NHK大河ドラマ『青天を衝け』第25回ネタバレ感想 篤太夫、帰国する

前回、ほぼ手紙でしか語られなかった鳥羽伏見の戦いや上野戦争、そして飯能の戦い。篤太夫の帰国に伴い、それら幕末・維新に起きた悲劇の戦いが語られる時が来ました。道半ばで帰国した篤太夫に対して追い打ちをかけるようなエピソードばかりで胸が痛くなりましたね…。

冒頭には大政奉還のシーンに登場し、徳川家の最後を見届けていた家康さんが久しぶりに登場。

「こんばんは、徳川家康です。さて、明治になりましたよ。ん?まだ出てくるのかって?」

のっけから視聴者のツッコミを予測してジャブ入れてくるところが好き(笑)。明治になって出番が無くなったと思ってるかもしれないけど、世の中そんな簡単に「明治」という新しい世の中を受け入れたわけじゃないからね、とニヤリと語る家康様が面白かったです。
おそらく、今後本格的に明治の世の中が始まった後も、最終回の現代に至るまでで続けてくれると信じてお待ちしておりますよ!

以下、第25回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー
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『青天を衝け』第25回 篤太夫、帰国する

2021年08月22日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、高良健吾、草彅剛、橋本愛、板垣李光人、岡田健史、町田啓太、田辺誠一、イッセー尾形、小林薫、ほか

あらすじ

帰国した篤太夫(吉沢 亮)は、横浜で杉浦(志尊 淳)や福地(犬飼貴丈)らと再会。幕府が薩長に敗れた経緯や、慶喜(草彅 剛)や幕臣の動向を聞かされる。さらに、恵十郎(波岡一喜)と虎之助(萩原 護)から、成一郎(高良健吾)、惇忠(田辺誠一)、平九郎(岡田健史)のその後を知らされる。成一郎らは彰義隊を結成するもすぐに分裂し、振武軍(しんぶぐん)として新政府軍と戦うが敗戦。激闘の中、平九郎の行方は分からなくなり、成一郎は箱館へ向かったという。頭の中が整理できない中、篤太夫は故郷・血洗島へ戻る。

<公式HPより引用>

明治元年、1868年10月、8月末にパリを発ちフランス各地を周遊した約2か月後、ついに篤太夫たちは日本に帰国しました。

横浜に着港すると、水戸藩士の菊地平八郎がかいがいしく民部公子である徳川昭武に草履をはかせて差し上げてたのがなんだか可愛くて萌えましたw。っていうか、前回の嗚咽でもう出番終わっちゃったと思ってたので、平八郎が出てきただけでちょっと嬉しくなる自分がいたww。
日本に戻ったということで、みんな洋装から和装へと着替えたようですね(水戸の皆さんは和装オンリーを貫き通しましたがw)。

そこへ杉浦愛蔵と先に帰国していた水戸藩士の加治権三郎が出迎えにやって来ました。愛蔵によれば、今の日本は混沌としていて薩長側にどんな扱いを受けるか分からない…という危険な状況なので小舟でこっそりと神奈川に向かい品川の宿に入るのが得策とのこと。
その話を聞いて真っ先に「なぜ若君がそんなコソコソした行動をしなきゃいけないんだ!!」と猛然と抗議したのはやっぱり平八郎さんでした。しかし、昭武も国内の情勢は予測していたようなのですぐに「菊地、よい」と制するとおとなしく言うことを聞いて引き下がってましたww。どこまでも忠義心熱い平八郎さん、やっぱ好きだなぁ。出番はここで終わっちゃうと思うんだけど、なにかのシーンでちょこっとでもいいからまた顔見せてほしいです(いつの間にか推しキャラになってるww)

昭武とは別行動になる篤太夫は、行く末を気にしつつその姿を見送るしかありませんでした。民部公子という立場のこともあるけど、フランスで長い時間を共に過ごしたことでそれ以上の感情もこの時湧いていたんじゃないかな…。心配でたまらなかっただろうね。

