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NHK大河ドラマ『青天を衝け』第22回ネタバレ感想 篤太夫、パリへ

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いよいよ今週から「パリ編」に突入しました。新型コロナ禍の影響でフランスロケを断念せざるを得なかったとのことですが、いったいどのような映像に仕上がっているのか放送前から注目が集まっていました。結果、かなり高いクオリティのシーンに仕上がっていて見ていてワクワクしましたね。
さらに、ストーリー展開のテンポの良さも素晴らしい!!まるで漫画を読んでいるかのような面白さで…たぶんこれまでの『青天~』で一番クスッって吹き出す回数が多かったかも(笑)。

1867年、慶応三年・・・、ついに篤太夫はフランスのパリへ向けた船に乗り込みました。
ところが、前回放送では期待に胸膨らませてキラッキラした横顔を見せていた篤太夫だったのですが・・・ふたを開けてみれば船酔いに苦しめられる羽目になっちゃってましたw。一応はフランス語の勉強もやろうとしていたようなのですが、どうやらそれどころではなくなってしまい断念したと記録に書かれているそうな(汗)。まぁ、あれキツいからねぇ…、勉強どこじゃなくなるっていうのわかるw。

もう一人船酔いに苦しんでいたのが外国奉行・向山一履さん。かつて樺太へ赴き測量を行ったりロシア人との交渉をしたりと外国人には少し慣れた方だったようですが、船旅はまだ苦手なようでしたね(汗)。
ちなみに、フランスへの旅は2度目という杉浦愛蔵田辺太一は余裕の表情。愛蔵は涼しい顔で船上で旅日記までつけちゃってる。田辺さんは1度目のフランス赴任でけっこう苦い想いをしてたらしいので今回の派遣はあまり乗り気じゃなさそうに見えましたw。

しかし、船酔いばかりで辛い旅…というばかりではありません。篤太夫が最初に受けたカルチャーショックが「洋食」でした。
スマートにパンを割りバターを塗って食べる愛蔵をよーーく観察して同じように口に入れてみると…これまで味わったことのない美味しさにめちゃめちゃ衝撃を受ける篤太夫(笑)。当時のパンはけっこうパサついてる印象がありますが、それでも篤太夫にとっては初めて受けたであろう食の感動だっただろうと思います。

さらにコーヒーまで受け入れちゃうのがすごいなと。ブラックだったらどうなったかわからないけど、ミルクと砂糖(スプーンでガンガン潰してたのって砂糖じゃないかなと思ったのでw)が入ったものはかなりお口に合ったご様子。「すこぶる胸が爽やかだ!!」と感動してたので、もしかしたらブラックコーヒーもイケるくちなのかもしれません(笑)。

それにしても、当時の日本から欧州までの旅は本当に大変だったんだなぁと改めて思いました。スエズ運河はこの時まだ建設中で船では行けない状況だったとのことで、陸路を経て再び船…とは(汗)。そりゃ、2度もこれを経験してる愛蔵くんや田辺さんは船旅に慣れるはずだなと。
パリに到着したのは、日本から出発して55日目のことでした。約2か月もかかったんですねぇ。しかも危険な船旅。そりゃ篤太夫の家族も心配して気が気じゃなくなるよ(汗)。

パリに到着した一行が最初に向かったのは、凱旋門でした。

フランス・パリのエトワール凱旋門は、1806年にアウステルリッツの戦いに勝利したナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、1836年に完成しました。しかし、当のナポレオンは1815年にセントヘレナ島で幽閉され、凱旋門の完成を見ること叶わず1821年にその生涯を閉じてしまいました…。

エトワール凱旋門の頂上ヘは現在も階段で登るようになっているそう(約280段ちょっと)で、途中にいくつか休憩スペース(展示コーナーや土産物屋)のような場所が設けられてるとのこと。

篤太夫はスエズ運河の建設を目の当たりにしたことに衝撃を受けたらしく、長い螺旋階段を上りながらもずっとそのことについて喋り続けていますw。そんな彼の後ろ姿を見た愛蔵は「元気だなぁ、渋沢くんは」とちょっと呆れ顔でしたねww。篤太夫にとっては疲れよりも初めて見るものの多さに興奮したアドレナリンが勝っててとんでもないテンションになっていたと思われます(笑)。

やっとの思いで頂上に辿り着いた篤太夫は目の前に広がる壮大なパリの街の風景に驚愕。

お喋りな篤太夫もこの時ばかりはあまりにもすごい景色を目の当たりにして「これが…パリ…」と呟くのがやっとだったようです。目の前の光景が夢の世界のようで、胸がグルグルするのを越えちゃった感じだったでしょうね。
ちなみにこの映像はVFXで製作されたものとのこと。吉沢くんの表情のお芝居が素晴らしく、本当にパリの街を眺めているかのようでした!

