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「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの地 ー東京都北区飛鳥山公園①-

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コロナかが少し落ち着いてきたので、大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一ゆかりの地である東京都北区飛鳥山まで行ってきました。

※大河ドラマ館レポはこちら↓

当日はけっこうな雨降りで写真撮影に難儀いたしましたが(汗)、訪れる人が少なかったので撮りやすかったというメリットもありました。でもやっぱりもう少し晴れててほしかったけどw。

今回は大河ドラマ館側近くの王子駅南口から出てしまいましたが、飛鳥山全体をじっくり見ていくとすれば中央口から出たほうがいいかもしれません。

大河ドラマ期間中だけかもしれませんが、中央口出てからすぐの通路の装飾がなかなか良い感じでした。ちなみに、土日にはマスコットキャラの”しぶさわくん”が大河ドラマ館付近に登場しているようです。私が行ったのは水曜日だったので会えなかったんですよねぇ。それだけが残念!会いたかったよ、しぶさわくん!!

改札口を出てから左に歩いていくとすぐ飛鳥山の入口が見えてきます。

向かって左側の階段を上っていくのもいい運動になりますが、標高25.4メートルあるので足腰に自信がない方は”あすかパークレール”(無料)で山頂駅まで行く方法をお勧めします。ちなみに私は帰りだけ山頂駅から乗りました(2往復半は歩いて上りましたw)。下には係の方もいるので気軽に乗れると思います(エレベーターみたいな仕組みになってたかな)。

以下、大河ドラマ館に掲載されていた飛鳥山公園の散策ポイントを中心に回ったレポを紹介したいと思います。今回は第1弾。

大河ドラマ『青天を衝け』感想はこちら↓

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの地 -東京都北区・飛鳥山レポその1-

飛鳥山公園山頂駅付近

あすかパークレールの山頂駅を降りて少し歩いたところに、”山頂モニュメント”があります。

標高は25.4メートルの頂上にはかつて展望タワーが立っていたそうですが、現在は山の名前が彫られた石と公共基準点を表すモニュメントが設置されています。

かつて鎌倉時代に豪族が飛鳥明神をこの場所に祀っていたそうで、これが”飛鳥山”の名前の由来だと言われているとのこと。その名残として、ここからほど近い山の中腹あたりに2対の狛犬を見ることができます。ただ、飛鳥山公園からは全く見えないので一度下山する必要があり(汗)、一度階段で登ったところをまた下りることになりました(苦笑)。計画性がないまま行ったことが失敗だったのですが…、出来れば狛犬は飛鳥山に上る前に見たほうがいいと思います(汗)。

狛犬を目視するためには、まず飛鳥山から下りて明治通の向こう側に渡る必要があります(汗)。しかしながら、向こう岸に渡るためには歩道橋を使うことになったのですが…土地柄がよく分からず、結局駅の向こう側まで戻る羽目になってしまいました(苦笑)。

狛犬スポットは音無橋信号付近の上の写真の景色が見えるあたり。人通りや自転車も多い場所だったので邪魔にならないように端っこに寄っての撮影となりました。この位置から飛鳥山に向けてズームしてみると…

たしかに2対の狛犬の姿がありました(ピンボケしてますが 汗)。木が生い茂って見えない時もあるそうで、”幻の狛犬”と呼ばれることもあるらしい。

ちょっと場所取りが悪くて1対は電線が架かってしまいましたが(苦笑)、今でもこうして飛鳥山の守り神として町を見下ろしています。

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飛鳥山前郵便局

狛犬を見るために明治通りの向こう側に渡った時、飛鳥山郵便局前にある派手なポストに目が留まりました。

渋沢栄一のデザイン切手を模したポスト!!これはなかなかに目立ちますっ!

側面の図柄も可愛らしい。これは手紙出したくなりますね~。この日ちらっと覗いてみたら、ネットでは注文限定発売になっていた『青天を衝け』切手シートも販売しているようでした。

私は注文して送ってもらいましたが、ここにきて買うのもよかったなぁと後から思ってしまいました。

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飛鳥山の碑

1720年から21年の間、8代将軍・徳川吉宗の命により約1000本の桜の木が植えられたそうです。江戸市民たちの行楽の場所にしたいという吉宗の思惑があったのだとか。1737年には桜の名所となり身分を問わず大勢の人が訪れにぎわいました。

その同じ年、紀州の巨石に漢文を刻んだ石碑が建てられました。そこに刻まれた漢文はあまりの難解さから正しく読める人がいなかったらしい(汗)。大正15年、東京都の文化財に指定されました。栄一もこの碑を目にしていたはずです。

渋沢栄一は自分が中心となって開業した製紙工場(明治26年に王子製紙株式会社と改称)を見渡せる飛鳥山に別荘を構えました(後に本宅となります)。

現在はその面影を見ることはできませんが、当時は製紙工場がよく見えたのだろうなと思います。花見に訪れた人々も眼下に広がる製紙工場を見て「文明開化だ」と歓声を上げていたのだとか。

製紙工場を見下ろせる場所のすぐ近くに、農業技師として大きな功績を残した船津翁の碑があります。明治33年に建立されたもので、品川弥次郎が寄せた文章が刻まれているそうです。当時の錦絵にもこの碑が描かれているとのこと。

渋沢庭園レポは次の記事にて。

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