「鎌倉殿の13人」ゆかりの地レポート -北条義時(伊豆)-

2022年度大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。ドラマとしては個人的に好きなテイストではないのですが(汗)鎌倉時代前後が取り上げられ注目されていることには非常に大きな関心を寄せています。

GW期間中に大河に出演した人物ゆかりの地をいくつか訪ねることができたので、紹介していきたいと思います。

今回は、大河ドラマの主人公の小栗旬くん演じる北条義時の史跡(伊豆)について。

『鎌倉殿の13人』ゆかりの地レポ一覧

北条寺(義時の墓)

北条寺北条義時が創建したお寺です。義時の嫡男・安千代丸が大蛇に吞み込まれて命を落とした時に墓所として七堂伽藍を建立し、仏殿の本尊を慶派の仏師に命じて作らせたと伝わっているのだそう。息子を襲った大蛇は義時によって退治されたとのこと。

大河では泰時が義時の最初の子供とされていましたが(泰時の母が誰かはハッキリした史料がないらしいのですが、八重ではないのではと私は思ってしまいます 汗)、実はその前にもう一人男子がいたのではという話です。
安千代丸が大蛇に呑み込まれたというのが11歳の時とのことで、けっこう成長したあとに悲劇に見舞われたという印象ですが…、そもそも大蛇に呑み込まれるということ自体が現実的に怪しいところなので(汗)伝説の域を出ないかなぁとも。

ただ、泰時の前に安千代丸という嫡男がいて何らかの不慮の事故で命を落としてしまったことは有り得るかもしれないと思いました。

アクセス

大河ドラマの集客を見込んでか、駐車スペースも少し広く設けてありました。拝観料は大人500円、小人200円。山門横にある受付でお支払いする形になっています。

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北条寺本堂の中には貴重な文化財が展示してあります。

木造阿弥陀如来像は義時が慶派の仏師に彫らせた仏像とのこと(運慶本人とは作風が違うらしい)。北条寺のご本尊であり静岡県指定文化財になっています。

もうひとつ見応えがあったのが「牡丹鳥獣文繍帳」。動物や植物が大胆なタッチで刺繍されている帳(とばり)で、一説には北条政子が奉納したものと伝わっているそうです。少しくすんではいたものの色はしっかり残っていて、糸のほつれなどもリアルに残っている見ごたえのあるものでした。

撮影は禁止されているので、詳しいものは公式サイトをチェックしてみてください。

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北条義時夫妻の墓

北条義時は「承久の乱」の3年後の1124年に62歳で急死してしまいました。脚気が原因ではないかという説があるそうですが、一方では実子を執権に据えたい思惑があった妻に毒殺されたのではという物騒な説もあるらしい(汗)。義時の嫡男・泰時が北条氏発祥の地でもある伊豆のこのお寺にお墓を建てたとのこと。

義時夫妻のお墓は本堂手前にある階段を昇っていった先にあります。意外と段数があるのでちょっと息が上がりました(汗)。

意外と段数があるのでちょっと息が上がりました(汗)。

正面向かって右側が義時左側が三番目の夫人・伊賀の方のお墓だそうです。もしもその奥さんに毒殺されたのでは説が濃厚だったとしたら…隣にいる義時はお墓の中でも気が休まらないかも(汗)、と余計な心配をしてしまった(ちなみに泰時は伊賀の方の一件は否定しているそうです)。

お墓の傍には説明員の方がいらっしゃって解説してくださるのですが、ある方が「隣のお墓にいる奥さんは八重さんではないんですか?」と驚きながら聞かれていてちょっと戸惑われていました(汗)。この地域の皆さんはこれまで八重さんは早い時期に頼朝との悲恋を嘆いて入水したという伝説を聞いていたでしょうからね…。「今回の大河の展開は私たちも驚きました」と語っていらっしゃったのが印象的でした。

以下少しネタバレ的なこと(2022年5月現在)。

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北条義時は北条時政の次男として誕生。鎌倉将軍が相次いで亡くなった(二代目と三代目は不慮の死を遂げていますが)あとは、京都から頼朝の親戚筋(頼朝生母の妹のひ孫)にあたる藤原頼経を呼び寄せ四代目将軍に立てます。その上で義時は二代目執権として権力を握り武家政権を確立しました(この当時頼経はまだ2歳の幼子だったらしい)。

ところが、後鳥羽上皇は権力を持った北条氏のやり口を良く思っておらず幕府追悼の命令を下すに至ります。これが承久の乱の始まり。朝廷の軍と戦うことを躊躇う御家人たちに向かって北条政子が「頼朝さまのご恩を忘れたのか!?」と一喝して涙の演説を行い結束を高めたエピソードは有名です。

ただ、一説によれば政子は直接の演説を行わずに他の人を介して訴えたのではないかとも言われているとのこと。ドラマではどのように描かれれるでしょうか?小池栄子さんの演説シーンは見てみたい気もしますけどね。

北条義時率いる幕府軍は見事に戦いに勝利(敗北宣言の内容は戦の責任を上皇が他人に押し付けるという酷いものだったらしい 汗)。後鳥羽上皇は隠岐に配流となり上皇方についた皇族や御家人たちは過酷な処罰を受けたとのこと…。

特に、まだ11歳の少年だった佐々木広綱の息子の勢田伽丸のエピソードは辛いものがあります。
義時の息子の泰時は幼い彼の命を助けようとしたものの、広綱の兄である信綱が処刑を嘆願したことからそれを受け入れざるを得なくなったと(涙)。ちなみに、鎌倉時代後期から室町幕府にかけて活躍したバサラ大名・佐々木道誉佐々木信綱の末裔だそうです(大河ドラマ「太平記」で陣内孝則さんが演じられていました)。

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北条氏邸跡(円成寺跡)

守山の周辺に執権として鎌倉幕府を支えた北条氏の邸宅がありました。現在その跡地の一部が整備され公開されています。

アクセス

入口あたりに車を停めるスペースがありました。ちなみに私たちは別の場所に車を停めて、願成就院から政子産湯の井戸真珠院、と歩いてこの地を訪問しています。 北条寺からは少し離れた場所にあります。

訪れると分かると思いますが、相当広大な土地を所有していたのだということが伝わってきます。

時政が創建した願成就院も敷地の一部だったと考えられるとのこと。1992年~3年にかけての発掘調査で建物跡が見つかったことから北条氏館だったと確認が取れたそうです。

展望台と称される少し小高い場所からは敷地を一望することができました。そこにはかつての建物の形を記した透明の案内板があって、屋敷の様子が想像できるようになっています。

鎌倉時代が滅亡した後、北条一族の妻や娘たちは伊豆に帰ってきました。その後、室町幕府によって北条氏が滅ぼされると一族の一人・円成尼が北条氏の冥福を祈るために館跡に寺を創建したそうです。それが円成寺でした。室町時代から江戸時代まで続いたお寺だったそうですが、最後は廃寺とされてしまったとのこと…。

ちなみにこの北条館は、三代目執権の北条泰時の時代まで使用されていた可能性が高いそうです。

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