源平屋島合戦ゆかりの地(3)-義経と弁慶-

1185年の屋島の合戦。香川県高松市の屋島地区にある史跡巡り、今回は源義経と弁慶に纏わる場所を回ったレポになります。

前記事は その2 の「佐藤継信」関連史跡レポです↓

一の谷の戦いで源氏に敗れた平氏は安徳天皇と三種の神器を伴って屋島に陣を構えました。

始めは源範頼を総大将として平家追討を謀りましたが、やがて食糧難に陥り兵の士気も落ちてしまいます。範頼は兄の頼朝にSOSを求める手紙を送り、結果、京で警備に当たっていた源義経が屋島へと向かう運びとなりました。

弁慶は義経の腹心の家臣でもあったので、屋島の戦いでも共に活躍したと思われます。

その後範頼は九州方面をなんとか制圧し、平家の退路を塞ぐことに貢献しています。

 

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源平屋島の合戦ゆかりの地(3)-義経と弁慶-

源義経と弁慶に関連する屋島の戦跡の史跡をご紹介します。

写真はクリックすると全て大きくなります。

義経の弓流し

那須与一が戦占いで見事に平氏が掲げた扇を射落とした話は有名ですが、実はその後に義経はトンデモなことをやってしまってました(汗)。

与一の功績に敵も味方も「あっぱれ!」と大盛り上がりで称賛の嵐だったようですが、その時に平氏のとある武者が扇のあった船で「舞」を踊り始めたと。よほどテンションが上がってしまったんでしょうが、それがマズかった(苦笑)。

義経は称賛の舞で盛り上がってるその武者を「射落とせ!」と与一に命令。上司の命に逆らうこともできず、与一は舞を踊ってた彼をも射ち落としてしまいました。内心では「自分の功績で盛り上がってくれてたのに…」っていう忸怩たる想いもあったかもしれないですね(汗)。

でも、戦ですから・・・そこは非情なわけです。

当然お祝いムードに沸いてた平氏もこの出来事にはキレて襲い掛かってくることになり、戦の先端が開かれました。

この時、義経は戦乱の中で自らの弓を海に落としてしまいまったらしい。

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当時、屋島は完全なる「島」でこのあたりも海だったようです。義経はここらへんに弓を落としてしまったということなのでしょう。

それを拾おうとしたとき、平家方の武将に熊手でひっかけられて海に落とされそうになった義経でしたが何とか持ちこたえ、家臣たちが「危ないから弓は諦めてください」と制止するのもお構いなしに見事に拾い集めたそうな。

説明版には「太刀で熊手をあしらい、左手の鞭で弓をかき寄せ引き上げた」とありました。

義経の身体能力、おそるべし!!!

そこまでしてなぜ弓を拾い上げたかについて、義経は家臣たちに「源氏の大将がこんな弱い弓を使っていたのかということを敵の平氏に笑いものにされたくなかったから」と答えたそうな。

自分の命よりも、源氏の誇りを優先させた義経に家臣たちは大きな感銘を受けたようです。そこで士気が一気に上がって屋島の合戦勝利へと導いていったのかもしれません。

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ところで、この「義経の弓流し」の史跡は実はもう一カ所あります。


説明版に書いてあることも全く同じ(汗)。実際はこのあたりで落としたのではないかという説もあるとか、ないとか??このあたりは謎でよく分かりません。

推測するに、落とした場所と広い寄せた場所…って解釈なのかもしれないかなぁ・・・と。

<アクセス>

2つの弓流し跡の史跡の距離感はだいたい徒歩5-6分です。最初に紹介したガイドに多く載っている「弓流し」跡は右手にあるほうです。

 

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長刀泉

源平の合戦当時、このあたりは海が非常に近かったこともあって食事の準備に難儀をしていたようです。海水ですからね、たしかに炊事には向きません。塩ができるくらいでしょうし(苦笑)。

そこで、弁慶の出番が来たと!

なんと弁慶は、自らの長刀でこの場所に井戸を掘ったらしい。すると、綺麗な湧水が溢れてきて食事の準備ができるようになったと。以後、戦いの最中の食事はここの井戸の水が使われたのだとか。
この付近には、その時に掘り出された石も残っているそうです。

やっぱり弁慶、すごいお坊さんや!!ぜひともその井戸が見たい・・・と訪れてみたのですが・・・


なんと、整備工事中(涙)。何の面影も感じられず無念でした…。日を置いてまた見に行きたい。

ちなみに、以前の姿はこんな感じらしい↓↓

<アクセス>

志度街道から少し細い道に入ってすぐのところにあります。

 

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菜切り地蔵

長刀泉のすぐ近くの小高い丘の上に「菜切り地蔵」のお堂が立っています。

源平合戦中、炊事をするのにまな板がなくて困っていた食事係の兵を見かねた弁慶が、ここの石地蔵の背中で野菜を調理して汁を作り義経に出したという伝説があるそうです。

井戸を掘るだけでなく、調理の面でも知恵を出す弁慶・・・デキる坊さんだ!

でも、お地蔵様の背中をまな板代わりにしたっていうのが・・・え?いいの?と正直思ってしまいますけどね(汗)。まぁ、そこはお地蔵様も大目に見てくださったのでしょうか。

なんと、今でもお地蔵様の背中には弁慶がクッキングした時の刀痕が残っているという伝説もあるらしい!

ただ、お堂の中のお地蔵さまはかなり真新しいように見えたので…こちらの背中には何も残っていないと思います(汗)。

ちなみに、その伝説の名残からか菜切り地蔵のあたりは「菜切」という集落名がついています。

<アクセス>

JR古高松南駅が最寄になります。長刀泉も近いので、おそらくこの一帯がかつて源氏の陣地になっていたと思われます。

次は那須与一の伝説の地などについて紹介します。