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NHK大河ドラマ『青天を衝け』第39回ネタバレ感想 栄一と戦争

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今回も熱いドラマの連続でした。それだけに、後半時間が足りなくて様々な出来事が余韻少なく駆け抜けていってしまうのが残念。今まで登場していたあの人も、あの人も、セリフの中でお亡くなりになったことを知ることになったり(汗)。あと2回は15分拡大で放送されますが、やっぱり来年まで食い込んででも放送してほしかった。

さて、今回のスタートは明治32年(1899年)。栄一はなんと、62歳からのスタートだそうです。他のキャストに比べるととても若々しく見えますねw。まぁ、あれだけ精力的に動き回っていますから、そんなに老け込まなかったということとして受け止めようかなと。当時の60代がどんな感じなのかはわかりませんが。

ラストスパートということで徳川家康さんも元気にご登場。このままラストまでお願いしたいですね~(OPキャスト紹介で留めの位置にいらっしゃることも安心感アリ)。日清戦争終結後についての解説でしたね。それにしても、清国を列強国がケーキを切り分けるフランスの新聞に掲載された風刺画はなんとも皮肉が効きすぎててちょっと恐ろしい…。その中に日本もいるというのがなんとも…。

以下、第39回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

『青天を衝け』第39回 栄一と戦争

2021年12月12日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、草彅剛、高良健吾、泉澤祐希、大島優子、山崎育三郎、田辺誠一、北大路欣也、ほか

あらすじ

栄一(吉沢 亮)は、ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談。日本の軍事面のみが注目され、経済への評価がまだまだ低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。財界の代表として戦争への協力を求められた栄一は、公債購入を呼びかける演説をするが、その直後に倒れてしまう。栄一の見舞いに訪れた慶喜(草彅 剛)は、“生きてくれたら、自分のことは何でも話す”と、涙ながらに語りかける。栄一たちは、慶喜の功績を後世に伝えようと、伝記の編纂を始める。

<公式HPより引用>

日本中が日清戦争の勝利に沸くなか、栄一と喜作は久しぶりに故郷の血洗島を訪れました。仏壇の中の平九郎の位牌に日本が強くなったと報告する二人。すっかり年老いた惇忠も「悲憤慷慨していた頃の俺たちの夢がようやく叶おうとしている」と目を細めていました。かつて栄一たちに「この世を嘆いている」と渋い顔を見せていましたから、惇忠にとっても今の日本の姿は感無量といったところでしょうか。
でも「早く平九郎や長七郎の元へ行って共に祝いたい」と告げる兄ぃの言葉がなんだか切なかった。古希といえば70歳。現代はまだ若いというイメージがありますが、この時代ではもう晩年ということになるんだなぁと…。

ここで栄一が役人からひどい扱いを受けた若い頃の回想シーンが出てきましたが、あれからまだ30年しか経っていなかったことに驚きました。それだけ激動の時代が続いてきたってことなんだよなぁ。

栄一はこの節目の年を機に慶喜に会ってみないかと喜作と惇忠を促しました。喜作は箱館戦争まで戦いましたが、途中で逃げてしまった負い目から慶喜に会わす顔がないと思ってそのままになっている。惇忠も飯能戦争での心の傷があるからか慶喜に会うことをこれまで避けていたような気がします…。
でも、彼らももう人生の後半に入ったことを悟っている。永遠に会えなくなるその前に…という気持ちはあったかもしれません。

それからしばらくして、栄一は巣鴨の慶喜邸に喜作と惇忠を連れて訪れる。
喜作にとっては戊辰戦争以来の対面ということもあって、慶喜はまだまだ畏れ多い存在。がっちがちに緊張している想いが見ているこちらにも伝わってくるようだったな。そんな彼の気持ちを察した慶喜があえて家臣だった頃の名前「成一郎」と呼びかけて緊張を和らげようとしてくれたのが印象的でした。

