こちらの記事は、GW鹿児島『西郷どん』旅の記録の続きになります。
大河ドラマ『西郷どん』ゆかりの地レポ一覧
大河ドラマ『西郷どん』感想一覧
これまでドラマの撮影地を中心にレポートしてきましたが、今回から実際の西郷さんに関わる場所について紹介していこうと思います。
まずはドラマでも印象的に描かれた、西郷吉之助と入水した月照さんゆかりの地についてレポートします。
『西郷どん』紀行(月照ゆかりの地)
参考 『西郷どん』第17回 西郷入水感想
『松屋』 喫茶・維新の庵 (博多・太宰府)
「西郷どん」本編第17回冒頭、幕府に追われる身となった月照を守るために吉之助と俊斎が共をして薩摩に向かう場面が出てきました。そのときには既に「熊本まで来た」ってことになってて(苦笑)スルーされてしまった場所があります。
太宰府へ向かう参道にある薩摩藩定宿だった『松屋』さんです。
幕府から追われる身となった月照と西郷は、苦難の旅の末に太宰府の参道にある薩摩藩定宿となっていた『松屋』に身を寄せることになりました。ドラマでは西郷と月照は最後まで一緒に逃げていたようですが、実際はひとまず月照さんをこちらの『松屋』に匿ってもらい、西郷は受け入れ態勢を整えるために先に薩摩へ向かったそうです。
ちなみに、当時月照と一緒にいたのは福岡藩士の平野國臣だったとのこと。
現在は喫茶店「維新の庵」とお土産屋さんになっています。太宰府では有名な梅ヶ枝餅を店頭で焼いていて、店内でも頂くことができます。もちろん持ち帰りも可能です。
※↑写真はクリックすると大きくなります。
喫茶店の外はきれいな庭園となっていますが、そこに薩摩藩定宿として使われていた建物がそのまま残されています。中は非公開ですが、外見を見ることができます。
この宿の2階部分に月照は匿われたそうです。
丁重に匿ってくれた宿の当主・栗原孫兵衛に大変感動した月照は、薩摩へ向かう前に歌を残していきました。
「言の葉の花をあるじに旅ねする この松かげは千代もわすれじ」
その歌碑が、喫茶店の庭に建てられてます。
月照が入水した後、匿った罪で松屋の当主・孫兵衛も福岡藩に捕えられ酷い拷問を受けてしまったのだとか…。しかし何とか命を繋ぎ、それ以後も三条実美ら五卿が京から太宰府(延寿王院)へ追われた際に密会場所を提供するなど尽力したそうです。
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松屋のアクセス
月照上人入水の地
ようやく薩摩へ到着したものの、斉彬亡き後に体制が変わったとの理由で月照は幕府から守ってもらえないこととなってしまいました。
月照受入れのために薩摩で尽力したのはドラマでは正助ということになっていましたが、実際に奔走したのは先に薩摩入りしていた吉之助だったそう。しかしその奮闘虚しく藩から受け入れを拒絶され月照には日向送り(処刑の意味があった)の沙汰が下ることになってしまった。
西郷は日向送りになる月照に同行し、せめてもの謝罪の想いから共に錦江湾の沖へ身を沈めたようです…。
出立したであろう場所には、「忠誠月照上人追悼之碑」と書かれた石碑が立っています(昭和2年に作られたそう)。
ちなみに見学したこの日は大変な豪雨で、碑のそばまで行くのにもかなり難儀しました😅。
場所は、仙巌園から国道10号線を数分走った線路際になります。なお、駐車場はありません。
アクセス
西郷隆盛蘇生の家
月照上人入水の地から仙巌園方面に少し戻ったところの線路脇に、西郷隆盛蘇生の家があります。
真冬の錦江湾に身を投げた西郷と月照は、一緒に乗っていた船頭と平野國臣に発見されて引き上げられます(大久保に発見されて西郷邸で息を吹き返したというのはドラマの創作です)。
その後二人は漁師の坂下長右衛門宅へと運ばれ手厚い看護を受けました。西郷は何とか蘇生を果たしましたが、月照はとうとう帰らぬ人となってしまいました…。
その後西郷は名前を「菊池源吾」と変え、奄美大島へと流されます。自分だけ生き残ったことに激しい罪悪感を覚え、自分はすでに”土中の死骨”である、と心を閉ざしていました。
このあたりはドラマの第18回で触れられていました。
ちなみに、ドラマには登場しなかった福岡藩士の平野國臣ですが・・・西郷を救った後も尊王攘夷運動に没頭します。しかし、1863年に討幕の挙兵をしたものの失敗して獄へ捕らわれ、禁門の変の影響で火事が広がると、脱走の恐れありとの理由で処刑されてしまったそうです😭。
西郷と縁も深い人物だったようなので、ドラマにも登場してほしかったです…。
蘇生の家の入口には「西郷先生蘇生の遺蹟」と書かれた石碑があり、
蘇生の家の片隅には「月照上人遷化之地」と書かれた石碑と祠がひっそりと佇んでいました…。
この場所も線路脇にあり、駐車場などはありません。
当日は前述したとおり相当の豪雨だったので、蘇生の家の前は沼のようになってました😅。
アクセス
月照の墓・南洲寺
元は「南林寺」だったそうですが、明治の廃仏毀釈によって取り壊されてしまい、その跡地に「南洲寺」が建立されました。ここは西郷隆盛の菩提寺にもなっています。
この「南洲寺」に月照さんのお墓が静かに佇んでいます。
明治維新が果たされたのち、墓参りに訪れた西郷は墓前で「なぜ自分だけが生き残ってしまったのか」と号泣したそうです…。想いを共にしてきた盟友だっただけに、月照の死というのは生涯西郷の心に大きな悔恨として残っていたのでしょうね…😢。
大河ドラマでもその場面はぜひ見てみたい…。
ちなみに、南洲寺隣には南林寺由緒の墓があります。そのなかに、若き日の西郷の上司だった迫田利済の墓があります。
「西郷どん」本放送に出てきた”迫田”さんとは別人ですが、この名前の人物が出てきた関係で、本放送後に「薩摩ことば指導」の迫田孝也さんがSNSで利済さんについて少し触れていたんですよね。同じ祖先かも!?とけっこう重要視していたようでw、その頃から気になっていた人物でした。
お参りできてよかったです。
それにしても、本当に凄い豪雨のなかでのお参りだったので、お墓の前に行くまでの道がことごとく池のようになっている状況で(南洲寺の門前は滝のように雨水が流れてた 汗)・・・まさに決死のお墓詣りといった感じでした😅。
アクセス
以上、鹿児島での月照さんゆかりの地の紹介でした。他にも軟禁されていた跡などあったようなのですが時間の関係で訪れることができませんでした。
月照さんについては次回もう一つ。薩摩ではなく讃岐でのゆかりの地について少しだけご紹介します。
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