昭武を見送った後、その場に残った愛蔵は篤太夫と山高に「この後厳しい身体検査されるはずだけど、どうか短気を起こさないように」と念を押しました。そこまで言うくらいだから、よほど理不尽な扱い受けるんだろうなというのが想像できる。
で、案の定「わざわざ海越えて外国行ったのに戻ったら主がいないなんて、まるで浦島太郎だな」と嘲笑される二人(汗)。山高さんはあまり心配してなかったけど、けっこうすぐに感情を顕わにする篤太夫は果たして耐えられるのかハラハラしたw。でも、さすがにこの時は感情出したほうが負けだと分かっていたようでジッと堪えてましたね。大人になったんだなぁ…とちょっとその成長が嬉しかったりしました。

横浜の宿に入った篤太夫は、杉浦愛蔵と、日本にいた福地源一郎、さらにパリから先に帰国していた(事実上の罷免だったらしいけど 汗)元外国奉行の田辺太一と再会し、自分が不在の間に何が起こったのかを聞くことになりました。

まず、正月過ぎて少し経ったある日、慶喜が大坂から戻ったという突然の知らせが入ってきたという。小栗たちは慌ててその事情を聴きに慶喜のもとを訪れました。

「まさか戦からお逃げになってきたのではありますまいな!?何故!!!!」

なぜ戦の最中に慶喜が江戸まで数人で戻ってきたのか、小栗は全く納得がいかなかったと思います。「何故!??」と責めたてたくなる気持ちは痛いほどわかる。彼は幕府に逆らう者は殲滅すべし!と戦う意欲満々でしたから、力ない表情で煎餅かじりながら何も語ろうとしない慶喜の姿を目の当たりにして怒りがこみ上げるのは自然な感情だったのではないかと思います。

福地たちはその時初めて幕府軍が薩長に敗北したことを悟ったと言います。官軍は岩倉たちが考案した錦の御旗を掲げ進軍したことで、幕府軍は帝に逆らう”朝敵”という汚名を着せられてしまったのです。慶喜は自分が”朝敵”となることを恐れて自分だけ逃げ帰ってきたのだという噂が飛び交った。
その話を聞いた篤太夫は、初めて手紙で知った時の衝撃を思い出しているようでした。あの時、平八郎はショックのあまり切腹までしようとしたくらいでしたからね(凌雲先生のバックハグも驚きでしたがw)。

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江戸城に戻った慶喜は、前の帝・孝明天皇の妹である静寛院宮(家茂亡き後出家した和宮)に拝謁させてほしいと願い出たとのことですが、会うことを拒絶されてしまったという。その後天璋院の元を訪れた慶喜でしたが…、彼女は冷ややかに「静寛院宮が会わないというのは尤もなこと」と言い放つ。あの快活だった篤姫の面影がないくらい暗い表情をしていてゾクッとさせられました。

なぜ逃げたのかと問い詰められた慶喜は、丁重に頭を下げながら「断じて朝廷に逆らうつもりはないので、その心だけでも宮様にお伝えしたい」と静かに訴えます。すると、暗く怒りを込めたような表情で天璋院が近づいてきた…。

 「まっこて・・・、こんなチャチなお方だったとは・・・」

あえて薩摩弁で慶喜を静かに罵る天璋院が怖い…。上白石萌音ちゃんのこんなにゾクっとするほど冷たい表情、初めて見たかも!

天璋院は、かつて島津斉彬(このドラマでは新納慎也くんが演じてました)から慶喜を将軍後継に推す任務を言い渡されて嫁いできた経緯もあるため、戦を途中で投げ出して戻ってきた慶喜の体たらくが情けなく怒りが湧いてきた様子。「慶喜は皆から推されるほど立派な人だ」という認識も強かったようですから、失望して罵りたくなる気持ちはよく分かる…。
そんな天璋院が慶喜に最後に告げた言葉は…「そなたは武士の頭領として潔く御腹を召されませ」という痛烈なものでした。ここまで言い切った天璋院は初めて見たのでけっこうな衝撃だった(汗)。

一方、静寛院宮は朝廷への徳川存続願いの文をしたためていましたが、慶喜に対する憎しみは家茂を失ったあの日から今回の出来事でさらに膨らんでしまったよう(汗)。「慶喜自身のことは自業自得だからどんな処分をしてもかまいません」と相当キツい内容が綴られていました。
ただそれ以上に「徳川の嫁という立場にある以上、もしもお家断絶などことがあれば自分は死を選ぶ」という壮絶な覚悟を切々と訴えている。これを読んだ岩倉は衝撃を受けて思わず涙してしまっていました。朝廷LOVEな彼ですからw、ああまで言われたら力づくで徳川潰そうっていう気持ちも揺らぎますわな。