白金台に立派な邸宅を構えたことを慶喜から告げられた喜作でしたが、今はもう隠居の身であることを少しバツが悪そうな表情で報告。すると栄一がすかさず「やめろというのに、米相場でも株でも損をしている」とツッコミを入れてきたww。今では息子が立派に育ち喜作の後を継いだと語ります。

喜作は70万円(現在の価値だと約30億)ほどの借金をしてしまい、それを見かねた栄一が援助をすることになりました。それと引き換えに経済界から身を引くように進言したので「栄一に引導を渡された」というセリフが出てきたのかなと。
20年かけて返済するようにと栄一は喜作に条件を出しましたが、渋沢商店を継いだ喜作の息子の作太郎(1910年に亡くなった後は三男の義一)がとても優秀で12年で完済させたそうです。ところが喜作は引退後もギャンブラー気質が抜けずに借金を重ねてしまう失態を犯し栄一の援助を受けたらしい(←人はそんな簡単には変われないということかも  苦笑)。
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そして慶喜は初めて対面した惇忠に優しく声をかける。栄一は緊張のあまり頭を上げられない惇忠を見て敬意の気持ちを込めながら「我らはこの兄に何もかもを教わりました」と言葉を添える。それに対して慶喜は「存じておる」とし、幕臣だった平九郎の兄だったことや富岡製糸場で初代工場長を務めたことも知っていたことを告げました。
これまで一度も会ったことがなく縁もなかった慶喜が自分のことを把握してくれていたことに惇忠は大きな衝撃を受けてしまう。慶喜はさらに惇忠の傍に近寄りこれまでの労をねぎらう言葉を告げる。

「長く生きて国に尽くされ言葉もない。残され生き続けることがどれほど苦であったことか…。私は労う立場にないが、尊いことと感服しておる」

慶喜は惇忠が辿ってきた人生に自分と同じ景色を感じていたのでしょうね…。大切な者たちとの辛い別れをいくつも経験してきた惇忠の気持ちが慶喜には痛いほど理解できてしまったのだと思う(涙)。
この瞬間、惇忠の脳裏に少年だった頃の慶喜の姿を初めて目にしたときの興奮と感動がまざまざと蘇ってきた。あの時から慶喜は国を託したいと思えるような憧れの存在となっていたのかもしれません…。それから年月が経った今、その人から「尊いことだ」とその人生を称えられた惇忠さん…どんなにか感極まったことだろう(涙)。

感激のあまり目に涙を浮かべ震えながら「あぁ…、なんと、なんと勿体ないお言葉…」と告げるのが精いっぱいだった惇忠の姿に見ているこちらも心が震え涙がこぼれました(泣)。次々と愛する者に先立たれながらも歯を食いしばり激動の時代を生きてきた彼にとって、憧れで崇拝する存在である慶喜からかけられたこの言葉はどれだけ救いになったことだろう。この日のために神が惇忠に時間を与えてくれたのかもしれないとすら思ってしまった…。

それから2年後の明治34年(1901年)の年が明けてすぐ、20世紀の幕開けと共に尾高惇忠は東京の栄一の別邸で生涯を終えました。栄一や喜作に大きな影響を与えた惇忠兄ぃ…、本当は最期の瞬間までをドラマで見たかった人物です(もっと出番も欲しかったくらい)。最後の最後に慶喜と対面し労いの言葉をかけてもらえたのはせめてもの…。
田辺誠一さんの繊細なお芝居がとても素晴らしかった。これでお別れしてしまうのが本当に残念だし寂しいです。田辺さん、最高の”兄ぃ”を演じてくださりありがとうございました!

