第36回「仇討ち」(1998年9月13日放送)
慶喜は、原市之進から水戸の情勢を聞きます。天狗党を説得するために送り込んだ武田耕雲斎もついには取り込まれ水戸藩内で大きな争いに発展してしまったことを知り落胆を隠せません。幕府軍が天狗党を「暴徒」として鎮圧するために兵を差し向けたと知り、彼らを救う手立てがなくなってしまったことに慶喜は心を痛めます。
その後、水戸で敗退した天狗党一行は慶喜に助けを求めるため京へ向かっているという知らせが入ります。禁裏を守る役目を担っていた慶喜は、助けを求めにやって来る同じ藩の者たちを討伐しなければならない立場になってしまったことに激しいショックを受ける…。幕府に弓引いた彼らを救う手立て思いつく者はもう誰もいない状況となってしまっていたのです。
信濃までたどり着いた小四郎たち天狗党は、寒い冬のさなか小さな小屋で一夜を明かしていました。京まで距離があることから「たどり着けぬかもしれん」と弱気な発言をする耕雲斎でしたが、小四郎は「弱音は禁物にござる!なんとしても京に辿り着き、一橋公に嘆願いたす!!」と鼻息が荒い。京に着けば攘夷派である自分たちに調停も味方をしてくれると思い込んでいる様子。
しかし、耕雲斎は静かに「一橋公は今は御所をお守りする立場、幕軍と戦う我らを助けることなどできるわけないではないか」と説く。しかし、自分たちは幕軍に追われる「暴徒」でしかないという言葉を聞くと小四郎は激高。
「違う!!!我らは暴徒などではありえぬ!!!」
小四郎にとって自分たちが「暴徒」に成り下がってしまったことなど到底認めるわけにはいかなかったんですよね。天狗党が挙兵したのはあくまでも帝を守ろうとする正義の戦いだったと信じているわけですから…。必死に耕雲斎の言葉を否定する小四郎の姿が哀しい。
それでも耕雲斎は京へたどり着けたとしても良い結果は望めないことを悟っているからか、今この場で命を絶ったほうが潔いのではないかと改めて彼らを説得する。
自分たちの崇高な想いが汚れることだけは耐えられないと語る耕雲斎でしたが、小四郎は激しくそれを拒絶し「京の都を見るまでは、死ねません!!」とこのまま行軍することを強硬に主張します。
どちらの言い分も、ただただ空しく、哀しいシーンです。
第37回「慶喜の頭痛」(1998年9月20日放送)
田辺誠一さん演じる藤田小四郎の最終回になります。
慶喜は密かに耕雲斎に向けて手紙を書き、秘密裏に懇意にしていた新門辰五郎に直接本人に手渡してほしいと頼みます。そしてさらに、「自分は立場上助けることができないから、すぐに天狗党を解党し少人数で行動しなんとか生き延びてほしい」という想いも伝えるよう言伝るのでした。
ところが、辰五郎と合流していないとみられる天狗党は美濃から越前へと歩みを進め、未だに7~800人の団体で行動しているという。原市之進たちは天狗党の者たちの安否を気にしていましたが、慶喜はそんな彼らを断腸の想いで一喝。「救いたいと思っているのはそちたちばかりではない!!」という慶喜の叫びがとても切なかった…。幕府側の人間としてどうしても天狗党を助けることができないことに激しく苦悩するのでした。
そしてとうとう、慶喜自身が天狗党討伐のために出陣することになってしまいます。
その頃天狗党は真冬の越前までたどり着いていましたが、一橋公の命によりやって来たという加賀藩からの話で慶喜が討伐軍として出陣したことを知り愕然とする。耕雲斎は自分たちの尊王の志を伝えるため慶喜に会いたいだけなのだと切々と訴えます。その言葉を聞いた加賀藩士の永原は心を打たれ、その意思を伝えることを約束する。
さらに永原は自分たちにできることなら何でもすると申し出て天狗党を温かく迎えてくれました。さすがの小四郎もだいぶ疲れ切っているようで、永原の言葉に胸を熱くしていたようでした。
一方、辰五郎は役目を果たして慶喜に事の経緯を伝えていましたが…もはや彼らに望みがないという絶望的な内容でした。さらに、疲れ切った天狗党は戦う気力すら見えなかったと聞いた慶喜は心を痛めてしまう。
その後、耕雲斎からの嘆願書が慶喜の元に届けられますが…戦う気力を失った天狗党を討つべきではないと主張する水戸側の原市之進たちと、即刻討ち取るべきという討伐派の意見とがぶつかり合い紛糾。慶喜はますます苦悩し返答に迷ってしまう。
一方、小四郎と耕雲斎は最後の話し合いを行っていました。慶喜が討伐軍の掃討となった以上、もはや天狗党に未来はないと確信している耕雲斎は「一橋公が総督であることを感謝し、降伏するべきだ」と説きます。しかし小四郎はそれに納得せず、「討伐軍と戦い、長州に逃げ込むのはどうじゃ!?」とあくまでも徹底抗戦を主張します。それは無理だとたしなめる耕雲斎でしたが、小四郎は「無理ではござらん!!」と一向に聞く耳を持とうとしない。