天璋院は同じ薩摩出身である西郷に徳川家存続の嘆願書を送っていました。そこには「お家の存続は私の命を救うよりも遥かにありがたく、斉彬公への何よりの孝行となりましょう」と綴られている。
西郷は島津斉彬に熱く心酔していましたので、ここでその名前を出したことは大きかったんじゃないかなと思います。敬愛する斉彬に銃を向けると同じ、みたいに書かれてあったらそりゃ西郷も「参ったのぅ…」と気持ちを変えざるを得なくなるよな。

その間、慶喜は上野の寛永寺にて謹慎生活に入ります。何も語らず、ただひたすら恭順の意を示すため静かに時が過ぎるのを待つ姿はどこか神々しさすらあった。
後に語られるかもしれないけれど、今回の大河では慶喜がなぜ大坂から江戸へ勝手に退却してしまったのかがなんとなく理解できる。彼は、父・斉昭から物心ついた頃からずっと「天子様に逆らうことだけは何が起こっても絶対にしてはならない」と教えられてきました。そのシーンがここに生きている気がしてなんか腑に落ちる部分が大きい。慶喜は”朝敵”という立場だけはなんとしても避けなければと必死だったのではないだろうか…。

愛蔵はその後の江戸城無血開城(明け渡し)までの経緯をさらりと篤太夫に説明します。

天璋院と静寛院宮が徳川存続の嘆願書を送った後、西郷は山岡鉄太郎(後の鉄舟)との会談交渉に応じ、江戸総攻撃の2日前に進軍停止を受け入れました。その後、西郷は勝海舟と江戸城開城についての話し合いに臨み(後にドラマに登場する大久保一翁も同席したと伝わっています)、2回の交渉の末に同意。総攻撃の前日ギリギリに江戸城無血開城が決定されることになります。

田辺は「皆あれほど戦をすれば勝てると言っていたのに!」と悔しさを露にしています。実際のところ、戦力的には幕府軍のほうが有利だったという状況が前提にあったらしいのでなおさら慶喜の敵前逃亡は理解できなかったのではないかと思われます。

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篤太夫に目をかけてくれた小栗忠順の顛末についても語られました。

断固戦うべきだと訴え続けた小栗でしたが(彼の案が実行されていたら幕軍が勝利していたかもしれないと思われるほどの策だったらしい)、あくまでも恭順の意を示す態度を崩さなかった慶喜は彼を罷免してしまいました。
その後は権田村(現在の群馬県)へと退き、農兵の訓練などに明け暮れる日々を送っていた小栗。そこへ突然やってきた新政府軍に「反逆の意志あり」として捕らえられてしまう。全くその気はなく無実を訴えたものの、ろくに取り調べを受けないまま翌日家臣と共に処刑されてしまいました。

首を撥ねられる直前、なにか言いたいことはあるかと尋ねられた小栗はキッと前を見据えて突然予想外の行動に出ました。

クワッと口を開けると、常に肌身離さず持っていたアメリカから持ち帰った”ネジ”がその舌の上に!!

あの一本の”ネジ”は小栗がアメリカ留学した際その産業の大きさに衝撃を受けて持ち帰ったもの。そこには幕府のもとで日本を産業大国に育てたいという壮大な夢が詰まっていました。しかし、時代がそれを許してくれなかった…。あの行動は、小栗の一世一代の最後の抵抗だったのではないかなと思いました。「俺が死んだら日本の発展は大きく遅れるぞ」という警告のようにも見えた…。壮絶だったけど、切なくもあった小栗上野介の最期でした。

新政府軍が冤罪を着せてまで小栗を早急に抹殺してしまったのは、彼が今後の新政府にとっての大きな脅威になると考えられていたからだとも言われていますね。その頃はまだ新政府に抵抗する動きも多かったようですから、そこに小栗が介入したら形成をひっくり返される可能性もあったわけです。それほど小栗忠順という人は、様々な面において優秀な人材だったということでしょう。あまり知名度は高くない人物ですが、もっともっと高く評価されるべき人だと思います。
(また、新政府軍が江戸城に入った時には蔵にお金が一切なかったことから、大政奉還の折に小栗が徳川家にあった大量の軍資金を持ち出して埋めたという”徳川埋蔵金”伝説も流れたりしました。一時期ブームになって掘り起こす番組とかよく見ましたがww、その真相は闇の中です)

