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NHK大河ドラマ『青天を衝け』第26回ネタバレ感想 篤太夫、再会する

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オリパラも終了し、いよいよ『青天を衝け』が後半に向けて再出発しました!日曜の夜はやっぱり大河がないと落ち着きません(好みに合うものに限りますが)。今後新しいキャラクターもたくさん登場するとのことで、どんな熱いドラマが展開されていくのかとても楽しみです。すでにネタバレ予告見ただけでちょっと涙ぐみました。

そういえば今回のサブタイトルにある「再会する」「再開する」という意味も込めてあるのかもしれないなと思ったり。

ここからさらに加速していく物語に期待大です!

前回までのおさらいが軽く流れた後、2週間ぶりの徳川家康さんが登場しました。家康さんによると、この時代は既に「廃藩置県」が実行されていて血洗島の農民たちを苦しめるお代官がいた岡部藩も消滅していたとのこと。時代は篤太夫が戻るのを待つことなくどんどん前に進んでいたのですね…。

廃藩置県とは、1871年に明治新政府により制定された行政改革です。新政府は近代的な中央集権国家を確立するため、殿様が治める261の「藩」を廃止して「府」「県」を設置しそのトップに政府が選んだ優秀な人材を据えました(知事)。はじめは3府302県でしたが、年末には3府72県にまで統一されます。
幕府が消滅し藩を治めることが困難になっていた背景もあり、廃藩置県に反対する藩主は殆どいなかったため割とスムーズに実行できたと言われています。

このあたりを詳しく説明するのは「野暮ってものですかねぇ」ということで、家康さんと一緒に帰還する篤太夫を見守る流れとなりました。

以下、第26回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

『青天を衝け』第26回 篤太夫、再会する

2021年09月12日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、高良健吾、草彅剛、橋本愛、町田啓太、田辺誠一、木場勝己、和久井映見、小林薫、ほか

あらすじ

久々に故郷・血洗島に戻った篤太夫(吉沢 亮)は、千代(橋本 愛)、父・市郎右衛門(小林 薫)、母・ゑい(和久井映見)らと再会を喜びあうが、尾高家に起こった悲しい出来事を知って大きな衝撃を受ける。その後、昭武(板垣李光人)から預かった書状を届けるため、慶喜(草彅 剛)が謹慎している駿府に向かう篤太夫。駿府藩の中老・大久保一翁(木場勝己)にパリでの収支を報告し、慶喜との謁見を願い出るが…。

<公式HPより引用>

篤太夫が桑野畑を分け入っていくと、血洗島のシンボルでもある大木のある場所へたどり着きます。その下で微笑みながらその到着を待ちわびていたのは、病で伏しているはずの尾高長七郎でした…。

「その髪型はどうしたんだ?」と笑いながら尋ねる長七郎に、篤太夫は苦笑いしながら「俺も変わったが日本も変わってしまった」と答える。自分が故郷を不在にしている間に多くの命が失われてしまった、と悔しさと哀しみを滲ませる篤太夫…。
自分の存在意義が分からなくないと涙ぐみながら言葉を紡いでいく篤太夫でしたが、そんな彼に長七郎は「相変わらずよく喋るのぉ」と柔らかく微笑んでいました。長七郎って、こんな穏やかな人物だったっけ…。まるでこの世の人ではないように見える(涙)。

「悔しいのは俺だ。俺こそ何も成し遂げられなかった…」

この言葉を聞いた篤太夫は「そんなことはない!」と叫び、自分を含めてみんな長七郎を目指してついていったのだと力説する。焼き討ち計画の時も、長七郎の決死の説得があったから誰も命を失わずに済んだのです。必死に長七郎への想いを訴える篤太夫。そんな彼に長七郎は凛とした表情で告げるのです。

「しかしお前は生きている。生き残った者には為すべき定めがあると、お前が言ったんだ!!」

そう…、篤太夫は長七郎が盟友だった河野と共に反乱を起こす決意をして血洗島を出て行こうとした時、「生き残ってる俺達には、河野の代わりにまだ為すべき定めがあるはず!!」と魂の説得をして引き留めていました(第11話)。同じ言葉を長七郎が篤太夫に告げることになるとは…。

