2020年度大河ドラマ『麒麟がくる』が終わってから約3か月。本当ならば放送中に光秀の史跡めぐりをしたかったところでしたが、新型コロナ禍の影響が全く収まらず…福知山城と足利義昭ゆかりの鞆の浦しか訪ねることができませんでした。
2021年になっても不安な情勢が続いていますが、GW初旬に外出するタイミングができたので思い切って少し足を延ばしてきました(感染対策は念入りにして)。ほぼ人影のない場所ばかりではありましたが、一日も早く気兼ねなく史跡めぐりができる世の中になってほしいものです…。
今回は、岐阜県可児市の光秀ゆかりの地についてレポしていきたいと思います。本当は大河ドラマ館とか行きたかったなぁ…(ドラマ終了とともに閉館してしまったので 苦笑)。
「麒麟がくる」ゆかりの地レポ一覧
「麒麟がくる」ゆかりの地 -明智城跡・明智荘(可児市)-
明智城跡・明智荘
岐阜には可児市の”明智城跡”と恵那市の”明知城跡”の2カ所がありますが、近年の研究によると明智光秀とゆかりの深かった城(生誕の地)は可児市にある”明智城”説が有力なようです。
1342年に土岐頼兼(下野守)が築城。その後「明智」と改名し約200年間代々の居城として栄えました。別名は長山城。1556年、斎藤道三の息子・斎藤義龍(高政)の攻撃により落城。光秀はそれまでの約30年間をこの地で過ごしたと伝わっています。
当時の痕跡はほとんど残されていませんが、そこに歴史の香りが漂ってくるような雰囲気がある素敵な場所でした。
桔梗坂を上っていくと、復元された「大手門」は風格があります。きっと当時もこんな感じだったのかも。
登り切って少し歩くと、明智城が落城した折に犠牲となった7人の武将を祀った「七人塚」が目に留まります。
石で囲われた円形の塚が7つ並んでいました。合掌。
平良かな敷地はけっこう広く、遊歩道も整備されていて歩きやすいです。そこにいくつかの史跡跡が点在していました。
本丸跡の広い敷地には2020年6月に新しく設置された”明智光秀ブロンズ像”がありました。
大河ドラマで光秀を演じた長谷川博己さんとはだいぶ雰囲気が違いますがw、堂々たるいで立ちで存在感がすごかったです。光秀さんも明智城に戻れたような気持でいるのではないでしょうか。
本丸跡の近くには展望台があり、そこから「明智荘」を一望することができます。
『麒麟がくる』に出てきた美しい明智荘の景色がこの場所にあったのだなぁと思うと、感慨深いものがありました。
城跡から下ってきた駐車場にたまたま御城印を販売している方がいらしていたので3枚購入してきました。
このほかにもかなりの種類があって迷ってしまった(笑)。なかなか洗練されたデザインでどれも欲しくなっちゃいますww。
アクセス
大手門跡から明智城までの坂道(桔梗坂)は比較的なだらかなので登りやすいと思います。ただ、整備されているとはいえ自然の山道でもあるので、虫の多い時期は注意が必要かもしれません。
天龍寺
明智城から下りてすぐ近く(ほぼ隣)に明智一族の菩提寺である天龍寺があります。
このお寺には日本一大きな明智光秀のご位牌が安置されているそうなのですが、新型コロナ禍の影響によりお寺の中は見られないことになっていてお参りすることができませんでした…。ちなみにご位牌の大きさは6尺1寸3分(約184センチ)で、光秀の命日である「6月13日」にちなんだ大きさになっているのだそうです。コロナが落ち着いたらもう一度訪れてお参りしたいです。
お寺の駐車場奧には明智氏歴代の墓所があります。
どのお墓が誰のものかは分かりませんが、この中に光秀はいないようです。合掌。
アクセス
次回訪れた折にはちゃんとお参りしたいなと思います。