

車で巡ることはできないので、近くの駐車場に停めて徒歩で行くようにしましょう。

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