その瞬間、篤太夫は自分がまだ血洗島に辿り着いていないことに気が付きました。つまり、元気な様子の長七郎に再会したのは「夢」だったのです…。あの時「お前は生きている」って過去形だったもんなぁ(涙)。
おそらく長七郎は栄一から「生き残っている俺たちには為すべき定めがある」と告げられた言葉をずっと大事に心の中に留めていたのだと思います。迷い戸惑う篤太夫の気持ちを察したかのように、今度は長七郎が同じ言葉を告げ彼を励ました。おそらくもうこの時点で長七郎は亡くなっていたと思うので…きっと魂で感じ取って夢枕に出てきてくれたのかなぁなんて…(涙)。

翌朝の渋沢家では、久しぶりに姉のなかさんもやってきて篤太夫を迎える準備にテンヤワンヤの大騒ぎとなっていましたw。市郎右衛門は「栄一が帰ってくるのは夜だというのに今からそんなに慌ててどうする!」と呆れ顔。
でも、ゑいさんはさらに呆れた顔をしながら「慌ててるのはお前さんではありませんか?」とニンマリ。市郎右衛門の腰帯が後ろ前逆になってるのを見逃していませんでした(笑)。さすがかっさま!とっさまも敵いませんなぁ(笑)。と、このタイミングで篤太夫がすぐそこまで来ているという知らせが飛び込んでくる。やっぱり早めに準備してて正解だったじゃないかww。

渋沢家が見える位置まで帰ってきた篤太夫。その目の前には美しい菜の花畑が広がっていました。

実に素晴らしい光景でしたね!!ロケスタッフ、あっぱれです。これだけの菜の花を植える作業、大変だったのではないでしょうか。篤太夫も思わず「国破れて山河在り、か…」と呟いていました。

「国破れて山河在り」とは、中国の詩人・杜甫の記した「春望」という詩の冒頭にある一文です。”国は戦乱で滅びてしまったが、山や川の姿は何も変わらず元のままでいる”という意味。篤太夫は変わらずそこにある故郷のありがたさをこの詩に乗せていたのだと思います。

篤太夫が近くまで来ていると聞いて真っ先に外に飛び出していたのは「準備するのはまだ早い」と強がっていた市郎右衛門でしたw。6年ぶりに息子に会えるんだもんね。逸る気持ちはとてもよく分かります。千代と娘のうたにも「早く早く」と促すとっさまの張り切りっぷりが可愛かったw。
しかし、うたは篤太夫の姿を見ると「あれは、どこかのお殿さまですか?」と不思議そうに尋ねている。最後にあったのはまだ記憶がない赤子の時だったもの…無理はないよ。市郎右衛門はそんな孫に「あれがお前のとっさまだ」と誇らしげに告げるのでした。

市郎衛門は遠くに見えた篤太夫に「栄一!!」と真っ先に声を掛けました。篤太夫も「とっさま!!!」と嬉しそうにそれに応える。しかしそれと同時に我先にと篤太夫の元へ駆け寄っていったのは渋沢家の使用人の皆さまでした。とっさま、あっさりと先を越される(笑)。でも、それだけみんな、会いたかったんだよね。

ひとしきり使用人の皆との再会を懐かしんだ篤太夫。その目線の先に、会いたくてたまらなかった愛する妻と娘の姿が映る。大きくなったうたに会うのは初めての篤太夫は「でっかくなったのぅ」と感無量の表情。それに対して最初はちょっと躊躇っていた様子のうたでしたが、大きく手を広げて待つ父の姿に心躍らせその胸の中へ飛び込んでいきました。

「とっさま!!」と呼ばれた篤太夫、めちゃめちゃ嬉しそうで思わず目頭が熱くなっちゃったよ(涙)。やっと親子再会できたんだものね…。

そして黙って立ち尽くしている千代に視線を移す篤太夫。パリにいる時にもらった千代からの手紙でさんざん髪型についてダメだしされていましたからw、篤太夫としてもちょっと気が引けるところはあったのかも。「みっともねぇか?」と髪の毛をかきながら照れ笑いする姿が何とも言えず可愛い!!そんな姿見たら、愛しさが倍増しちゃうよねぇ、千代さん!もはや髪型などどうでもよくなるってものです。