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明治35年(1903年)、栄一は欧州列強国と対等に渡り合うためにはメキメキと商工業で力をつけてきたアメリカに着目。訪問する必要性を感じ渡米します。この時の様子を当時のニュース映像風に演出していたのは面白かったですね。実際、栄一がニューヨークに到着したことがアメリカで「日本のもっとも著名な金融王」と大きく報道されていたらしいですから本当に驚きます。

アメリカ第26代大統領のセオドア・ルーズベルトに賓客としてホワイトハウスに招かれ歓迎を受けた栄一ら視察団。ルーズベルト役の役者さん、実際の写真と比べるとよく似ていらっしゃる。

ルーズベルト大統領と対面した栄一は「日本が今の地位にいるのはペリー提督来日以来の帰国の尽力のおかげです」と感謝の気持ちを伝えました。それに気を良くしたであろうルーズベルトは、日本は美術だけでなく軍事面でも目覚ましい進歩を遂げているのでアメリカもそれを見習いたいと称えている。

しかし栄一はルーズベルトが軍事方面のことは賞賛してくれていても商工業のことについては何も触れてこなかったことに忸怩たる想いを抱いていました。次回こそは商工業について褒めてもらえるよう今後ますます精進したいとその意気込みを語りルーズベルトと握手を交わす。
この時の会話をルーズベルトはずっと覚えていて、7年後に栄一が渡米した折に「今回は商工業についても日本を褒めますよ」といったようなことを語ったと伝わっているそうな。ここはドラマで触れられるかは微妙なところです(たぶん出てこないんじゃないかと 汗)。

ちなみに、日本からの土産品としてルーズベルト大統領に進呈されていた”日本人形”は、今後の展開と関わってくるかと思われます。有名な写真がありますからね。そこを吉沢くんがどう演じるのか楽しみ(っていうかここはドラマに組み込んでほしいぞ)。

セオドア・ルーズベルトは、趣味の熊狩りに出掛けた折に瀕死の熊と出会い撃たなかったというエピソードがあります。そのニュースを知ったあるお菓子屋さんが一体の熊のぬいぐるみを作った時につけた名前が、ルーズベルトの愛称”テディ”だったそう。ルーズベルトは「テディ・ベア」の名前の由来にもなっているのです。

栄一の活躍が世界に広がるなか、放蕩続きだった篤二もようやく真面目にその仕事を支えるようになりました。渋沢家を訪れていた慶喜はそんな彼の姿を見て胸をなでおろした様子。

そこへ、篤二の息子の敬三が弟の信雄と鉄砲遊びをしながら応接室に雪崩れ込んできた。母の敦子にたしなめられた敬三は礼儀正しく慶喜に挨拶を述べます。

ここでさりげな~~く敬三を登場させる演出がニクいですなw。利発そうなお子さんだったことが伝わってきます。

仕事がひと段落着いた篤二が慶喜の元へ挨拶をしにやってくる。真面目に頑張っている姿を見て慶喜も「立派なものだ」と目を細めていました。
同席していた兼子は栄一の忙しさを報告。その中にさらりと「韓国の銀行の仕事をしている」という話が出てきましたが、この数年前に栄一は韓国の皇帝と謁見、日韓のパイプを築いたそうです。さらに目白に女子大学を作ろうとしているという話も出ましたね。これは日本女子大学校(現在の日本女子大学)のことでしょう。朝ドラ『あさが来た』のモデルにもなった広岡浅子とこの学校設立のために密接な関係を築いたようです。

その話を聞いていた篤二は栄一が一番執着していることは慶喜の功績を本にすることだと告げました。そして、「父よりよほど、あなた様の生き方に憧れます」と熱い眼差しを向ける。しかし慶喜は「そんな単純なものではない…」と苦笑いを浮かべ黙り込んでしまった。篤二はそれを不思議そうに眺めていましたが、栄一と話す時間もあまり持てなかっただろうから慶喜の本当の心の重荷に気づくことができなかっただろうな…。

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数日後、3ヶ月にも及ぶ視察旅行から帰ってきた栄一はアメリカの発展に大いに刺激されたようでその体験を娘の夫である穂積や阪谷に語っていました。しかし、懸念することもある。清が日本から取り戻した遼東半島をロシアに渡してしまったという。