以下、第22回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

『青天を衝け』第22回 篤太夫、パリへ

2021年07月11日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、橋本愛、板垣李光人、志尊淳、池田成志、ディーン・フジオカ、石丸幹二、草彅剛、ほか

あらすじ

パリに到着した篤太夫(吉沢 亮)たちは、さっそく万国博覧会の会場を視察。蒸気機関やエレベーター…最先端の西洋技術を目の前にして度肝(どぎも)を抜かれる。しかし、日本の展示ブースに行くと、そこには薩摩の紋が高々と掲げられていた。幕府使節団は薩摩に抗議するが、モンブランと五代(ディーン・フジオカ)が裏で手を引き、幕府と薩摩は同格の政府であると風聞が流れる…そんな中、昭武(板垣李光人)はナポレオン三世の謁見式に出席し、堂々と慶喜(草彅 剛)の名代としての役目を果たす。そのころ日本では、慶喜が次々と幕政改革を打ち出していた。

<公式HPより引用>

徳川昭武御一行様、パリのグランドホテルに到着。先にラウンジに入った水戸藩士たちが危険がないことを確認したうえで跪いて昭武を出迎えてました。西洋人が見たらビックリする風習に見えたに違いない(笑)。ただでさえ目立つ着物姿御一行様だしww。

そして篤太夫も列の最後のほうから未知の世界に入室。

「ほぉぉーーー!!!」としか言葉が出ないほどビビる気持ち、よく分かるよ。そんななか、初めての外国にも拘らず、動じずにシャンとした姿勢でパリの領事館と向き合ってる昭武が素晴らしい。さすがは慶喜が見込んだプリンスだけのことはあります。

と、ここでちょっとしたトラブル発生。フランス現地で通訳を担当することになっているカション神父が同行者の中にアレクサンダー・フォン・シーボルトの姿を見つけると「私が正式な通訳として頼まれてるのに、なんであいつが一緒にいるんだ!?」と不信感をあらわにしてくる。
それに対して外国奉行の向山はカションがキリシタンであることをバカにしたような態度を取りつつ「シーボルト殿にはえらく世話になってるから、しばらく一緒に行動してもらうことにした」と平然と言い放つ。これはカションさん、怒るのも無理ないわ(汗)。しかもシーボルトのあのドヤ顔といったらwww。さらに彼は”イギリス”側の人物ゆえに余計腹が立つわけです。

アレクサンダー・フォン・シーボルトの父親は、オランダ商館付の医師だったフィリップ・フォン・シーボルトです。日本調査のためご禁制の日本地図などを持ち出そうとしたことが発覚し、国外追放処分となった人物でした(シーボルト事件)。
長崎出島滞在中に日本人妻と結婚してできた娘に日本初の女性産科医となった楠本イネがいます。アレクサンダーはイネの異母弟。

とりあえず篤太夫は自分に課せられた仕事を黙々とこなすのですが、パリに敵の薩摩も来ているという話が耳に入り心がざわつきます。これは何か事件の予感が…、と、思ったら、さっそく気性の荒い昭武を護衛するために強引についてきた水戸藩士たちが問題を起こしてしまうw。

彼らが烈火のごとく怒っているのは、給仕さんが昭武に直接「コーヒーはいかがでしょうか」と声をかけたことでした(汗)。西洋人にはごく当たり前な光景でしたが、水戸藩士たちにしてみれば、アカの他人が直接”民部公子”に口をきこうとすることなど絶対にあってはならない出来事だったわけです。
傍にいた別の人物が「ただ飲み物を運ぼうとしただけだから」となだめようとしますが、「給仕は自分たちだけができるお役目、我々は命に代えて護衛するのみ!」として一斉に跪く。まさにそこだけが異様な雰囲気になって悪目立ちしまくってる(笑)。

水戸藩士の猛者どもをなんとかうまく調整するようにという使命も受けていた篤太夫は、慌てて彼らのもとに駆けつけ「ここはフランスだから、郷に入っては郷に従えということで」となだめようとする。しかし「どこにいても我々は大和男児、日ノ本のしきたりに反することは致しかねる!!」と一切耳を貸そうとしませんw。