「いいえ・・・いいえ・・・。おかえりなさいまし・・・」

愛する夫にやっと再会できた喜びで涙を抑えきれない妻の姿を目の当たりにした篤太夫は、ゆっくりとその近くへと歩みを進めていく。そして「ただいま」と一言告げた後、ついに千代をしっかりと抱きしめるのでした。

篤太夫も、千代も、会いたくて会いたくてたまらなかったですからね。篤太夫が万感の想いを込めてしっかりと千代とうたを抱きしめる再会シーンは涙なくしては見られませんでした(泣)。背景に広がる美しい菜の花畑も3人を祝福しているようで、その美しい光景に思わず胸が熱くなっちゃったよ・・・!!無事に再会できて本当に良かった・・・(涙)!!

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渋沢家に戻ると、ゑい、なか、ていの3人が「無事のお帰り、おめでとうございます」と恭しく頭を下げて出迎えてくれる。かしこまった様子の家族に篤太夫がこそばゆい想いになっていると、「あんたが心配ばかりかけるせいで、すっかり年を取っちまったよ」とゑいは苦笑い。そこで場の空気が少し柔らかくなりましたね。どんなに年齢を重ねても、かっさまの優しい大きな愛は変わりません。
宗助伯父さんとまさ伯母さんも駆けつけ、篤太夫帰還の宴へと流れていく雰囲気になりかけましたが、一人だけ素直に篤太夫の帰還を喜べなかったのが、末妹のていでした・・・。

ていは篤太夫を「なんだい自分だけ帰ってきて!兄さまが平九郎さんを見立て養子にしなければ、今頃平九郎さんは村で普通に暮らしてたんだに!!」と泣きながら激しく詰る。それに対して何も言葉を返せない篤太夫・・・。
しかし市郎右衛門はていに「それは栄一もよーく分かっている」と告げました。とっさまは篤太夫が平九郎のことに関して深い悔恨の念を抱いていることをよく理解してくれていたのですね…。なんだかそれだけで泣けてしまいます(涙)。

ていは泣きながら庭へと飛び出してしまいますが…、彼女としてもきっと兄の苦しい胸の内は察していたと思うんですよね。でも、誰かを責めなければ自分の気持ちが崩れてしまいそうになるほど未だ深い悲しみの中にある。本当は、大好きな兄さまを責めたくなかったはず…。それほどていは平九郎のことを愛していたし、一緒に暮らせる日を待ち望んでいたのだろうなと思うと本当にやりきれなくて辛くてたまりませんでした…(泣)。
おそらく篤太夫も、そんなていの気持ちを痛いほど感じていたと思う…。もっと責めてほしいとすら思ったかもしれないね…。「おていの言う通りだ…」と呟いた背中が哀しかった。

篤太夫は巻き込んでしまったことの謝罪も含めて尾高の家を訪ねたいと言い出したが、宗助は「尾高には今誰もいないから日を改めたほうがいい」と止めました。篤太夫が不審に感じていると、市郎右衛門が衝撃の事実を口にする。

「先月、長七郎が亡くなった…」

その言葉を聞いた時、篤太夫は夢の中で自分を励ましてくれた長七郎は、あの時すでにこの世にはいなくなってしまったのだと悟ります(涙)。あの夢の時と同じように笑顔で再会したいと願っていた長七郎にもう会うことはできない…。平九郎のことに続き長七郎の死という現実は、あまりにも辛く重く篤太夫の心に衝撃を与えたに違いない…。とてもじゃないけど、この知らせを受けては尾高の家にすぐ足を運ぶのは…無理だよね(涙)。

その日の夜、篤太夫の帰還を祝う宴が渋沢家中の家で盛大に開かれました。宗助伯父夫婦は横浜で生糸の商いを始めたことでさらに富を蓄えているらしい。商才があったんですなぁ。あんなに嫌ってた異人相手の商売も今では積極的に行っているようです。

