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NHK大河ドラマ『青天を衝け』最終回ネタバレ感想 青春はつづく

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そして時代は一気に進み…なんと昭和6年(1931年)にジャンプアップ。あっという間に栄一の晩年まできてしまった(汗)。

昭和2年、栄一は日米親善のため設立された「日本国際児童親善会」の会長に就任。アメリカから1万2千体の”友情人形”が贈られ、日本からは”答礼人形”として市松人形を58体贈ったとされています。
青い目の人形を抱く渋沢栄一の写真は有名なので、このエピソードは放送されるかなと期待していたのですが…こちらも時間の都合でカットされたようで残念です。

91歳になった栄一の周りにはたくさんの孫やひ孫が集まっている。新選組の物語を読んでいたのは渋沢華子。栄一と兼子の息子・秀雄の娘にあたります(つまり栄一の孫)。

その話の中に”土方歳三”という名前が出てきたとき、栄一は「土方歳三は私の友だ。私はかつてその土方と共に戦った」と誇らしげに語りだし子供たちはビックリ仰天w。まぁあれはどちらかというと戦ったというよりも”助けられた”と言った方が近い気はしますけどね(笑)。

語り合えたのは1度きりだったけれど、あの時確かに二人の気持ちは通い合いましたよね。懐かしいなぁ。でもどちらかというと「友」と呼べるのは栄一ではなくて共に箱館まで戦った喜作の方だとは思いますけどw。

その年の夏、中国は異常気象による長雨で大洪水の被害を受けてしまう。この知らせを受け日本からも支援のために「中華民国水災同情会」という団体が設立され栄一はその会長に就任。広く募金を呼び掛けていましたが、 思ったよりもなかなか支援金が集まらず頭を悩ませていました。
なんとかもっと広く日本国民に募金活動を周知させるため、副会長は飛鳥山を訪れ栄一にラジオ放送に出演して呼びかけてほしいと頭を下げる。

しかし、このところ病気がちだったこともあり敬三や兼子は「これ以上無理はさせられない」と渋い顔をする。でも、こういう時こそ立ち上がらなければと思ってしまうのが栄一です。敬三たちの心配をよそに「こんな老人がまだ役に立つと言ってくれているんだ」と独断で引き受けることを決めてしまう。

「これは中国に、日本が友人だと示す好機…!」

こんなにも国と国との交流を大切にしている渋沢栄一、本当に尊いと思ってしまう(女性関係は抜きにしてですが 苦笑)。しかし、やる気はあっても身体がなかなかいうことを聞いてくれない。この時も言葉を発している最中に咳きこんでしまいとても外出できるような体調ではなかった。
そんな様子を目の当たりにした副会長は、飛鳥山邸にラジオ放送機材を持ち込んで自宅から放送するという案を思いつきます。

ということで、多くのスタッフが飛鳥山邸を訪れ着々と放送の準備が行われていく。いかにすごい豪邸だったかというのがわかるエピソードですよね(汗)。自宅にラジオ機材やスタッフを呼ぶなんて錚々普通の家じゃできないと思うw。

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放送に向かう直前、兼子や歌子に着替えを手伝ってもらっていた栄一は少し微笑みながら「なんだかグルグルしてきた」と興奮を覚えていた様子。その笑顔が本当に可愛らしすぎて思わず見ているこちらも頬が緩んでしまったw。

そしていよいよ渋沢邸から全国に向けてのラジオ放送が始まる。

最初は少し緊張した様子でしたが、そんな中でも栄一は中華民国の水災を救うために力を借りたいと力強く訴えていく。そんな祖父の様子を敬三はじっと傍らで見守っていました。町の電器店の前にも多くの人が集まり栄一の声に耳を傾けている。その後ろには、篤二の姿もありました。

日本と中華民国とのこれまでの親しい繋がりを述べたうえで、関東大震災の折には反日運動が盛んな時であったにもかかわらず義援金を贈ってくれたことを語る。今度は日本が立ち上がる番なのだと苦しい息のなか必死に訴える栄一の言葉に多くの聴衆は心を打たれていく。

「大丈夫…、大丈夫…、大丈夫だぃ。私が言いたいことはちっとむ難しいことではありません。手を取り合いましょう。困っている人がいたら助け合いましょう。人は人を思いやる心を、誰かが苦しめば胸が痛み、誰かが救われれば暖かくなる心を当たり前に持っている。助け合うんだ」