日清戦争の終結のための講和が下関で行われた際、日本は清に賠償金の請求や遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲を認めさせることになりました(下関条約)。しかしこれにロシア・ドイツ・フランスが首を突っ込んできて(三国干渉)止む無く遼東半島のみ清国へ返還することになってしまいます。

さらにロシアが虎視眈々と韓国を手に入れようと狙っていることは明らかな情勢。栄一たちは「隣国である日本こそが韓国の独立を助けるべきだ」としてロシアへの対抗意識を燃やしている。西洋列強に対抗するためには韓国が豊かになる必要があると考えていたようです。

すると兼子が少し不思議な顔をしながら「国というのはそんなにどんどん大きくしなければいけないのですか」と尋ねてきた。兼子の問いを聞いた栄一は何の疑いもなく「そういうものだろう」と答えましたが、今考えるとちょっと危険な思想ではあるなと思ってしまいますね…。

この頃、ロシアの南下政策が日本の国防に脅威を与えていて「ロシアを討つべし」といった声が高まっていました。そんなある日、井上馨が陸軍参謀次長の児玉源太郎たちを引き連れて栄一のもとを訪れる。彼らはロシアが朝鮮半島全体を手に入れようとしていることを阻止するために栄一に財界を主戦論で盛り上げるよう取りまとめてほしいと依頼しに来たのです。

栄一は政府が富国強兵の「強兵」の部分ばかりを優先させている現状に強い違和感を持っていた為この話に乗り気ではない様子。しかし、時代はそれを許してくれなかった。「今は危急存亡の時だ」と強い口調でロシアと戦う必要性を説かれ何も言い返すことができず、結局依頼を引き受けざるを得なくなってしまいました。かつて薩摩を討つよう迫られていた慶喜の状況と重なるものがあったな…。

ちなみに、児玉源太郎は1852年生まれ渋沢栄一は1840年生まれです…。

つまり、児玉さんは栄一くんよりも12歳も年下…ということにww。ドラマではあまりにも栄一が若々しすぎるのでとてもそうは見えません(笑)。

明治37年(1904年)日露戦争が勃発。栄一は各地で多くの財界人たちを集め「戦争と経済」について熱い演説を行っていた。

集まった人々は「日本がロシアと戦うのは仁義の戦だ」と熱弁を振るう栄一の言葉に魅了され聴き入っている。結果的に、戦のために金を出してもいいという人々の気持ちが会場中に広がり栄一の演説会は成功を収めるのでした。

難しい演説のセリフなのに、吉沢くんはなんとも小気味いい語り口で人々の心に訴えるような芝居を見事にやってのけていましたね。見た目の若々しさは気になるけど、こういう分かりやすい伝わる芝居は本当に素晴らしいと思う。

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ところがある日、演説を終えた直後に栄一は舞台袖で苦しそうにうずくまって倒れてしまった。会場ではそんなこととは露知らぬ聴衆たちの万歳の声拍手が鳴り響いている…。
おそらく栄一は、どこの会場でも自分の意志に逆らいながら人々の戦意を煽る演説を続けることに大きな心の負担を感じていたのではないでしょうか。その心労がついに限界を迎えたんだろうなと思ったらとても切なくなってしまった…。

栄一の苦悩に気づかず、あまりにも完璧な演説を舞台袖から複雑な思いで見つめていた篤二でしたが、倒れた父を目の当たりにして大きく動揺してしまう。

医者の見立てによると、栄一はインフルエンザを発症しただけでなく喘息も併発。さらには中耳炎にも犯され危険な状態になっていたらしい(汗)。中耳炎はなんとか手術で落ち着いたものの、体の衰弱は日に日に進み飛鳥山の邸宅で寝たきりの状態にまでなってしまった…。

