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さだまさし×大沢たかお「二人会」その1

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2曲目はさださんの故郷の長崎の町を歌った『紫陽花の詩』。これは初めて聴いたのですが、しっとりとしたちょっと哀愁漂う感じの素敵な楽曲でした。

で、ちょっとジーンとした雰囲気で終わるや否や・・・

「この歌は18の時に書きました。隠せない才能です、18ですから!」

と自分の才能自慢トークが飛び出してみんなまた爆笑www。なんだこの落差は。さらに「精霊流しは21ですから」って続きましてww。いやでも、ほんと、冗談抜きでさださんってすごい才能の持ち主だと思うよ。

さらにヴァイオリンで全国ベスト10に入った話が出てきました。このあたりの話は昨年だったか、NHKの「ちゃんぽん食べたか」ってドラマで見た気がするな。間宮祥太朗くんが出てたので毎回録画しながら見たけど、なかなか面白い良い作品でした。あれ、さださんの若い頃の体験談ですからね。

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で、この流れから、さだまさし少年の夜行列車でのある事件についての壮大な小話(?)が始まりました。これ、さだファンの人からすると「聞いたことある」ってエピソードなんでしょうか。入場券で駅構内に入りたまたまガラガラに空いていた夜行列車にふと乗り込んでしまったら扉が閉まって発車してしまった事件w。

乗車券を購入しないまま乗ってしまい、車掌さんの乗車券チェックが来て思わず「なくした」と嘘をついてしまったら前に座っていた大学生のお兄さんがお金を出してくれて、さらには食事代まで世話してくれたと。この時、お兄さんが幕の内弁当を買ってきてくれたそうなのですが、さださん実は幕の内が大の苦手だそうで。でもあまりに申し訳なさ過ぎて、その時無理して全部食べたんだとか。後にも先にも幕の内弁当を食べたのはこの時だけらしいですww。

長崎に到着した時には追いかけてきてタクシー代まで渡してくれたという大学生のお兄さん。さださんは、この大学生の彼がいなければ今の自分はいなかったとものすごく感謝しているのだそう。そういう人がいた時代だったと…。まだ温もりのある時代だったと〆てましたね。

この、23時間57分の夜行列車でのさだ少年の出来事を、まぁ~~、一本の落語のように語る語る!いやもう、あれは、落語ですね。人情話っぽい感じ。たぶん本当にあった出来事だとは思うんだけど、笑いと感動を織り交ぜながら惹きこんでいくあの話術は、さすが、落研出身者だなと思いましたよ。最後にさださんのお母様が泣きながらさだ少年の事の顛末を聞いていたってエピソードも出てきてちょっとウルっときそうになりました。

さださんのトークには、笑いの中にがあるよね。恩は着せるものではない、着た恩は返さなければいけない、その想いで今自分は活動しているって語ってたさださんの言葉がとても印象的でした。

この流れで3曲目は『精霊流し』♪去年の、あなたの思い出が~♪っていうフレーズで始まる名曲、これも知ってました。内田朝陽くん主演で映画化もされましたよね。

精霊流しを歌い終わった後、「まだ大沢君は出しませんよっ」とドS発言をしてくるさだまさしww。会場からの「ちょっとだけでも~」という声にも負けてませんでしたww。

で、今回は大掛かりなセットも照明もないということで、ただただ資金が必要なんですと訴えてました。ギター一本でこんな地味に公演を行うのは風邪に立つライオン基金の時だけって言ってて、それはそれですごく貴重な体験ができているんだなって私はひそかに感動していました。
ボランティアに行きたくても行けないと悩む人もいるけど、行ける人がいるんだから大丈夫!って強調していたのはちょっとジーンときましたね。

そして4曲目の『秋桜』。山口百恵さんへの提供曲としても有名ですね。

そろそろ大沢さんが登場か?って雰囲気になりましたが「まだ出しませんっ!」とドSさだまさし発動(笑)。「音楽と笑いは僕担当で、ビジュアルは大沢君ですから」って言ったのには爆笑でしたww。

「ここまでまだ温めておいて、そのあとドカーンと大沢君出しますから!」

みたいにさらに期待を煽ってました。上手いなぁ~、さださんw。
ちなみに、大沢さんとさださんの出会いは映画『解夏』が最初で、そのあとも『眉山』にも参加してくれたと。「あんないい男が来てくれるとは!」と感激した様子でした。

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で、大沢さんの軽い紹介wが終わった後5曲目の『関白宣言』が始まりましたが、歌の途中で突然さださんがトーク始めちゃってみんなビックリ!それを見てニンマリしながら「いま、照明さんも慌てています」とドSさだまさし発動www。変幻自在やわ、この方。

で、ひと通り『関白宣言』に出てくる歌詞の世界の頃がよかったという話を語ってまして。奥さんはダンナより先に起きて支度しなきゃダメみたいな感じw←あ、一応私毎朝ダンナより早く起きて支度してますから。その流れから「こんな曲を作っちゃいました」ってことで・・・

5曲目が『関白失脚』

これ、『関白宣言』の続きみたいになってる曲なんですよね。出てくる父ちゃんが関白どころか家族にやり込められヘタレててお気の毒な感じになってます。最後の方に出てくる「がんばれ」の歌詞の後には客席からも「がんばれ」と呼応があって。きっと、さださんのコンサートはこんな雰囲気なんだろうなと思いながら聴いてました。

ここまで約1時間強。さだまさしさん一色の濃い~~トーク&ライブでした。いやぁ、やっぱまっさんパワーすごいっすね。

このあと、第2部ではいよいよ大沢さんと『風に立つライオン』に纏わるトークをするということで、その前に映画のダイジェストが約8分ほど流れました。横長の映画映像を縦長のスクリーンに合わせていたので多少映像が縦に歪んでいましたが、まぁそこは仕方なしとw。

でも、ダイジェストでもやっぱり泣けました…。映画館で見たときもけっこう泣いたしなぁ…。大沢さんの芝居はやはり極上です。改めて録画した映画見たくなりましたよ。

で、会場もダイジェスト見てウルウルの雰囲気になっていたところに…ついに、

大沢たかおさんがさださんに呼ばれて舞台袖から登場~~~!!!