まるで聞いている人たちの不安を払拭するかのように、父親のような優しい口調で訴える栄一の言葉に涙があふれて止まりませんでした…(泣)。真心から出た言葉だというのが痛いほど伝わってくる…。本当に吉沢亮くんのセリフは人の心を動かすよなぁ。あれはまさに言霊だったよ…!!
そして最後に栄一は、故郷の血洗島の言葉を使い人々の心に訴える。

「仲良くすんべぇ。そうでないと、とっさまや、かっさまに叱られる。皆で手を取り合いましょう。皆が嬉しいのが一番なんだで。どうか、切に、切にお願いを申し上げます…」

あの時栄一は、市郎右衛門やゑいの顔が浮かんでいたに違いない。というよりも、とっさまとかっさまの魂が栄一に乗り移っていたかのようにも見えた。幼い頃に親から教わった教えが今になってさらに深く彼の心に沁み込んでいくようにも感じられて…本当に感動しました(涙)。

ラジオ放送を聞いていた人たちの目にも涙が浮かんでいた。兼子も、篤二も、そして一番近くで見守っていた敬三も栄一の魂のメッセージに心を震わせていた…。それだけの説得力があったよ、本当に!

放送を終えた栄一はすべてを出し尽くしたかのように疲れ切っていましたが、「どうだった?届いたかな…?」と確かめるように何度も感想を求めてきた。それに対して敬三は涙を拭いながらハッキリと「ハイ」と答えました。そして安心したように寄りかかってきた祖父を優しく抱き留めてやるのでした。このシーンも本当に感動的だったな。あの時、敬三は知りたいと思っていた栄一の一端に触れることができたのかもしれないね…。

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ラジオ放送が功を奏し、募金は驚くほど集まったという。しかし、9月に満州にいた日本の関東軍が奉天郊外で列車を爆破する事件を起こしてしまったことがきっかけとなり日中関係が最悪の状況に(満州事変)
せっかく集まった日本の救援物資や募金は中国の抗議によって受け取ってもらうことができなかった…。それは、あまりにも哀しすぎる顛末だった(涙)。栄一の真心だけでも中国には届いてほしかったけれど、それを時代が許してくれなかったということか…。

ドラマには出てきませんでしたが、このあと新渡戸稲造(現在の5000円札の人)が栄一を訪ねてきて太平洋会議に出席するため上海を訪れると告げたようです。すでに病床の人となっていた栄一でしたが、そんな中でも必死に「日本の立場を弁明してほしい、救援物資を受け取ってほしいと伝えてほしい」と訴えていたとのこと(涙)。

それからしばらくして栄一の容態は見る見るうちに悪化していく。枕元には篤二も駆けつけ心配そうに見守っていました。

布団の中で栄一の手が動いたことを察した篤二は優しくそれを握ってやる。すると栄一は安心したような表情で「あったけぇなぁ~」と笑みを浮かべていました。

「手をつなぐべぇ…。みんなで、幸せに・・・」

うわ言のようにそうつぶやいた後、栄一の意識が混濁する。敬三は慌てて兼子を呼びに走る。

その日の夜、浅い息をしていた栄一がふと目を覚ます。「俺は、まだ生きているのか?」とか細い声で告げた栄一に兼子は少し苦笑いしながら「生きてますとも」と告げました。その言葉を聞いた栄一は、苦しい息のなかで意外な言葉を口にする。

「死んだら、教えてくれよ」

それを聞いた兼子は「何をおっしゃっているのですか」と思わず笑みを浮かべてしまう。ギリギリまで人を思いやりユーモアを忘れなかった栄一らしい言葉でしたね。兼子とのやり取りもなんだかこの二人らしさが出ていてこんな状況でもほっこりしてしまいました。

実際栄一は危篤になる2-3日前に、脈を測っていた医者に対して「死んだら教えてくださいよ」と告げたそうです。周りにいた人たちは思わず笑ってしまったのだとか。

そして昭和6年11月11日。多くの親族に見守られながら渋沢栄一は91年の生涯を閉じました。

孫たちが神妙な顔をしながら永遠の眠りについた栄一に頭を下げていくなか、兼子は「なんと穏やかなお顔でしょう…」と感慨深そうにつぶやいていました。歌子も、篤二も、敬三も、みんなそれぞれ栄一の生涯に想いを馳せているようでした。

激しい時代をひたすら突っ走ってきた栄一は、最後はとても穏やかで安らかな眠りについたのですね…。

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12月、二松学舎の講堂で栄一の追悼式が行われた。多くの人が集まるなか、栄一の後継者である敬三は壇上に登り挨拶を述べる。その中で彼は「祖父が偉人のように言われるのをなんとなく的外れな批評のように思っていた」と意外なことを語り始めました。

