2020年度大河ドラマ『麒麟がくる』のゆかりの地である岐阜県岐阜市を訪ねてきました。
※前日に訪ねた岐阜の史跡レポはこちら↓
岐阜は若き日の織田信長が治めた町ということで、信長色が濃いめな印象がありました。また、長良川の戦いの折に斎藤道三・義龍親子が戦った地であることから、道三に関する史跡も残されています。
「麒麟がくる」ゆかりの地レポ一覧
「麒麟がくる」ゆかりの地 -岐阜市の史跡-
岐阜城
金華山の山頂にドーーーンとそびえている岐阜城。難攻不落の城として知られ「美濃を制する者は天下を制する」と呼ばれるほどだったと言います。
築城は1201年に二階堂行政の砦が築かれたのが始まりとされています。以後、藤原朝光の三男・稲葉光資が治めることになった折、「稲葉の城=稲葉山城」と呼ばれるようになったとか。その後1259年に廃城となってしまいますが、15世紀中ごろに美濃の守護代・斎藤利永が修復して居城するようになりました。
それからしばらく経った1533年、斎藤道三(利政)が父の後を継ぎ稲葉山城の城主となります。城主となった後に大規模な修築を行ったようです。
道三は下剋上を推し進め美濃の守護である土岐頼芸を追放し実権を掌握。大河ドラマ『麒麟がくる』では道三が頼芸の大切にしていた鷹を惨殺して戦意不能にしたうえで追放に成功、という形で描かれていましたね。そして1554年に家督を息子の斎藤義龍(高政)に譲り鷺山城に隠居・出家しました。
ところが、父と息子の不仲が深刻となり…1556年の長良川の戦いによって斎藤道三は敗北、討死してしまいます。
父との戦に勝利した義龍は新たに稲葉山城主となりますが1561年に急死。その後を継いだ息子の龍興が後を継ぎました。
しかし1567年、稲葉山城の戦いで織田信長が斎藤龍興に勝利。信長は小牧山城から居住を移し、「岐阜城」と名前を改め城下町に家臣たちを住まわせ”楽市楽座”を行うなど町の発展に力を注ぎました。
以降、戦国の世に翻弄され続けた岐阜城は、1600年の関ケ原の戦い後に徳川家康の命によって廃城処分とされてしまいました。
岐阜城はかなり険しい山のてっぺんに建っているので、ロープウェイで登ることができます。
岐阜公園から奥に進んでいくとロープウェイ乗り場があります。公園入口には巨大な「若き日の織田信長像」が存在感たっぷりに設置されているので分かりやすいと思います。
ちなみに、岐阜公園入り口を入ってから見える岐阜城はこんな感じです↓
かなーーり高い場所に城があることが分かると思います(汗)。
金華山ロープウェーに乗ってから約3分で山頂駅に到着。しかし、降りた場所に天守閣がすぐあるわけではなく…w、そこからさらに約10分間山道を登っていくことになります。
ちなみに山頂駅下りてすぐのところにリス村があります。そこで育てられているタイワンリスがとても可愛くて城の帰りに立ち寄った時1時間以上長居してしまいました(笑)。
上る道はけっこう急な階段も多く少し大変ですが、城の痕跡が所々にあるので当時に想いを馳せながら登ることができます。
ニノ門跡をくぐったところに閻魔堂があり、そこから天守閣を垣間見ることができます。みんなそこで記念撮影していました。
閻魔堂からさらに山道を登ること約5分弱、ついに岐阜城の天守閣がその姿を現します!
現在の天守は1956年に再建されたものですが、近年の研究で信長時代の天守の石垣が発掘されたそうです。そのほかにも様々な場所で信長時代の石垣が発掘されているのだとか。
岐阜城内には資料展示コーナーがあり、多くの信長ゆかりの展示物が並んでいてなかなか面白かったです。
そして一番の見どころが、天守閣からの眺めです!!
眼下に広がる濃尾平野と、そこを流れる長良川の雄大な光景にしばし時を忘れます。斎藤道三や織田信長、そしてもしかしたら明智光秀もこの雄大な景色を眺めながら天下統一を夢見ていたのかなぁ…などと思うとなんだか心が湧きたつ気がしました。
岐阜城から少し下ったところに岐阜資料館がありました。新型コロナ禍の影響により、中に入れる人数は5人前後ずつとなっていました。私たちが行ったときはあまり人がいなかったので1回待機しただけですぐに入れました。
この中では大河ドラマ館で展示してあった劇中で使用された衣装など、いくつかの展示物が見られるようになっていました。
でも一番の衝撃は…
リアルすぎる、本木雅弘さんが演じた斎藤道三の蠟人形!!!!
あまりにもよく出来すぎていてビビるレベル(笑)。この蝋人形が後ろに突然現れたら、ヒャッ!!と誰もが声を上げてしまうのではないでしょうかw。
実際にモックンもこちらの蝋人形と対面して驚いたようですね。
岐阜城の麓(岐阜公園内)には織田信長の居館跡があります。
信長が住んでいた館は金華山の斜面を利用した4階建ての建物だったということが発掘調査の結果分かっているそうです。ここでは主に来賓客をもてなすことが多かったようで、金箔の瓦が見つかっていることからかなり豪勢な造りだったのではないかと想像できるのだとか。
現在も発掘調査は続いているようです。立派な庭園もあったようで、数年後にはその様子が再現されているかもしれません。その時にはまた見に来たいなと思いました。
ちなみに、信長居館跡から下りた場所には斎藤氏時代の居館跡も残されていました。
石積みの穴とその中央に埋もれるようにしてある階段が斎藤氏時代のものだと推定されるのだとか。道三はこのあたりに居を構えてたということですね。斎藤龍興の時代に信長の稲葉山城攻めに遭っていますが、その時の火事の痕跡も見ることができるようです(この日はよく見えなかった 汗)。
岐阜城と岐阜公園は見所が多く、特に信長好きな方にはかなり楽しめる場所ではないかなと思います。『麒麟~』は終わってしまいましたが、コロナが落ち着いた頃に興味がある方は訪れてみてはいかがでしょうか。