源平屋島合戦ゆかりの地(5)-その他関連史跡-

屋島源平合戦史跡レポート、またまた間隔があいてしまいましたが(汗)これが最後になります。

前記事は その4 の「那須与一」関連史跡レポです↓

第5弾の今回は、これまで紹介していなかった史跡について写真と共にご紹介したいと思います。

総門跡

平氏は屋島の行宮が完成するまでの間、安徳天皇の行在所を六萬寺としました。その折、天皇を海からの攻撃から守るために建てられたとされるのが、総門です。

安徳天皇が屋島の壇の浦に行宮を移した後もこの総門を守りの要として戦ったそうですが、奮戦虚しく源氏に占拠されてしまったとのこと。現在は小さな広場になっていますが、源平合戦の頃このあたりは海浜だったそうです。


総門跡の敷地内にあるこちらの評木は、初代高松藩主だった松平頼重が建てたものだそうで、このように当時のまま残っています。

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最寄りは琴電志度線の八栗駅。道幅は狭いので徒歩で訪れることをお勧めします。

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安徳天皇社

平氏の総大将だった平宗盛が安徳天皇の行宮を建立したのがこのあたりとされています。源平合戦最期の地である壇ノ浦で安徳天皇が崩御された後は、天皇を祀る霊廟とされました。

小高い場所にあるため、正面には五剣山を望むことができます。


また、神社の奥には合戦の時に亡くなった平家武士の供養塔もひっそりとたたずんでいます。

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源平合戦古戦場跡(瓜生ヶ丘)

平家攻めの拠点として源義経が築いた陣地がこのあたりだとされています。写真奥に見える携帯電話の鉄塔のある場所が「瓜生ヶ丘(石碑は「宇龍ヶ岡」)」と呼ばれているそうです。

義経を守るために犠牲となった佐藤継信が焼け落ちた洲崎寺の扉に乗せられて運び込まれたのもこの陣でした。

※佐藤継信について↓

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グーグルマップに登録されてませんでしたが(汗)、縦に流れている川の一番南側付近が瓜生ヶ丘と呼ばれている場所一帯になります。

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 景清の錣引きの伝説

平氏の侍大将だった平景清と、源氏の美尾屋十郎一騎打ちした場所。

事の起こりは那須与一が見事に海上に掲げられた戦占いの扇を射ち落とした後のこと。与一の見事な腕に興奮した一人の平氏方武士がテンション上げ上げで船の上に出て喜んでいたのを、義経の命を受けた源氏の武士が矢で討ち取ってしまう事件が起こりました。

これに激怒した平氏方3人が浜に出てきたのに対し、源氏からは5人の武士が対抗。その時に真っ先に進み出て行ったのが源氏の美尾屋十郎でした。しかし、大長刀を振るう平景清の姿を見て堪らず後退、景清はそれを追いかけて美尾屋の錣を引きちぎったと。

景清の豪胆さと、美尾屋十郎の首の強さをお互いに賞賛し合ったと言い伝えられているのだとか。

景清の勇ましい活躍を見て士気が上がった平氏が一気に攻勢をかけて来て、応戦していた義経が思わず弓を落としてしまう・・・という「弓流し」伝説に繋がるそうです。

※「義経の弓流し」遺跡について↓

ちなみに、景清は「悪七兵衛景清」として歌舞伎や能でよく登場してくるのだとか。

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実はまだ回りきれていない源平屋島合戦史跡もあるのですが、とりあえず今年行けた場所のレポはこれで最後になります。またいつか源平時代の大河ドラマやってくれないかなぁ…。興味深いエピソードもたくさんあるので面白いドラマになると思うんだけど。

間が空きすぎてしまいましたが(汗)これにて屋島合戦史跡レポ終了です。読んでくださった方、ありがとうございました。屋島散策の参考に少しでもなれれば幸いです。