その話を笑顔で聞き入っていた篤太夫に、伝蔵、こと虎之助は「皆に鉄道の話をしてやんなよ」と促す。ここでスイッチが入った篤太夫は意気揚々と語り聞かせていきます。
「窓ガラスに民部公子の共の者が頭をぶつけてた」って言ってたけど、あれはたぶん、菊池平八郎さんあたりのことだろうな(笑)。「異人にも学ぶところがある」という話に、仲間たちは前のめりに食いついて聞いていました。もう”夷狄”なんていう人はいなくなったんだな。

ひとしきり鉄道話を終えた後、篤太夫は少しバツが悪そうにゑいの傍らに立ちます。しかしゑいはそんな息子に対して、みんなお前の話を聞きに来ているんだから宴の席に戻るようにと促しました。尾高の家の不幸続きで千代も辛い日々を送っていた。娘のうたはそんな母に気を遣って暗い顔が多かったという。でも篤太夫からの文が届いたことでパっと明るくなり、家族みんなもそんなうたの無邪気さに救われたことを知る。
皆、どれだけ自分のことを想い、待ちわびてくれていたのか…。篤太夫の心の中に熱いものがこみ上げたようでした。愛されてるよね、篤太夫。

その後も篤太夫は臨場感たっぷりにパリでの出来事を面白おかしく皆に語り聞かせていく。

特に、パリ万博で初めて「エレベーター」に乗った時の体験話はみんなに大受け(笑)。でも「50人乗った箱が浮かび上がった」と聞いた瞬間、まさ伯母さんは「また栄一のホラ話が」と全く信じていない様子で大笑いwww。篤太夫は必死に「嘘じゃねぇ!」と弁解しようとしてましたが、50人っていうのはちょっと話盛ってたかもね(笑)。

あまりにも篤太夫の話っぷりが面白くて、みんな食い入るように聴き入っている。嬉しそうにその様子を見ていた千代がふとていのほうに視線を向けると、思わず笑みを浮かべて兄の話を楽しんでいる様子が映る。
平九郎の一件でずっと心が沈み気持ちが定まらず、篤太夫を責めてしまったてい。でも本当は、兄のことは大好きだし憎むことなんてできないんだよね…。詰ってしまった時も、すごく辛かったと思う。でも、面白おかしくパリの体験談を語る兄の姿を見て…彼女の中の暗い鬱々とした気持ちが少しずつ晴れていくのを感じました。ていの笑顔が見れた時、なんだか心底ホッとしたな。ゆっくりでもいい、篤太夫と普通に接する時が訪れることを祈りたい。

それにしても、吉沢亮くんのあの面白おかしく興味を惹きつけるセリフの語りっぷりは本当に素晴らしかったですね!!実際の渋沢栄一も、あんな感じに臨場感たっぷりに聞かせていたのかもしれない。いや、それ以上だったのでは!?見ている私ですら思わず前のめりになって続きを聞きたくなったほどだったので。ていが笑顔を取り戻すのも納得できる熱演でした!

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歓迎の宴は朝まで盛り上がったらしく、明け方になってようやく千代と二人きりになれた篤太夫。千代は静かに夫がいなかった間に起こった出来事について口を開く。篤太夫に背を向けたまま、飯能の戦で喜作と兄の惇忠は落ち延びられたものの、平九郎が命を落とした知らせを聞いたことを語る千代…。

「私のせいです…。お前様や兄さまたちの命が何よりも大事だと思っていたはずなのに…」

千代は、平九郎が見立て養子になった日に毅然とした態度で「お前はもう武家なのだから何があっても栄一さんの代わりに忠義を尽くすのですよ」と告げました。その言葉の通り、平九郎は武士らしく命の限りを尽くし戦い、そして自刃してしまった…。その事実が、とてつもなく重い罪悪感としてずっと彼女の心の中にのしかかり続けていたのです(涙)。大切な弟の命を奪ったのは自分が「武士として忠義を尽くすように」と言い聞かせたせいだと、ずっとずっと責め続けていたであろう千代さんの心情を想うと本当に辛い…。

