「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの地 ー谷中霊園(渋沢栄一・徳川慶喜の墓)-

大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一のお墓参りをするため、東京都台東区にある谷中霊園へ行ってきました。渋沢栄一のお墓の近くには徳川慶喜の廟所もあります。

谷中霊園は明治7年に明治政府によって公共墓地として開設されました。谷中霊園の広大な敷地内には約7000基のお墓が存在しているそうで、「天王寺墓地」と「寛永寺墓地」なども混在しています。

渋沢栄一や徳川慶喜のほかにも数多くの著名人が眠っている谷中霊園。敷地が広すぎて迷路のように入り組んでいる場所もあるので、お参りに行くときには事前に場所をある程度調べて把握したうえで訪れる方がいいと思います。

「青天を衝け」ゆかりの地・飛鳥山レポはこちら↓

アクセス

最寄り駅はJRまたは京成線の日暮里駅です。南改札口を出てから左に進んだ先のつきあたりからさらに左に階段と坂を上っていき、天王寺前を過ぎてから道なりに進んでいくと「さくら通り」に出ます。そのあたり一帯から谷中霊園の敷地になっていました。だいたい駅を降りてから徒歩10分弱くらい。

大河ドラマ『青天を衝け』感想はこちら↓

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「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの地 -東京都台東区・谷中霊園-

渋沢栄一とその一族の墓

渋沢家墓地は谷中霊園内の「乙11号1側」にあります。私が訪れた時には墓地の前にある公園のような場所に工事が入っていて少し敷地が狭くなっていました。

入口から見て奥から2番目に渋沢栄一の墓石があります。

渋沢栄一は1931年(昭和6年)11月11日に91歳の天寿を全うしました。墓石には栄一の雅号である「青淵」の文字が刻まれています。

渋沢栄一のお墓の両脇には、先妻の千代後妻の兼子のお墓が建っています。

向かって左側が兼子、右側が千代のお墓です。

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ちなみに、千代さんの墓石の裏には渋沢家を廃嫡された渋沢篤二の名前が刻まれていました。

「明治16年11月14日」とあるので、千代が亡くなった翌年に墓石を建立したということになるのでしょうか。この当時篤二はたしかまだ11歳くらいだったと思うのですが、一番母親を恋しいと想う時期に哀しい経験をしてしまったことは相当大きな心の傷になっていたと思います。

渋沢篤二は女遊びが激しい(親譲り 苦笑!?)ことで廃嫡されてしまいますが、栄一が亡くなった翌年に後を追うように亡くなりました。

栄一と千代の墓石の間の少し奥に下がったところに真新しい小さな墓石がありました。

栄一の後を継ぐことになった篤二の息子・渋沢敬三とその妻・登喜子のお墓です。建立者は敬三の息子で今もご存命の雅英さんになっていました。

父親が不甲斐なくとても跡を継がせる状況ではなかったため廃嫡されてしまい、敬三は祖父である栄一に正装姿で頭を下げられやむなく跡を継ぐことを了承したと言われています。63歳と栄一と比べても若くして亡くなりましたが、多くの功績を残した素晴らしい人だったそう。きっと苦労も多かったと思います。

一番入り口に近いところには渋沢家一族を合祀した墓石が建っています。建立者は渋沢雅英さん。

渋沢家墓誌名のなかには、栄一と千代の一番最初の子供で夭折してしまった市太郎の名前も刻まれています。廃嫡された篤二とその妻の敦子の名前も刻まれていました。敦子さんは本当に辛い思いをされたでしょうね…。

なお、渋沢家の墓石は徳川慶喜の墓地の方向を向いて建っているのだそうです。

渋沢家の墓石の正面にあるタブノ木の向こう側に、徳川慶喜の墓地があります。栄一と慶喜はこの世を去っても固い絆で結ばれているのですね。

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徳川慶喜のお墓

徳川慶喜のお墓は谷中霊園の敷地内の「寛永寺墓地」エリアにあります。渋沢家墓所からは距離的に近いことは近いのですが、道が少し入り組んでいるので慣れないとちょっと迷うかもしれません(とにかく敷地が広大なので 汗)。

徳川慶喜は1913年(大正2年)に77年の天寿を全うしました。葬儀委員長は渋沢栄一が務めたそうです。

歴代の徳川家将軍の6人か菩提寺のひとつである寛永寺の敷地内の墓地に眠っていますが(徳川家のもうひとつの菩提寺は増上寺)、仏式で埋葬されています。しかし、慶喜は明治天皇に許可を得て神道式で祀られることになりました。これは、慶喜が天皇への敬意を表した故と言われています。それゆえ、他の将軍とは離れた谷中霊園の敷地内に眠っているとのこと。

向かって左側が徳川慶喜右側が正室の美賀子のお墓になります。

普段は門が閉まっているので近づいてのお参りができないので策の外からということになり見えないのですが、さらにその後ろには慶喜の側室のお墓もあるそうです。

神道式ということで、お墓の形は皇族と同じく円墳になっていました。

慶喜の孫の代からは火葬され一族の墓として合祀されているそうです。

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著名人のお墓

広大な谷中霊園には多くの著名人が眠っています。そのほとんどを巡ってみたかったのですが、帰りの飛行機の都合などもあり駆け足参拝となってしまいました(汗)。

歩いていて目に留まった数人の方のお墓をいくつかご紹介します。

また、大河ドラマで高木渉さんが演じた玉乃世履の立派なお墓も目を惹きました。

玉乃世履は初代大審院長となった人物でしたが、病で療養中に刀による謎の自害を遂げてしまいました。今もその理由ははっきりしていないそうです。

墓地の管理をしているかのようにのんびり歩く猫さんが可愛かった。

今回はあまり時間が取れず多くを巡ることができなかったのですが、また訪れる機会があった時にはもう少しゆっくりお参りしたいと思います。

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