ということで…、致し方なく篤太夫はコーヒーカップを側近に手渡し、毒見をしたうえで(笑)そこから昭武へと渡してもらうことで手を打つこととなりましたw。
っていうか、毒見した方、「うぉぇーー…」ってまるで毒食らったような表情してたぞwwww!?苦いコーヒーが口に合わなかったんじゃねww!?私はてっきりそこで「こんなもん飲ませられるか!」って突っぱねるんじゃないかと思ったんですが…意外にも昭武に差し出してましたね。っていうか、あんな顔して飲まれたものを…いや、その前に側近があからさまに味見したものを差し出すなんて、それこそ問題じゃないのwwww!?この一連のシーンはまるで漫画のようで大笑いしながら見たのですが、実際、こんなこともあったんだろうなと思いましたw。

これは相当面倒くさい人たちが一緒についてきちゃったよなーーー(笑)。篤太夫は今後こういうシーンを何度も目にするはずw。こりゃ先が思いやられるよw。大丈夫か!??

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その後篤太夫たちはいよいよ万国博覧会の見学へ出かけることに。羽織袴でチョンマゲ姿の御一行様がぞろぞろとやってきたもんだから、洋装姿が当たり前となっていたパリの西洋人たちは「妙な人たちがやって来た」って目で見ただろうねw。歩くだけで注目の的だったと思います。博覧会の展示物よりも物珍しいと思われてたかもww。

見るもの全てに衝撃を受けまくっていましたが、特に篤太夫が興味を持ったのは巨大な蒸気機関でした。シーボルトによると、イギリスで発明された蒸気機関が船や鉄道に活用されたことで一気に世界が変わったという。このエピソードは、後々の彼の事業に大きな影響をもたらしそうですね。

さらに篤太夫と凌雲は「窮屈そうな箱」wwに人々が入っていくのを目にします(エレベーターですね)。とりあえず中に入ってみようということで西洋人に交じって乗り込む篤太夫たち。するとすぐに入口を閉められ鍵までかけられ…「まるで牢屋じゃねぇか!!」と狼狽えまくる篤太夫www。たしかに牢獄に閉じ込められたって思い込んでもおかしくない状況だっただろうな、あれは(笑)。
で、オロオロしていると突然箱が上に向かって動き出してビックリ仰天ww。篤太夫の動悸がこちらにも伝わってくるほどビビってたのが可愛くて仕方なかったぞw。

そしてそれは博覧会場の最上階にあっという間に到着。着くや否や真っ先に飛び出し階段を上っていく篤太夫。屋根の上に出てパリの街を目の当たりにしたときの衝撃はいかばかりだっただろう。あまりの規格外な出来事の連続に笑うしかない篤太夫と凌雲。

「参った!!!物産会どころか、何日かけても見切れない品ばかり。にもかかわらず、ちっぽけな俺は言葉も通じず、その品々を見定める目も、考える頭すらない。夢の中にいるみたいだ」

想像を超えた世界に踏み込んだことで、自分がちっぽけな人間だということをいやというほど思い知らされた篤太夫。しかし、その悔しい想いと同時に彼の心の中にはまだ見ぬ世界への期待感が渦巻いていました。目がキラッキラしてたもんね。この時感じた興奮と感動は、後の篤太夫に大きく影響していくに違いないだろうなと思いました。

そして地上に降りた篤太夫たちは大会場から少し離れた場所にある日本の出展コーナーへと足を運びました。「JAPON(ジャポン)と書いてあるぞ!!日の丸だ!!」とまるで子供のように無邪気に興奮する御一行様たちが可愛らしいw。
ところが、ここでまたもや問題発生。なぜか「LIOU-KIOU(リュウキュウ)」と掲げられたコーナーがすぐ近くに設けられていたのです。つまり、琉球王国(現在の沖縄)が独自に出展したコーナーということ。

中に入ってみると…なぜか薩摩由来の品々が所狭しと並んでいる。しかも島津の旗までぶら下がっている。”日本”のコーナーではなく、”琉球”というスペースを間借りして「薩摩」の品々を展示してあることに篤太夫たちは大きな不信感を抱いてしまいます。