「私にとっての祖父は、よく食べ、よく喋り…、本当によく喋るんです(笑)。時には自分勝手で、時には子供のようにボロボロと涙を流し、そう、偉人と言うよりむしろ、郷里・血洗島の青空の下で励む、一人の青年そのもののような気がしていたからです」

ここから、これまで歩んできた栄一の青春時代の映像が一気に流れてきたのですが…私はこれらを涙なしに見ることはできませんでした(号泣)。そう、私たちがこれまで見守ってきた”渋沢栄一”は、敬三が語るように感情表現豊かでユーモアがあっていつも熱くて突っ走るとても魅力あふれる人だった。

険しい山の頂上で太陽の光に手を翳したあの日から、栄一は「皆が幸せになる」ためにひたすら”青天を衝く”勢いで走り続けてきた。敬三が語るように、「常にもっと国を良くしたい、もっと人を守りたい」という熱い想いに突き動かされてきた人生だったともいます。

かつて栄一の母・ゑいは幼い栄一に「あんたが嬉しいだけじゃなくて、皆が嬉しいのが一番いいんだよ」と優しく教えていました。父・市郎右衛門からの「物の道理だけは踏み外すなよ」という教えは色んな意味で守れたかどうか怪しいところでしたが(女性関係とか、ね 苦笑)、母の教えは命が尽きる瞬間まで守り続けたと思います。

栄一は両親から以外にも多くの人たちから心に残る言葉をかけられていました。

平岡円四郎から告げられた「お前はおまえのまま生き抜け、必ずだ」という約束、徳川慶喜から告げられた「この先は日本のために尽くせ」という約束、そして最愛の妻・千代からの「お前様の心が誰よりも純粋で温かいことも知っています」という励ましの言葉…。どれも栄一の血となり肉となり、彼が動く原動力になっていたのではないでしょうか。

そんな彼の辿ってきた人生に想いを馳せながらも、敬三は叶わなかった出来事にも触れていた。

「全力を尽くしても、その成果は棒ほど願って針ほど叶うことばかりで…。偉人という響きは、どうも祖父には似合いません。皆さんには、祖父の失敗したこと、叶わなかったこともすべて含めて、『お疲れさん』と、『よく励んだ』と、そんな風に渋沢栄一を思い出していただきたい」

まさに彼の言う通りだと思う(涙)。最善を尽くしても、そのすべてが叶ったわけでは確かになかった。どちらかと言えば苦難の道の方が多かったようにも思う。でも、栄一はたとえどんな結果になろうとも、その時その時に全力を出して向かって行っていました。その姿勢こそが大切なのではないかと私は思います。

最後に敬三は、栄一から託されたという伝言を読み上げました。

「長い間お世話になりました。私は百歳まで生きて働きたいと思っていましたが、今度という今度はもう立ち上がれそうにありません。これは病気が悪いのであって私が悪いのではありません。死んだ後も、私は皆様の事業や健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも、他人行儀にはしてくださらぬようお願い申します。渋沢栄一」

このラストメッセージの最中に、栄一と篤二が笑みを浮かべながら仲良く庭の雑草を抜く回想シーンが挟まれていました。

震災の時に再会してから二人の関係はようやく修復したのだと思っていたけれど、まさかここでその後日談のような場面が出てくるとは思わなくて…もう大号泣してしまった(涙)。短い時間だったかもしれないけれど、栄一と篤二はドラマの中では親子らしい時間を持つことができたんですよね…。それだけでもう、感無量です(涙)。

敬三のスピーチも、本当に素晴らしかった!!ずっと栄一の傍で学び続けてきた彼だからこそ感じた素直な想いが込められた素敵な内容だったと思います。

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そしてOPの音楽が流れだすなか、栄一の故郷である血洗島を訪れた敬三の場面が出てきました。それがいつの時代なのかは定かではありませんが、おそらく何かの答えを求めて血洗島を訪れていたのではないかと思います。

桑畑を抜けていった先に、大きなひこばえの木が立っていた。それはまるで敬三を出迎えていたようにも見える。木の下に立って周りの景色を眺めていると、遠くの畑から一人の月代姿の青年が「おう!!」と声をかけてきた。それは、血洗島で百姓をしていた頃の渋沢栄一の姿だった。