「私のせいで平九郎が…」と泣き崩れる千代を、篤太夫は後ろからしっかりと抱きとめ「違う…、違う…!俺のせいだ」と諭す。

「俺の代わりに幕臣となることがこんなことに繋がるなんて…、あの時は思い浮かべることができなかった…。お前は悪くない…、悪くない!」

篤太夫も自分が見立て養子に平九郎を立てたことを激しく後悔している。あくまでも平九郎を死なせてしまったのは千代ではなく、自分なのだと…。千代を抱きしめその哀しみや罪悪感を受け止めようとする篤太夫の姿に涙が止まりませんでした…(泣) 。

私は、平九郎はたとえ渋沢家の養子に入らなかったとしても、尊敬する兄・惇忠に従って戦に向かったと思います。兄たちの輪に加われず何も行動できなかったことにずっと焦燥感を抱いていましたからね。武士になって戦場に出るというのは彼の念願でもあったはず。ていと想いが通じた後も、彼は自らの意思で戦場へ向かったと思うよ…。
だからどうか、二人とも、自分自身を責め続けないでほしい。この悲劇は、誰のせいでもないのだから…。

翌日、篤太夫は千代と虎之助と一緒に長七郎の墓参りに訪れました。

静かに手を合わせる3人。篤太夫の胸に去来していた想いはどんなだっただろうか…。

そこへ成一郎の妻のよしがやってきた。篤太夫が帰ってきたと知り、夫のことが少しでもわかるのではないかと思っていたようです。それに対して篤太夫は旧幕府軍が箱館の五稜郭を攻め落としたらしいという情報を伝える。夫の死を覚悟していたよしはその言葉に安堵の表情を浮かべ、喜作たちが新しい国を箱館に作ることができると信じようとしているようでした。
しかし、篤太夫はそのことに対して何も答えることができない…。よしが期待するような明るい展望は望めないことを悟っていたからだと思います。だけど、必死に笑顔を作るよしの顔を見たら…そんな残酷なこと言えないよね(涙)。

その頃箱館では銃声の音が鳴り響く戦の真っただ中。土方が傷ついた見方を肩に担いでやって来たシーンはちょっとビックリしました。土方さん、そこでマッチョをアピールしてくるとはww。いやでも、町田啓太君が演じてるから画になって仕方ないや(笑)。

松前を攻め落とした土方は充実の表情をしていました。この後祝勝会も開かれるという。

新政府に恭順していた松前藩でしたが、土方歳三隊による激しい攻撃によって松前城は数時間で呆気なく落城してしまいました。その後の戦いにより、旧幕府軍は12月15日に蝦夷地平定を果たし箱館政権を樹立。榎本武揚が総裁として選ばれました。閣僚の中には、「青天を衝け」パリ編で篤太夫にこっぴどく叱られた林董の姿もあります(榎本の縁戚だったことで箱館戦争に参戦していたらしい)。

成一郎が自分も参加すると告げると、部屋の奥から「私は遠慮する!」という声が聞こえてきました。篤太夫と共にパリで学び一足先に帰国していた高松凌雲先生です。負傷者の手当てで祝勝会に参加している場合ではないと毅然と言い放つ凌雲。

すると土方は厳しい表情で敵兵まで治療しているのかと問いかける。それに対し凌雲は毅然とした態度で「怪我人に敵も味方も、富豪も貧乏人もない。私はそれをもう一人の渋沢とパリで学んだ」ときっぱり自らの信念を伝えるのでした。パリで学んだことをしっかりと日本でも生かしている凌雲先生はカッコいい。
土方は「それが西洋式か…」とため息交じりに呟きましたが、このシーンを見て、もしも彼が異国で刺激を受ける機会があったらもっと違う人生があったのかもしれないとふと思ってしまいました。