ちなみに、斬首される寸前ドラマではベロに乗せたネジを見せつけるシーンでしたが、実際は周りが「無実だ!」と叫んだのを「お静かに」と制して静かに死を迎えたというエピソードが残っているそうです。

 

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武田真治さんが小栗上野介への熱い想いを込めてアップしたインスタがとてもカッコいいです!!素晴らしい熱演でした。

そして、川路聖謨の最期も語られます。

体を壊していた川路でしたが、体調は相変わらず芳しくないまま江戸城無血開城の日を迎えます。ちょうどその日、枕元にあったピストルを手にする川路。ちょうどそのタイミングで円四郎の妻のやすがお見舞いに訪れたところでした。部屋に向かう途中、彼女の耳に入ってきたのは新政府軍の行進曲として歌われていた流行歌「トコトンヤレ節」(実際町中にこの歌が響いてくるのはもう少し後だったようですが)。

やすたちがその部屋に入る寸前、川路聖謨は「徳川、万歳」と呟いて自らの頭を拳銃で撃ち抜き命を絶ちました(実際には、割腹したあとにピストルで撃ったらしい。日本初の拳銃自殺とも言われているとか…)。あまりにも哀しい、衝撃的な最期でした(涙)。

川路は江戸無血開城成立を知らなかったようで、不自由な体のまま捕らえられて幕府の交渉の足を引っ張ることを危惧して命を絶ったと言われています。

ちなみに、前回登場した生意気な英国留学生の一人、川路太郎(文句垂れてた林董三郎の隣にいた若者)は川路聖謨のにあたります。
また、後の「日本警察の父」と呼ばれる川路良利は聖謨とは関係のない人物です。

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幕府の終焉の話を聞いた翌日、篤太夫は川村恵十郎須永虎之助(栄一の従兄弟の伝蔵くん)から成一郎についての話を聞くことになりました。

成一郎は幕府軍として鳥羽伏見の戦いに参戦していましたが、肩を撃たれて負傷。大坂へ撤退したものの既に慶喜は江戸へ戻ってしまった後だったらしく、残った兵の取りまとめなどでかなり苦労したらしい…。慶喜の尻拭いみたいなことになっちゃったのかなぁ、と思うと気の毒(汗)。
ようやく2月に江戸へ戻った成一郎たちでしたが、慶喜を護衛するために集まっていた兵たちが大勢いてその仲間に加わることになったという。そこで、成一郎と行動を共にしてきた虎之助やその他若い衆たちは「頭取になってほしい」と彼に懇願。慶喜と近い立場の成一郎がトップに立てば兵も士気が上がると睨んでの事でした。

しかし成一郎はすぐにはそれを受け入れようとはしなかった。彼の頭の中では、ここで徒党を組んだところで勝ち目は本当にあるのかどうか考えあぐねた部分はあったのかもしれません。が、このタイミングで突然、惇忠平九郎が仲間に加えてほしいとやって来た。「忠を尽くして主に報いるは武士の常」とギラギラした眼差しで成一郎を促す惇忠。平九郎も「必ずや薩摩長州を殲滅させてやりましょう」とやる気をみなぎらせている。
一番近い関係にあるこの二人にそこまで言われたら、成一郎としても立たないわけにはいかない。気持ちを奮い立たせ、『彰義隊』を結成しその頭取に就くことを決心します。

頭取は成一郎、副頭取には天野八郎、虎之助は幹事の役職に就くこととなりました。『彰義隊』の目的はただひとつ、”江戸にいる慶喜の命を守り抜き、その真心を世に知らしめること”のみ。慶喜命の親衛隊みたいな感じですかね。

尊敬する兄ぃである惇忠からの「立つべし」という言葉は特に大きかっただろうね…。篤太夫にしても、成一郎にしても、長七郎にしても、荒波に飲み込まれるきっかけにはいつも惇忠の存在が大きく関係しているような気がする(汗)。若い頃からずっと彼の教えを叩きこまれてきましたから、兄ぃの言葉を信じようという気持ちに持っていかれたんだろうなぁ。
だけど、よく考えてみると…、ほとんどの場合それが巧くいったことがない。惇忠が起点になる出来事ってけっこう危険要素が多い気がしますね(汗)。