穂積や阪谷は15年前に三条実美がインフルエンザで亡くなってしまったことが記憶によみがえったようで栄一の容態を心配していました。ここで三条様がセリフとして亡くなったことを知るとは…。放送時間足りないからこうやって言葉だけでこれまで活躍した人の顛末を知るしかないの、辛いよなぁ。

すると篤二は「父上は戦争の時に限って病になる。清国との戦の時にも寝込んでいました。よほど体質に合っていないのかもしれません」とまるで他人事のようにつぶやく。清国の時に寝込んでいたシーンは出てきませんでしたが、伊藤博文との会話の中でそれを匂わせるセリフがありましたよね(日清戦争の折に栄一は皮膚がんになってしまっていました)。
その分析は合っているかもしれないんだけど、あまりにも心が通っていない言葉で歌子たちは驚いてしまう。篤二はそれだけ栄一と密に過ごした時間が少ないということか…。

しかし内心は不安でたまらない篤二。栄一に万が一のことがあれば自分が後を継がなければならない。父があまりにも偉大なことをアグレッシブにやってのけていた為、そのプレッシャーたるやハンパないものだったと思います(汗)。誰もいないところで思わず足がすくんでしまうその気持ちは痛いほどわかる…。

すると、栄一が寝ていた部屋から咳きこみながらも「日本はどうなっているんだ!?日本が危ないんだ…!」と執念で起き上がり呻きながら歩いてくる。何とか兼子と医者がそれを制して部屋に戻っていきましたが、自分の命を顧みない父の気迫を目の当たりにした篤二の胸にはさらなる恐怖が襲ってきてしまった…。

その後も栄一の容態は悪化の一途をたどり肺の機能が壊死し始める事態にまでなってしまう(汗)。この場面、現代でいうところのコロナの重症化ってやつと被ってしまって恐怖しかない。人工呼吸器やエクモも存在してないなか、どんどん助かる道は狭まっていく。栄一の寝顔にも死相が漂い始めていた…。兼子にも「お覚悟なさってください」という言葉が医者から告げられていた…。
ここまでくると、普通のドラマではもう待ち受けるのは「死」しかないなと覚悟するシーンだよな(汗汗)。

居間には栄一の親族たちが沈痛な面持ちで集まっていました。いつの間にか知らない顔が増えてる気が…(汗)。あれは、琴子さんのお子さんたちでしょうかねぇ。歌子さんのお子さんもかなり大きくなって…みたいなことでしょうか。なにせ時間がないので人物紹介もなく(苦笑)。せめて字幕をプリーズw。

少し時間が経った頃、兼子が栄一が佐々木勇之助と篤二を呼んでいると告げにやって来た。皆の顔に”覚悟の時”が訪れたのかという絶望感が浮かんでいる。勇之助は沈痛な気持ちを抱きながらも栄一の傍へ向かいましたが(彼は初めての簿記講座の時に外国の先生と計算を競って算盤で勝利したあの人です)、篤二は父亡き後の恐怖感からかすぐにその場を動くことができなかった。

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なんとか勇気を振り絞って栄一の寝ている部屋へ向かう篤二でしたが、瀕死の状態の栄一が次の銀行の頭取を勇之助に任せたいと遺言を残している姿を目の当たりにして眺め足がすくんでしまう。栄一から伊藤と井上に遺言したいことがあるから呼んできてほしいと頼まれた勇之助は、涙をこらえてその指示に従うため席を外していきました…。

栄一は部屋の外で立ち尽くしていた息子の姿を見ると、日露戦争がどうなっているかと弱々しい声で尋ねる。篤二は慌てて部屋に入り震える手で傍にあった新聞を取り必死に日本軍が優勢であることを伝えました。
しかし、命の火が消えそうな栄一には息子の怯えた心情までは察することができなかった。そしてもう長くないことを悟り最後の言葉を告げる。