日本に帰国後、榎本武揚と出会った高松凌雲は蝦夷地に新しい国を作るという彼の想いに賛同して箱館戦争に医師として加わることを決意しました。箱館の病院院長になった凌雲は「運営には一切口出ししないこと」という条件をつけ、敵味方関係なく治療に当たったと言われています。この行動は日本初の赤十字活動とされ、後に新政府軍の黒田清隆から高く評価され、和平交渉を依頼されることになりました。
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一方篤太夫は、一人尾高家を訪問する。人気のない暗い家の中に恐る恐る入っていくと、生気を失いまるで亡霊のようになった惇忠の姿が目に留まり衝撃を受けてしまう。惇忠は篤太夫の姿に驚いた後、まるで逃げるようにその場を後にしようとしました…。それを「頼む…」と言って必死に呼び止めた篤太夫。すると惇忠は重い口を開き苦しい胸の内を告白する。

「俺とて、お前と話がしたい。しかしもう、誰にも合わす顔がない…」

皆を導き引っ張り続けてきた憧れの存在だった惇忠。自らの学びを生かし国の役に立つことを目指して突っ走ってきました。が、現実は国の役に立つどころか戦に敗れ、大切な弟二人を失い、何一つ忠義を果たすことができなかった…。その事実が惇忠の心に深い傷跡を残していたのです。特に長七郎から「俺たちは何のために生まれてきたのか」と問いかけられた言葉は突き刺さっただろうなぁ…(涙)。惇忠は、飯能の戦の時に自分が死ぬべきだったのだとずっと責め続けていたような気がします。

「一人だけおめおめと生き残ってしまった」と背を向け唇をかみしめる惇忠に、篤太夫は「兄ぃが戦で死ななくてよかった!生きててくれてよかった!」と想いをぶつけます。そして、合わせる顔がないのは自分だと言って涙を浮かべる…。

「銃や剣を手に戦をするんじゃない。畑を耕し、藍を売り歌を詠み…皆で働いて励むことが俺の戦い方だったんだ…!」

かつては尊王攘夷の思想に熱を傾け、草莽の志士となって戦うことを夢見ていた篤太夫。その想いを駆り立てたのは惇忠の教えの影響も大きかったと思うんだけど…、パリへ行ったときに武器を手に取ることは自分の戦い方ではないということに気が付いた。
家族や巻き込んでしまった平九郎のことを想うと、自分のこれまでの考え方がいかに愚かだったことか思い知らされ悔しさがこみ上げてくる。この話を聞いた時、惇忠は初めて目に涙をいっぱい溜めて心に秘めた想いを吐き出していく篤太夫の姿を目の当たりにする…。

「俺は…、この恥を胸に刻んで今一度前に進みたい…!!生きている限り…!!」

その場に泣き崩れ、慟哭しながら訴える篤太夫の「生きている限り」という言葉が惇忠の胸に突き刺さる。自分も彼と同じように生き恥を胸に前に進まなければいけないという想いがこみ上げてきたのではないだろうか。
家族や仲間の前では明るく振舞い続けていた篤太夫でしたが、自分を責め続けていた尊敬する兄ぃの姿を見たときに心の中に抱えていた痛みや悲しみを初めて吐露することができたんだろうな…。惇忠への言葉は、おそらく自分に対する言葉でもあったと思う。

篤太夫の脳裏に、笑顔で励ます長七郎の言葉が聞こえてきた。

「さぁ、前を向け栄一!俺たちがかつて悲憤慷慨していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする。この先こそが、お主の励みどころだろう」

その言葉に背中を押された気持ちになった篤太夫は、「生きていれば新しい世のためになることはきっとある」と気持ちを新たにするのでした。

この兄ぃとの再会から長七郎の幻想までのシーンはもう、涙なくしては見られませんでしたよ(号泣)。思い出すだけでも涙腺が緩んでしまう…。篤太夫の慟哭、惇忠の想い、長七郎の言葉、そのどれもが深く深く見る者の心を揺さぶってきた。最後、菜の花畑の中にいるうたの姿が映し出されたのも泣いたなぁ…。あれは、生き残った者たちへのエールの象徴のようにも見えたので…。

ありがとう、長七郎!!!満島くん、本当に素晴らしい熱演でした。

長くなったので続きは次のページにて。

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