ただ、惇忠と共にやってきた平九郎としては、この時が一番気持ちが高揚してたのかもしれない。彼はずっと自分だけが蚊帳の外に置かれているかのような寂しさを抱き続けていましたから、ついに国のため、将軍のための一員として働けることに喜びすら感じたんじゃないかな。彰義隊に加わったことは、平九郎自身の希望でもあり、選択だったと思います。

ところが、その守るべき対象の慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すことになってしまう。

動揺を覚えながらも、成一郎はうつろな表情で輿に乗ろうとする慶喜に対し

「上様のご無念は必ずや我らが晴らしまする!!薩賊を撃って、必ずやまごうことなき上様の尊王の御心を世に示しまする!!」

と、猛然と熱く訴える。しかし、慶喜は成一郎のほうに目を向けただけで何も言葉を発することはありませんでした…。ただ、あの目は「成一郎、もう戦いは終わりにしてくれ」と訴えてるように見えたよ…。慶喜はこれ以上の戦闘を望んでいなかったんですよね。だけど、自分を守ろうとする組織まで作った成一郎たちにハッキリとその意思を告げることはできなかった。そのことが後に大きな悲劇を生んでしまうわけで…何とももどかしい気持ちにさせられてしまった。

そして成一郎も、この時初めて「慶喜は戦を望んでいないのではないか?」という疑念が過ったように見えました。あんな目を向けられたらねぇ…。

慶喜は、無血開城された江戸城へ西郷が入るタイミングで謹慎場所を水戸に移すことになりました。彰義隊は途中まで護衛した後寛永寺に戻り、成一郎は江戸の町に戦火を広げることを避けるため本拠地を郊外地(日光)に移すことを提案。しかし、副頭取の天野八郎はそれに猛反論し、あくまでも江戸を拠点として戦うことを譲りませんでした。

さらに天野との対立が激しくなり、ついには命を狙われるまでになったため、成一郎は同志約100名と共に離脱。飯能・能仁寺にて振武軍を結成するに至ります。成一郎たちが抜けたあとの彰義隊は大村益次郎が指揮する官軍の前に成すすべなく1日で壊滅。天野八郎は捕らえられ獄中死してしまいました…。

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成一郎が率いる振武軍は武蔵国の飯能に拠点を移していました。夜の山道を歩いて行くなかでふと上野の山が燃えている光景が目に入る。「もう薩長の官軍にやられてしまったのか」と戦慄が走る一同でしたが、立ち止まる暇はない…。
このシーンのシチュエーションを見たとき、会津戦争の折に飯森山から城が燃えていると勘違いして絶望してしまった”白虎隊”のことが過ってしまいました。あのエピソードも相当な悲劇ですからねぇ…。なんだか重なって見えてしまったのだけど、今回はそこで絶望しなくてよかった(ここまでは、だけど)。

そしてさらに山道を進んだところで、既に飯能まで入ってきていた官軍の銃弾が列に撃ち込まれてしまった…。ここが前回放送された緊迫のシーンですね。それをきっかけに、狭い山道で激しい戦闘(飯能戦争)が始まってしまいました…。四方を囲まれ絶体絶命に陥る振武軍。あまりの極限状態に耐えきれず、数人の若い兵士たちが岩陰から飛び出し次々と命を失っていく悲惨な光景が繰り広げられていく(涙)。
平九郎も目の前で苦しんで死んでいく仲間を目の当たりにして精神的不安定になり飛び出そうとしますが、成一郎と惇忠は決死の想いでそれを食い留めました。平九郎はこの時初めて、自分がこれまで参戦したいと願っていた戦争の残虐さを思い知ったかもしれないね…。

振武軍は成一郎の奮闘もありなんとかその場を脱出。鉄砲をぶっ放しながら仲間たちを逃がす時間を稼ぐ成一郎、めちゃめちゃ勇敢でカッコよかった!!しかし、この時点でほぼ壊滅状態となってしまいました(涙)。

