平安時代末期、約6年かけて源氏と平氏は覇権を争い激しくぶつかり合いました。
この時期に活躍した武将で有名なのが、平清盛や源頼朝・義経たちです。NHKの大河ドラマなどでも数回取り上げられてきた時代でもあるので、知っている人も多いと思います。
直近だと、滝沢秀明くんが主演した『源義経』(源氏目線)や、松山ケンイチくんが主演した『平清盛』(平氏目線)がありましたね。
個人的には、どちらかといえば『平清盛』を推したいかも。視聴率的には振るいませんでしたが、平氏に偏らず源氏にも繊細な目線を配って描かれた名作中の名作大河です。
ちなみに、私が源平に最初に興味を持ったきっかけになった作品が、1986年に放送されていた水曜時代劇『武蔵坊弁慶』です。今でも空で台詞を思い出すことができるくらい夢中になって見てました。
中村吉右衛門さんの弁慶が本当に素晴らしく圧巻のお芝居なのですが、私は源義経を演じた川野太郎さんにゾッコンとなり(笑)その流れで義経贔屓となりましたw。今でも川野さんのファンです。
一の谷の戦い(義経の鵯越エピソードが有名)に敗れた平家は屋島まで退却し、海への戦に備えたと言われています。対する義経は海ではなく陸から屋島へ入り奇襲攻撃を仕掛け平氏を混乱に陥れますが、その後平氏も持ち直して反撃に出たため激しい戦闘となりました。
これが、1185年の『屋島の戦い』です。
屋島の戦は源氏の勝利に終わり、敗れた平氏は終焉の地となる壇ノ浦(現在の山口県下関市)へ落ちていくことになりました…。
屋島周辺にはいくつか史跡が残されているので、香川にいるうちにということで歩ける範囲で巡ってきました。
と、その前に、まずは「屋島」そのものについて写真とともにいくつか紹介します。
源平屋島合戦ゆかりの地一覧
源平屋島の合戦ゆかりの地(1)-屋島-
香川県高松市のシンボルにもなっているのが、「屋島」です。
高松港から見る「屋島」もなかなか美しい。
標高は約292メートル、上が平らで屋根のようになっていることから「屋島」と名付けられたそうです。ちなみに「島」と名前がついていますが、今では多方面から普通に橋が繋がっているし陸続きになっているので船とかで行くところではありません。
屋島へのアクセスは、車で屋島ドライブウェイを上るか、JRまたは琴電の屋島駅からバスかタクシーで行けることになっています。
四国霊場第84番札所 屋島寺
お遍路さんの寺でもあるので、屋島への遍路道を徒歩で登る人も多いです。
もともとは鑑真が754年に屋島の北嶺に建てたお寺だったようですが、810年に空海(弘法大師)が南嶺へ移し今に至ると伝わっています。
寺の横には大きな太三郎狸の石像があります。弘法大師が屋島へ訪れた際道に迷った時、タヌキが老人に化けて道案内をしたという逸話もあり、本堂の横に祀られているのだとか。
家庭円満・縁結び・子宝のシンボルとしても有名で、この狸に会いに来る人も多いようです。
ちなみにこのお寺は源平合戦とはほぼ関わりがありません(汗)。
獅子の霊巌展望台
屋島寺からすこし離れた場所に、『獅子の霊巌展望台』と呼ばれるスポットがあります。屋島三大展望台のひとつでもあり、夜には夜景がとても美しいことでも知られています。
奥に見える島は、女木島と男木島。左にある女木島は「鬼が島」としても有名。
屋島の合戦に勝利した源氏が陣笠を投げて勝鬨を挙げたという伝説があることから、この場所から土でできた小さなお皿を投げる「かわらけ投げ」を楽しむことができます。私も試してはみたのですが、なかなか遠くに飛ばすのは難しいです(苦笑)。
血の池(瑠璃宝の池)
もともとは、弘法大師が南嶺に屋島寺を移した時にお経と一緒に宝珠をこの池に納めたと云われている場所ということで『瑠璃宝の池』と名付けられていました(龍神が宝珠を奪いにやってくるという伝説もあるらしい)。
しかし、源平屋島の合戦で戦いに勝利した源氏の武者たちが観音様へのお礼参りをしたあと刀をこの池で洗ったとされていて、その時に池が血で真っ赤に染まってしまったことから『血の池』という恐ろしい名前も付いてしまったそうです(震)。
この池を訪れた時は手を合わせるほうがいいかも…。
屋島古戦場跡
屋島ドライブウェイで屋島へ行く途中、または帰る途中から古戦場跡の景色を眺めることができます。ここから見える景色一帯が戦場となったようです。
ということで、次回は古戦場となった場所についていくつか巡ってきたところを紹介したいと思います。