拍手喝さいの大盛り上がりとなりました(キャぁ~っていうのはあまりなかったなw)

いやぁ、生の大沢さん、2年ぶりくらいだったかも。大河ドラマ『花燃ゆ』やってる時のファンミに参加して以来だったからなぁ。昨年はとある理由wで参加できなかったので、久しぶりに元気そうな大沢さんに会えて嬉しかったです。白いTシャツの上には真っ赤なロングカーディガン。大沢さんってロングカーディガン着てくることけっこうあるよな~。それが似合っちゃうんですよ、この方。

あと、鍛えているからか胸板がすごくガッシリしてました。でもそれをあまり感じさせないくらいスマートに着こなしているのがホントさすが、元モデルさんだけあるなぁと思いましたね。

大沢さんたちの定位置は上手側に用意されていたので、さださんが下手側の人に気を遣ってまずはその位置で立ち止まってのトークが始まりました。

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まずは、『風に立つライオン』の小説誕生のいきさつから。

大沢さんが初めて『風に立つライオン』の歌に触れたのが映画『解夏』に出演する際にさださんの歌を色々と聴きこんでいた時だったそう。その時にすごく印象に残っていたようですが、そのあと映画『眉山』に参加した際にもう一度聴いて完全に惚れこんだとの事でした。そこまでしてさださんの歌を研究していた大沢さんに対して「普通さだの映画に出るからってそんなに聴かないでしょう!」とツッコミ入れまくるさださんwww。

『風に立つライオン』に出てくる主人公について詳しく知りたくなった大沢さん。色々な人に聞いて回ったそうですが誰も知らなくて、最終的にはさださん本人に聞いてくれと言われてしまったのだとかw。でも大沢さんとさださんのパイプは細くてwwwなかなか連絡が取れず苦労したらしいですね(それを聞いたさださんが「全然忙しくなかったのに」とツッコミ入れたのは笑ったww)

そんなある日、ファンクラブコンサートに出てみないかとさださんから連絡が来て「ここでさださんに頭下げて小説化をお願いするしかない!!」と思った大沢さん。めっちゃ張り切って会場のNHKホールに駆けつけたそうなのですが、入り口で断られてしまったと。なぜかというと…

「自分の力で行きたくて」自転車で会場入りしたからwwwwww

もうこれには爆笑で、さださんも「ゲストが自転車で来るなんておかしいでしょう!!」とツッコみまくり。自転車で来た人がゲストだとは信じてもらえず「僕ゲストで呼ばれて出るんです!」と何度も押し問答しているうちに別の関係者が現れて入れてもらえたそうですがwwまぁホント、大沢さんのアクティブなエピソードは笑えましたわ~~。

いざコンサートに大沢さんがゲストで登場した時は会場がキャーキャーすごいことになっていたようで(そりゃそうだww)「俺のファンクラブのコンサートだったのにだよ~!?」とぼやきまくりのさださんww。その話を聞くとアタフタしながら「すみませんでした」と平謝りの大沢さんw。びっくりしたさださんが「嘘だから!」ってなだめてました。

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で、この時に念願かなってさださんに『風に立つライオン』の小説を書いてくれと熱烈に頼み込んだ大沢さん。ところが、何も音沙汰がないまま月日だけが経過したそうでwww。で、3年ぶりくらいにようやくさださんからご飯の誘いの連絡があり「いよいよ完成したんだな」とワクワクしながら行ったら

「少し書く気になった」

と言われてガックリしたそうですwwww。3年経って「前向きになってもらえただけだった」って話した時はもう会場大爆笑でしたww。

で、やっと小説に取り掛かったさださん・・・前向きになった食事会から2年後くらいに小説完成にこぎつけたそうです。またさらに2年w!ってみんな笑ってましたが、それに対しては「取材するの大変なんですよっ!」と大力説して正当化しようとしてましたね。確かにそれはそうかなと。

『風に立つライオン』の歌を作ろうと思ったのが二十歳くらいの時だったというさださん。その時に出会ったアフリカに行ったお医者さんの話が素晴らしくてぜひ歌にしたいと思い立ったそうですが、なかなか言葉が浮かばなかったと。そこから15年してようやく歌にできたけど、その当時はバブル好景気に沸いていてあまりヒットしなかったようです。

でもその陰でボランティア団体や海外に派遣される医師たちなどの間には確実に浸透していて…その流れで大沢さんがこの歌にたどり着いて小説、映画と作品化することができたというようなことをさださんは熱く語っていました。

と、このあたりでイスと机が用意されていた上手側に移動。私たちはちょうど上手側の席だったので、けっこう近くに大沢さんが見れてもう…眼福でございました。

長くなったので、続きはその2へ・・・

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