「後は頼んだぞ。嫡男はおまえだ…。この家を頼む…、頼んだぞ…」

縋るような眼差しで息子を見つめ手を伸ばした栄一。しかし篤二はその手を握り返すことができずに無我夢中で部屋を飛び出してしまった。得体のしれない恐ろしい”何か”から逃れるように必死に走る篤二…。気が付くと庭に出る扉の前で荒い息をしながら立っていた。
すると、書生たちが栄一の最期が近いらしいと噂しながらやってくる。後を継ぐのは篤二だろうと語るその口調はどこか不安に満ちているように聞こえてきた…。それがますます篤二の気持ちを追い詰めていく。

降りしきる雨のなかたまらず庭に出た篤二でしたが、とてつもないプレッシャーからくる恐怖に耐えきれず立ち上がることができない。

次第に気持ちが昂り、気が付けば叫びながら庭の芝生に拳をぶつけていた篤二。その声に驚いた兼子と見舞いにやって来ていた慶喜が駆けつけてくる。その姿が目に入った篤二は心の中に溜まっていた本音を吐き出してしまう。

「僕も逃げたい…。僕も逃げたい!!!それでも、あなたに比べたらマシなはずです。あなたが背負っていたのは日本だ。日本全てを捨てて逃げた!それなのに今も平然と…」

そこまで思いの丈をぶつけた時、兼子が堪らず「何を言っているの!?」と驚き諫める。この瞬間初めて我に返った篤二は恐怖におびえた顔を浮かべその場から走り去っていってしまいました。憧れの存在だったはずの人に暴言を吐いてしまった自分に嫌悪感と恐れを感じてしまったのか…。
趣味に生きる慶喜に憧れを抱きながらも、その反面「日本を捨てたくせになぜ平然としていられるのだ」という違和感も併せ持っていた篤二。非常に複雑な感情で慶喜のことを見つめていたんだと思ったらなんだか苦しくなってしまった…。泉澤くんの気迫の芝居に圧倒されてただただ心が痛いシーンだった。

篤二は実業家という仕事に魅力を感じていなかったにもかかわらず、その道に進むことを運命づけられてしまったことが悲劇だったなぁと思う。比較的甘やかされて育ったことや、幼い時に母を亡くしてしまったことから、運命に立ち向かうだけの勇気を持てなかったのかもしれない。生きるか死ぬかといった環境で生きてこなかったことも影響してるだろうなぁ…。
自分自身の不安のことでいっぱいいっぱいになっている篤二は、慶喜の背景を知らなかったとはいえその気持ちを慮ることができなかった。それでも慶喜は篤二の言葉を黙って全て受け止めてて…、それがなおさら切なくて泣けた(涙)。

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雨が上がり明るくなった頃、栄一が意識を取り戻すと傍らに慶喜が座っていて驚きのあまり無理に起き上がろうとしてしまう。さっきまで遺言を残すほど危ない状態だったのが夢のようで驚いてしまった(汗)。それに…、ちょっと、白髪が減ってなかったか!??栄一、重篤な状態になってかえって若さが甦ったとか!?なんだか色々とビックリw。

それでもまだ咳きこみ苦しそうに呻いている栄一を見た慶喜は、少し戸惑ったようにその体をさすりながら「無理をするな。まだ死なぬ方がよいだろう」と言葉をかけました。今死んでしまえば心残りだろうと励ます慶喜。そして、何とか生きる気力を持ってほしいと栄一への想いを打ち明ける。

「私もまた、そなたに何も心を尽くせてはおらぬ。そなただけは、どうか、尽未来際…、生きてくれ…!生きてくれたら、何でも話そう。何でも話す。そなたともっと話がしたいのだ!だから、死なないでくれ」

ここでまさか、「尽未来際」という言葉が再び出てこようとは(涙)。それはかつて、慶喜が腹心の家臣だった平岡円四郎に初めて素直な気持ちを打ち明けた時の言葉でしたよね…。この先未来永劫、ずっと自分の傍で仕えてほしいという親愛の気持ちを円四郎に伝えた慶喜。でも、その直後に彼は命を絶たれてしまった。
栄一に「尽未来際」という言葉を告げた後少し言葉に詰まったのは、きっとその時のことを思い出してしまったからに違いない。同じ言葉を告げてまた大切な存在を失ってしまったらという不安な気持ちが沸き起こってしまったのではないだろうか…(涙)。