もともと琉球は独立した王国でしたが、1609年に関係が悪化していた薩摩が侵攻してきて降伏せざるを得なくなりました。その結果、薩摩は徳川幕府から琉球を領土として認められることとなります。

「これではまるで、日ノ本と薩摩と二つの国があるみたいじゃないか!!」

憤りを隠せず篤太夫が叫んだ時、「ようこそパリへ!」とやたら馴れ馴れしい異人が話しかけてきました。

「私の名前はモンブランです」

愛想のいい笑顔を振りまきながら名刺を配りまくるモンブラン


この時渡された名刺に刻まれていた「白山」とは、フランス語で「白い山」という意味。フランスとイタリアの国境にまたがるヨーロッパ最高峰の”白い山”をイメージして、モンブランは日本では「白山伯爵」と呼ばれていたのだそうです。

しばらく呆然としていた篤太夫でしたが、はたとその名前に聴き覚えがあると気づく。それは、日本を出発する前に福地源一郎が「モンブランというフランス人には気をつけろ」と忠告していた、まさにその人だったのです(笑)。

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外国奉行の田辺太一はさっそくモンブランと薩摩藩家老の岩下佐次右衛門と対談することに。岩下は「民部公子様がこちらにいらっしゃるということでご挨拶に」と社交辞令を述べますが、田辺は憤った表情で「琉球名義で薩摩がその品々を出品しているというのはいかなることか!?」と問い詰め一気に緊張感が高まります。薩摩を国の旗としてアピールしていることも物申しておかないとね!

「あれは独立という意味も含んでるんじゃないのか!?」と迫られた岩下でしたが、余裕の表情で全ては琉球国博覧会委員長のモンブランに任せてやったことだと笑いながら答える。言いたいことがあるならモンブランに聞けと返されてしまった。日本人とやり取りするより、外国人とやり取りするほうがやりづらいことを見越しての作戦だろうね(汗)。

モンブランが言うことには、田辺は以前モンブランの協力の申し出を断っていたらしい。さらに「私は幕府も貿易も助けたかったのに、みんなそれを悉く否定してきた」と嫌味をかました後、「五代は違った」と告げるモンブラン。この博覧会の計略に、あの五代様が大いに関わっていたわけです。

「これからは新しい感覚を持った人が新しい国を作るべきだ」と語った五代才助の言葉に共鳴したモンブランは彼に協力することを決めました。五代は幕府を出し抜いて薩摩の国力を誇示しようと以前から作戦練ってましたからね。博覧会に関しては完全に先手を取ったことになります。

朝ドラ『あさが来た』ではホワイトなイメージでとても爽やかだったディーン・フジオカさんの五代様でしたが、今回の大河では薩摩のために暗躍するブラックな存在で描かれていてとても興味深いです。すごいやり手な人物だったというのが伝わって面白いですね。
っていうか、おでぃーん様の五代様は黒かろうが白かろうが…カッコよくて素敵な対象であることには変わりない(笑)。登場するだけでドキドキします、ホントに。しかもネイティブな発音の英語が駆使されてるのもカッコいい!!この先もできるだけ長く登場してほしいわ~、おでぃーん様の五代。

この話を扉の外で聞いていた篤太夫は「五代」という名前を以前西郷から聞いたことを思い出していました。この時はまだ、後々自分が彼と東西を二分する存在になるなんて思いもしなかっただろうね。

田辺は苛立ちを露にしながら「琉球という文字と薩摩の旗を何としても外して、全て”日本”のもとに展示するように」と迫ります。さらに「琉球国王」という表示も「大君(将軍)」にするようグイグイ圧力をかける。
ところが、岩下には全くこの脅しが効いていないようでw「薩摩が出品する形じゃなきゃ承服できん」と反論。まさに一触即発状態に突入してしまった両者。これでは埒が明かないと判断した杉浦愛蔵は「そろそろ時間です」と水入りを宣言しに行きました。

するとモンブランが妙案があると一つの事を提案してきた。

「”琉球国王”という表示をやめて”薩摩太守”という表記に変えるのはどうか」

それを聞いた田辺は「大君」よりも「薩摩太守」のほうが格が下だと判断してそれを了承してしまいました。薩摩の品もそのうえで「JAPON」のもとに展示するということで話が付きます。しかし愛蔵はそんなにやすやすと条件を飲んでしまった田辺に不安を覚えた様子。たしかにねぇ…、あの雰囲気はなんか「一件落着」ってめでたい感じじゃなかったからなぁ(苦笑)。