「我らは大罪など犯してはおらぬ。大罪を犯しているのは朝廷をないがしろにしている幕府にござる。我らはそのような者たちに頭を下げぬ!!!」
長旅で疲れ切っているはずなのに、小四郎の尊王攘夷への炎のような熱い想いは一向に衰えていない。ギラギラした目の輝きはより一層増しているようにさえ思えます。
耕雲斎はこれ以上何を言っても聞き入れてもらえないと判断し、自分はもう病で長くないからここに留まり幕府軍を待つと伝える。そのうえで再度「大軍を率いている幕府軍と戦うことは愚かだ。そなたたちは小人数に分かれてこの地を去り再起の道を考えよ」と説きます。耕雲斎は若い小四郎たちを何としても助けたいと思っていたのです。
しかし、ここまで自分たちは正々堂々と主張し戦ってきたという自負がある小四郎は首を縦に振らない。
「もし逃げれば、あの者たちはやっぱり夜盗、強盗の類と言われます!我らは共に生きようと共に死のうと、いつも一緒じゃ!!一人なりとも欠けてはならぬ!!」
最後の最後まで自分の信念を曲げない男、藤田小四郎。ここまで行軍してきた天狗党は耕雲斎も含め運命共同体だと信じて疑わない。こんな激しい男の役を田辺さんが演じていることに、当時はとても感動して見入ったものです。
耕雲斎は小四郎の主張はもう曲げられないと観念したうえで、逃げたい者は今すぐ逃げろと叫ぶ。それに対して「逃げるは武士の恥じゃ!!!」と必死に食い止めようとする小四郎。「生きてこそ何かを成し遂げることができる!!」と最後の力を振り絞り叫ぶ耕雲斎と、「こと大事に至って逃げる者は拙者が容赦せぬ!!!」と鬼の形相で威嚇する小四郎。あまりにも哀しい最後の攻防でした…。
結局、天狗党は全員降伏という選択をし捕らえられてしまいます。その数828名…。そのうち武田耕雲斎や藤田小四郎ら幹部352名は死罪となり斬首されました…。
慶喜は耕雲斎の思いの丈を綴った文を読み、彼らを助けられなかった無力感とやるせなさから涙を流すのでした。
初大河『徳川慶喜』出演に関する感想トーク
過去映像を探っていたら…田辺さんが「徹子の部屋」に出演した時(99年頃)に『徳川慶喜』に出演した感想を語っている録画を発見しました。ほとんどは田辺さんの当時監督した作品『DOG-FOOD』と少年時代から俳優になるまでのエピソードが中心でしたが、徹子さんが大河ドラマ好きということなので『徳川慶喜』についても少し触れる場面がありました。
大河について直接語る機会は当時あまりなかったと思うので(たしかNHKのトップランナーに出たときも触れてなかった気がww)、けっこう貴重な映像だと思います。その一部を少し紹介します。
Q.時代物をやってみた感想は?
A.本格的な時代物は初めてやらせていただきましたが、色々つけさせてもらって面白かったです。日常と全く違う世界なのですごく楽しんで入れました。あと、激しい時代ではありましたが、人間が思っていることや、やりたいことは同じなんだなということは肌で感じました。
Q.最後は処刑されてしまう役でしたが?
A.24歳というすごく若い年齢で処刑されてしまいましたが、初めての感覚だったんですけど、瞬きしたくなかったです。処刑されてしまう直前は”もうこの世を見ることができない”という想いで、瞬きする一瞬ですらこの世を見ていたいと。ものすごく想いを残しながら処刑されたと思ったので…。
Q.もう24歳からは過ぎて?
A.…(苦笑)…30になりました…(笑)、4月の頭で…ww
Q.時代物の格好をして食堂へ行くことに抵抗があったんですって?
A.恥ずかしいですよねぇ(顔を少し覆いながら苦笑w)。局内でも控室以外はもう…(苦笑)。車で空き時間にご自宅に帰る方もいらっしゃるみたいなんですけど…まだそこまでは(苦笑)。鏡も見れませんでしたから(汗)。
こんな感じのやり取りがありました。カツラのくだりでは相当照れまくって苦笑いの連続だった若き日の田辺さんでしたがww、この大河に出たことで得たものは大きかったようです。
その後も「風林火山」で大河ドラマ再出演を果たしていましたが、あの時は総髪だったのでカツラ姿もさほど抵抗がなかったかもw!?「風林火山」についてはまた後日少し紹介したいと思います。
大河ドラマ『徳川慶喜』はNHKオンデマンド、またはレンタルにて全話見ることができます。尊王攘夷思想に燃えた熱い熱い田辺誠一さんの芝居はとても魅力的です。ガラスの仮面での速水真澄とは全く違ったキャラなので、そのあたりも楽しめるのではないかとw。
役者は魅力的でしたがストーリーはちょっと難しい印象が強かった大河ドラマですが、田辺誠一さんの初めての大河出演ということで非常に思い出深く心に刻まれている作品でもあります。