敬三は若き日の栄一に大きく手を振り返す。すると栄一は「今の日本はどうなっている!?」と問いかけてきた。それに対して敬三は少し困ったように「それが…、恥ずかしくてとても言えません」と答えた。
しかし若き日の栄一はそんな敬三を「何言ってんだい!!」と笑い飛ばしながら「まだまだ励むべぇ!!」と意気揚々と畑を耕し始めました。

どんな困難が立ち塞がっていても、栄一はそれを突き破ろうともがき常に前を向いて励んできた。敬三はその目に映った若き日の栄一の姿を必死に焼き付けようとしているようだった。あれはきっと、悩める孫に向けた精いっぱいの栄一なりのエールだったのかもしれない。新たな決意を胸に秘め、強い眼差しで血洗島を後にする敬三の姿がものすごく頼もしく見えて…涙が止まらなかったよ…(泣)。頑張れ敬三!!思わずそう声をかけたくなる背中だった。

畑を耕し続ける栄一の耳に、自分の名前を呼ぶ愛する父や母の声が聞こえてきた。さらに姉や妹、使用人のみんな、喜作、円四郎、慶喜、そして千代…。栄一が愛した人たちの呼びかけてくる声が次から次へと聞こえてくる…!!

こんなん、泣くしかないっしょ(号泣)!!!

栄一は大声を上げて笑いながら声のする方向へ一目散に駆け出していきました。ものすごい勢いで疾走していくその先には、きっと彼を愛した人たちが笑顔で待っているはず。

その頃敬三は突き抜けるような青天を見つめていました。

そしてかつて栄一がしたのと同じように、光り輝く太陽に向けて手を伸ばしそれを掴みにいく。この場面も本当に印象的で涙なしには見られなかった(泣)。栄一の魂を、敬三は見事に引き継いだのだと確信したワンシーンでした。

敬三は栄一の死後、「子爵」の称号を受け継ぎました。彼もまた多くの事業を成し遂げることになりますが、1963年、67歳という若さで世を去ることに…。

ありがとう、渋沢栄一!!「お疲れさん、よく励んだ」と大きな声でそれまでの人生を労いたい気持ちでいっぱいになりました。最後は時間が足らずにものすごいスピードでドラマが展開せざるを得なくなりましたが、最終回は本当に素晴らしいまとまり方だったと思います。

でもやっぱり、あと4話くらいはほしかったかも…。もっと大森さん脚本での栄一のドラマを見てみたかったです。幕末から明治にかけてをかなり時間をかけて描いた関係で、後半の栄一の人生最盛期が駆け足状態になってしまったことがちょっと残念だった。オリンピック期間中も放送続けてほしかったなぁ…。

『青天を衝け』のすぐあとに次の大河ドラマのPRが入りましたが、今回はうまくそちらに気持ちを持っていくことができませんでした。それほど私の中では『青天~』は特別な大河ドラマだったのだなと改めて感じる次第。

あと、佐藤直紀さんの劇判が本当に最高すぎました!!元々佐藤さんの音楽は大好きでいつもCDを購入しているのですが、『青天~』はそのなかでも最高傑作と言ってもいいと思います。

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そして最後に、主演の吉沢亮くん、本当に素晴らしい熱演でした。初期の栄一と、最終回のラストシーンの栄一とでは、表情がだいぶ変わったなぁと思うほどでした。
ドラマが始まった頃は「顔がいい」ということばかりが注目されてしまいがちだったけど、いつの間にかそういった声を聞かなくなりましたよね。顔ばかり注目していたマスコミを黙らせた吉沢くんの確かな表現力は本当にアッパレとしか言いようがない。以前から彼がコツコツと俳優を頑張ってきた姿を見て密かに応援してきたので、そのことが私は本当に嬉しかった。

吉沢亮くん、本当に本当に長丁場で大変な撮影、お疲れ様でした!!最高の渋沢栄一を演じ切ってくれて感謝の気持ちでいっぱいです。おそらくご本人も天国で喜んでると思う。今後の活躍が本当に楽しみでなりません。 応援してるよ!

ということで、ついに、大河ドラマ感想を全話書き切ることができました(年末ぎりぎりになったけど 汗)。ここまで拙い私の感想を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

次回大河ドラマは、様子を見てテンションが上がった時に書くかもしれません。時代的には大好きで期待したいのですが、好みに合うかどうかは見てみないと分からないかなぁ(新選組は最初から大好きだったけど、真田丸は初期の頃は脱落考えたほどだったので 苦笑)。次回作の『鎌倉殿の13人』も面白い大河ドラマになりますように。

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吉沢亮 (出演),高良健吾 (出演) ,草彅剛 (出演)
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