で、後日…、愛蔵の不安は現実のものとなってしまうわけです。

「日本」コーナーのなかで幕府が出展したものには”大君”グーヴェルヌマン、薩摩が出展したものには”薩摩太守”グーヴェルヌマン、という表記が置かれていました。
それを見た現地の新聞記者は「日本は連邦国である」と記事にしてしまったのです。”グーヴェルヌマン”とは、英語に略すと”ガヴァメント”・・・つまり、『政府』って意味ですからね(汗)。日本国内では「太守」と「大君」に差別があることが理解できたとしても、西洋の人にはそんなこと知ったこっちゃないわけですw。田辺さん、なぜそれに気が付かなかったんだーーー(苦笑)。

「将軍とは、日本の中の有力な一大名にすぎず、薩摩太守やそのほかの大名と同じ一つの領主である」

幕府の権威を世界に示すどころか、薩摩やほかの藩と同等という立ち位置で見られてしまうことになってしまった(汗)。将軍と大名が同列と捉えられてしまったことに一行は動揺を隠せません。さらに悪いことに、「将軍とは、他よりもやや力があるに過ぎない」みたいな記事まで書かれてあるらしい(苦笑)。そして最後には…

「田辺なる男はシャンパンを飲みすぎて化けの皮が剥がれた」

と名指しでバカにされるという羞恥記事まで(苦笑)。これはちょっと田辺さんには気の毒すぎましたなぁ~。まぁ、あそこで深く考えずにモンブランの口車に乗っちゃったのが運のツキではあったんだけどさw。「酒は一滴たりとも飲んでないぞ!!」と必死に弁解しても周りの目は覚めたままww。

それにしても…田辺太一さん、実物のお写真とよく似ておられますw。

ウィキペディアより出典

演じているのは山中聡さん。それにしても「田辺太一」…惇忠兄ぃを演じてる「田辺誠一」さんと一文字違いの方がいらしたとはw。

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同じころ、昭武たちに同行していたシーボルトはイギリス外務省にある手紙を書いていました。そこには、幕府一行には自分はまだ怪しまれる存在ではないこと…、薩摩がモンブランと手を組んで幕府にダメージを与えたこと…、といった内容が記されている。
なんと、シーボルトは幕府一行に付けられたスパイだったのです(汗)!!みんなそのことに全く気が付いていない…。このままだと幕府側の情報がダダ洩れになってしまうぞ(汗汗)。

ちなみに、当時の新聞に掲載された幕府使節団の写真はここ最近よく目にするやつですね。

向かって一番左端に顔の半分だけ映っているのが渋沢栄一(当時は篤太夫)です。

そんな最中、徳川昭武がナポレオン三世の謁見の儀式に臨む日が訪れました。

ナポレオン三世は、ナポレオン・ボナパルトの甥に当たります。
徳川慶喜は互いの政権を強化する目的で、ナポレオン三世と協力関係を築いていました。

ナポレオン三世との謁見は、新聞記事によって陥落した徳川幕府の権威を押し上げる絶好の機会。一同も粗相がないようにと極度の緊張状態にあったと思います。周囲は好奇の目を向けまくっている。そんななか、昭武は表情を変えず凛とした雰囲気で佇み堂々とした立ち居振る舞いを見せました。ナポレオン三世も大いに満足した様子でした。昭武は使節団のミスで落ちた評価を自ら挽回したことになりますね。徳川プリンスとして申し分ない人物だと思います。

この謁見シーンは本来であれば現地ロケを行う予定だったそうですが(実際のチュイルリー宮殿は消失して今はありません)、新型コロナ禍によって渡航を断念せざるを得なくなってしまったとか。しかし、VFXのみではリアリティに欠けると判断した制作陣が、パリにいる現地スタッフに指示してナポレオン三世謁見場面のシーンを実際に撮影してもらったのだとか。

そして日本ではグリーンバックで昭武一行が進むシーンを撮影。

現地フランスと日本の映像を合わせるために秒数を測っての緻密な作業だったそう。そしてそれを融合させたのが今回放送された場面とのことです。

放送を見ると、多少日本で撮影した場所の色具合にズレが生じている部分はありましたが(日本で撮影したほうがスタジオの分ちょっと色が濃かった)、荘厳な迫力あるシーンに仕上がっていたと思います。今の放送技術、本当にすごいですね!!

長くなってきたので次のページへ。

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