こちらの記事は、GW鹿児島『西郷どん』旅の記録の続きになります。
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大河ドラマ『西郷どん』もいよいよ大詰めとなりました。
5月に鹿児島に訪れた時に熊本の田原坂方面にも足を運んでいたのですが、ネタバレになりそうだったのでアップを控えていました。ということで、遅くなりましたが、田原坂について少々写真を交えて紹介したいと思います。
『西郷どん』紀行 -田原坂-
新政府に物申すため鹿児島を出発した西郷隆盛率いる薩軍でしたが、新政府軍によって賊軍とされたことで戦うしか道が無くなります。
薩軍は谷千城の守る熊本城を攻め立て、その補給路をことごとく塞ぎ官軍の援軍を阻止しようとしました。その補給路となっていたのが「田原坂」です。
この田原坂の戦いは西南戦争の中でも特に激戦地だったと云われています。
新政府軍は最新式の武器を駆使した上、抜刀隊の投入などで薩軍を突破。この戦いに敗北した薩軍は勢いを失い、追い詰められていく結果となりました。
戦闘は約17日間続く死闘で、1日に(官軍側だけで)60万以上の弾丸が飛び交う激戦。両軍合わせて約3500~3800名の死者を出す苛烈な戦いだったようです。
西南戦争を描いた作品も多く出ていますが、映像としては里見浩太朗さんが主演した正月時代劇『田原坂』が印象深いです。
熊本市田原坂西南戦争資料館
開館
午前9時から午後17時まで(入館は16時半まで)
入館料
一般(高校生以上)300円 小・中学生100円
20名以上団体一般240円(小・中学生 80円)
館内は写真が自由となっていたので、いくつか撮影してきました。
クリックすると大きくなります。
あまりにも悲惨な戦いだったことから「敵味方分け隔てなく治療し助けなければ」という声が上がります。佐野常民らはヨーロッパで根付いていた「赤十字」と同等の組織を作ろうと立ち上がり「博愛社」を設立しました。
これが後の「日本赤十字社」へと繋がっています。
弾痕の家
資料館の向かい側に、「弾痕の家」という看板がある傷だらけの建物があります。
西南戦争当時このあたりに住んでいた松下彦次郎家の土蔵です。激しく飛び交う弾丸によって、大きな損傷を受けてしまったとのこと。本物の倉は取り壊されて無くなっていますが、昭和63年、当時の写真を参考にしたものが復元されました。
「弾痕の家」の側には取り壊される前の土蔵の写真が。
弾痕の家は現在資料館として当時を語るものがいくつか展示されています。
西南の役戦没者慰霊之碑
資料館から公演の方に少し歩いたところに、西南の役戦没者慰霊之碑があります。
官軍6923名、薩軍7186名、殉難者29名の霊を慰める慰霊碑です。中央にそびえ立つ碑の大きさが、西南戦争の犠牲者の多さを物語っているようです。
一名ずつ出身地ごとにその名前が刻まれていました。
昭和32年、西南戦争80周年の年に建立されたそうです。
田原坂公園
西南戦争の激戦地となった場所は、現在きれいな公園として整備されています。
大楠の樹齢は400年前後とのことなので、悲愴な激戦となった田原坂の戦いも目撃していることになりますね…。
その前にあるのが「美少年像」です。熊本の民謡『田原坂』の歌詞に出てくる”美少年”をモデルにして作られたそう。
田原坂の戦いから3年後に建てられた『田原坂崇烈碑』。この地での激戦を勝ち抜いたことの意義が事細かに記載されているのだとか。官軍による見解なので、意見としてはかなり偏ったものになっていると思われます。
かつてここで壮絶な死闘が繰り広げられていたとは信じられないほど、穏やかな景色が広がっていました。
一の坂~三の坂
資料館方面からは降りる感じですが、「一の坂」から順番に行きたい場合はこの入口から入っていくのがいいと思います。
田原坂入口の正面にある「豊岡の眼鏡橋」。約200年前に造られた熊本県最古の橋だそうです。車の通行はできませんが、歩いてなら渡れるようになっています。
官軍はこの橋を拠点として田原坂へと向かったそうです。
竹藪に囲まれた細い曲がり角になっています。西南戦争当時は、あまりにも多くの弾丸が飛び交っていたために葉はすべて落ちてハゲ山のようになってしまっていたそうな…。
駐車場にもなっているので、ここに車を止めて歩いて坂を上るのもいいかもしれません(二の坂と三の坂には車を止める場所がほとんどないです 汗)。
実は、最初見過ごしてしまって・・・どこに「二の坂」があったのか分からなかったほど地味な場所にありました(汗)。
一の坂の曲がり角よりも少し広くなっている印象です。
田原坂公園に一番近いのが「三の坂」になります。こちらの曲がり角も意外と広かったなぁという印象。
「三の坂」の戦いが最も激しかったと伝わっています。現在の田原坂公園付近は薩軍の陣地だったことから、下から登ってきた官軍と激しい戦闘状態になったのではないかと。
三の坂のあたりには、西南の役戦没者慰霊の碑や、官軍として伝令の役目を果たした後に若くして戦死した谷村計介の戦死の地碑があります。谷村は兄弟が薩軍にいたようですから、辛い戦となってしまったようで…哀しいですね。
七本柿木台場薩軍墓地・七本官軍墓地
『七本柿木台場薩軍墓地』
3月14日にこの当たりで戦死した熊本隊の城市郎ほか、薩軍で戦死した311人の魂がここに眠っています。
『七本官軍墓地』
薩軍墓地から少し進んだところに官軍の大きな墓地があります。官軍で戦死した300名のお墓が整列していました。この中には、警察官14名も入っているそうです。
官軍の乃木希典隊が後退するを助けるために、連隊騎手だった河原林少尉が殿を務めて戦死をしてしまったエピソードがあるそうです。その河原林少尉もここで眠りについています。
墓地の入り口門のところには、西南戦争に出兵した山形県出身の兵士の親族が故郷から背負って持ってきたという松が植えられています。
各所へのアクセス
資料館・慰霊碑へのアクセス
一の坂~のアクセス
墓地までのアクセス
以上で『西郷どん』を巡る旅レポート終了です。長きにわたりお付き合いくださりありがとうございました。ドラマの感想と共に参考にしていただければ幸いです。
まだ巡っていない場所もあったりするので、いつかまた西郷さんを辿る旅に行ってみたいです。