虎之助は当時のことを振り返り「振武軍は懸命に戦ったが、あっという間に負けた!!」と激しい叫び声を上げる…。篤太夫はその話を聞きながら、まるで自分も戦場にいるかのようなゾクっとする三白眼になってたな…。なぜその場に自分はいなかったのだろうという気持ちもこみあげてきていたのかもしれない。

なんとか生き延びた振武軍数名は命からがら北の秩父方面を目指しますが、その途中の道で成一郎や惇忠たちは平九郎の姿が見えなくなっていることに気づいてしまう。いくら名前を呼んでも平九郎の返事は聞こえてこない…。
その話を聞いていた篤太夫は心がざわつき、居てもたってもいられなくなり思わず虎之助に詰め寄り叫んでしまう。

「言え!!!!平九郎はどうした!????」

成一郎たちが呼ぶ声と、篤太夫が叫ぶ声とが交互に出てくる演出がなおさら見る者の不安を煽り…胸がつぶれそうになっちゃったよ(涙)。

と、その直後、平九郎が無事であるシーンが出てきて思わず肩の力が抜けた。しかし、彼が非常に危険な状況に置かれているのは間違いない。彼はきっと、仲間と必死に戦いながらあの廃屋に辿り着いたんだろうな…。だけどその人はもう息絶えてしまって…平九郎はみんなともはぐれ一人になってしまった。
そして、仲間の死を悲しんでいるところに数人の官軍兵がやってきて平九郎を取り囲む。もはや逃げ場がない状況…万事休すとはまさにこのこと!

しかし、「徳川の脱走兵か」と問われ刀を向けられた平九郎は荒い息を弾ませながらもギラついた目で官軍兵たちをにらみつけ大きなハッタリをかましました。

「この中にはまだ仲間たちが60人ほどいる。俺が声を出せばお前たちは皆殺しだ。どうする?」

あの極限状態でハッタリをかますだけでなく不敵な笑みを浮かべる平九郎、強い!!まさかの展開に官軍たちもビビってしまって恐る恐る廃屋の中を確かめる事態に。そして数人の兵が中に入ったその瞬間、一瞬のスキを見逃さずに敵から鉄砲を奪い見事にその場から逃走することに成功。あの状況のなかでこんなことができてしまう平九郎、すごすぎだろう!!

それからしばらくして、何とか敵の目をかいくぐった平九郎は老夫婦が住んでいる一件の小さな家に身を隠すことに。彼らは徳川に恩義を感じているようで平九郎の傷の手当など温かくもてなしてくれました。しかし、「もう少しいてください」という老夫婦の言葉をありがたいと思いながらも、「これ以上は迷惑を掛けられない」として立ち去ろうと立ち上がる平九郎…。
しかし、外へ出ようとしたとき…、ふと”お蚕様”がその目に飛び込んできた。

「私の村でも、お蚕様を大事にしておりました…」

懐かしそうに蚕を優しく撫でてやる平九郎の表情が、この時だけとても穏やかだったのがとても印象的で…逆にそれが大いに涙を誘いました(泣)。ここまで激闘続きで気持ちが滾っていたであろう平九郎。しかし、お蚕様を目にしたときに故郷・血洗島の穏やかで平和な日々が過ったに違いない。あのフワッと優しい笑みを浮かべた時の平九郎が、おていちゃんが愛した本来の平九郎なんだよね…。
きっとこの瞬間初めて、故郷に帰りたいという気持ちが湧いてきたのだと思う。だけど、この後それを許さない地獄のような過酷な運命が待っている。それが見えちゃっただけに、この場面は哀しくて哀しくて仕方なかったです(涙)。

実際に平九郎が疲れて立ち寄ったのは、顔振峠の小さな茶屋でした。ここで草履を求め、その対価として大刀を置いていったと伝わるそうです(刀を持っていると幕軍だと疑われてしまうこともあるからと言われたらしい)。店主は黒山村方面は危険だから秩父方面へ向かったほうがいいと説得されたようですが、平九郎はあえてそちらの方へと向かっていったとのこと…。

現在この場所には「平九郎茶屋」というお茶屋さんが建ち営業されているそうです。平九郎が辿ったであろう旧道も残されているのだとか。

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その後平九郎は中山道を進んだという。川村曰く「おそらく故郷を目指したのであろう」という言葉に胸締め付けられる…(涙)。聞いている篤太夫の目からも大粒の涙がこぼれ落ちる…。

足を引きずりながら黒山村方面へ進んでいた平九郎は、倒れ込んだ場所にあった岩に寄り掛かり首から下げていた愛するていからもらった守り袋を見つめていました…。彼女のいる血洗島へ、帰ろうとしてたんだね(涙)。
このシーン、前回も出てきて「おそらくはぐれたんだろうな」とは予想していましたが…こんな極限状態に追い込まれた時のものだとは思いませんでした。しかも、周りからは敵兵の声がすぐ近くまで聞こえてて…もう、哀しい予感しかないじゃない(涙)。

そしてとうとう発見され、全身に刀を浴びてしまう平九郎…。あまりにも痛々しすぎて正視できないレベルで辛い…。それでも勇敢に戦い続けた平九郎。それはおそらく、幕府の為ではなく…愛する人たちの待つ場所へ戻るための戦いだったのではなかろうか(涙)。刀傷のほかにも銃弾まで体に浴びて…それでもなお前進を続け大きな岩によじ登る平九郎の執念に言葉が出なかった。

満身創痍で岩を上り切った平九郎。周囲を敵兵で囲まれた光景を目にしたとき、ついに彼の口から「ここまでか…」という言葉が漏れる。そして、覚悟を決めたように刀を振り上げ官軍をにらみつけた平九郎。その体に銃弾が撃ち込まれていく。それでも平九郎は倒れない…。そして最後の力を振り絞り名乗りを上げた…。

「御旗本・渋沢篤太夫が嫡男、渋沢平九郎!!!…華と散る…」

無数の銃弾を浴びながらもその場に立ち続け、自らの命を自らの刀で終わらせた平九郎の散り様はあまりにも壮絶すぎて、ちょっと、言葉にできないくらいの衝撃を受けました…。

故郷・血洗島への想いに駆られていた平九郎でしたが、最後の最期は”武士”として果てることを選んだんだね…。あまりにも壮絶すぎてなかなか彼への餞の言葉が見つからないんだけど…、ただ、平九郎は後悔はしてない人生を締めくくったと信じたい。
短い間だったけど、憧れ続けた続けた武士として生きたことは彼の誇りでもあったのではないだろうか…。最後は故郷への情が芽生えたけれど、武士として死を迎えたことは本望だという気持ちもあったのではなかろうか。彼自身が選んだ道だったからね。

ドラマでは壮絶すぎる最期が描かれていた渋沢平九郎。実際は、官軍の部隊と遭遇した時に奮戦し3人を斬り倒したものの(右肩を斬られ足に銃弾を受けたそう)、恐れをなした相手が援軍を呼びに行ったことで観念し自刃してしまったということのようです。享年22、あまりにも若すぎる死でした。自刃した岩や、当時その近くにあったぐみの木は現在も史跡として保存されています。

平九郎の首は名もなき者として晒された後に密かに持ち出され葬られました。また、胴体は黒山村の人たちによって手厚く葬られ「脱走の勇士様」と呼ばれ神として崇められたと伝わっているそう。

ドラマでの描かれ方がショッキングすぎて、深谷市のご当地キャラ「ふっかちゃん」も白黒になっちゃったよ(涙)。

それにしても、実際の平九郎さんは本当に凛々しい美男子だったんですねぇ…。体格もかなりがっちりして大きかったそうです。まさに男の中の男、って感じ。もしも秩父方面へ逃げていれば助かったかもしれないとも伝わっているだけに…ほんと、悔やまれますね。もしかしたら将来栄一の良き右腕になったかもしれないと思うとなおさら…。

平九郎の最期を聞いた篤太夫…胸が張り裂けるほど辛かっただろうね…。もしも自分の養子に平九郎を指名しなければ、あるいは彼はこんな残酷な運命を辿らなかったかもしれない。それだけに、篤太夫は自分を責めてしまったと思う(涙)。

しかし、泣き叫ばんとする篤太夫を川村は「嘆くな!」と一喝し、成一郎と惇忠は無事であることを告げました。虎之助によれば、成一郎は現在函館で戦っているという。成一郎がさらに戦を続けていることに衝撃を受ける篤太夫…。

長くなるので続きは次のページにて。

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