それでも、慶喜は栄一の生命力を信じ、賭けたのだと思う。彼ならばきっと「尽未来際」自分の傍に居続けてくれると…。いまや慶喜にとって栄一は唯一の心の拠り所になっていたんだなと思ったら泣けて仕方なかったです(涙)。
栄一は縋るような眼差しで生きてほしいと強く訴える慶喜の言葉を聞いて感極まってしまう。そこまでして敬愛する人が自分を求めてくれていたなんて…そんなん、泣いちゃうよね。

この時の慶喜との対面が奇跡的に栄一に回復する力を与えることになりました。あんなに死相が漂っていたのが嘘のようにみるみる生気を取り戻していく。栄一の脅威の生命力には本当に驚かされてしまった。慶喜さんの見舞いの力も、恐るべし!!”病は気から”という言葉を信じたくなりましたよ、本当に。

布団の上に座り人と対面できるまでに回復した栄一のもとに、日露戦争の戦況が次々と飛び込んでくる。日本軍は勝ち進み、ついには東郷平八郎率いる軍隊がロシア最強の異名を持っていたバルチック艦隊を撃破したという。興奮する穂積たちの言葉を、栄一は複雑な想いで聞き入っていました…。

アメリカにも日本軍の予想外の快進撃は伝わっていたようで、ルーズベルト大統領は脅威を感じていました。そして、栄一たちから贈られた日本人形を見つめながら「万が一に備えて海軍を強化しておくように」と告げ葉巻の煙を吹きかける。このシーンは非常に不気味でしたね…。のちのちの日本の悲劇はここから始まっていたのかもしれないと背筋が寒くなった。

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日本海海戦の勝利を知った民衆は歓喜に沸き、ロシアとの講和会議のためポーツマスに向かう外務大臣の小村寿太郎を熱狂的に見送っていました。しかし、彼を見送るため待っていた伊藤は「これで講和できなければ日本は潰れる」と深刻な顔をしていました。栄一は戦争に勝ったはずなのになぜそんなことを言うのか不思議に思っている様子。

すると伊藤は、日本が国力を使いすぎて疲弊しきっていることを伝える。奇跡的に勝利を獲得したものの、これ以上の戦いに日本はもう耐える力がなかったのです。講和会議の機会も伊藤の工作によってようやく実現したことだった。井上も「この交渉に失敗すれば日本は破滅する」と危機感を抱いている。栄一はその現実を知らされ驚きを隠せませんでした。

列車の外は今回の交渉で多額の賠償金が入るはずだと信じる民衆たちの期待の声であふれている。日露戦争のために増税を強いられてたことをひたすら我慢してきた彼らは、勝利したことによりようやく苦しい生活にピリオドが打てると大きな期待を寄せていたのです。
しかし、現実はそんなに簡単なものではなかった。交渉も民衆が望む方向で運ぶかどうかは極めて不透明な情勢。小村は賠償金を取ることよりも戦争を終結させること自体に力を入れざるを得ないと悲愴な面持ちをしている…。栄一の胸に不安ばかりが過ってしまうのも無理はない。

その2か月後、清国への影響力を強めたい思惑のあったアメリカの仲介により日本とロシアの間に講和が成立。ポーツマス条約が調印されます。しかし、小村寿太郎の顔に笑顔はありませんでした。

それにしても、半海さんが演じる小村寿太郎さんも実際の写真とかなり雰囲気が似ていてビックリしました。ちなみに小村と握手をしているロシア人はウィッテですね。彼も体格といい顔つきといい、かなり本物の写真に寄せているなぁと思いました。

講和で日本が獲得したのは領土の優先権のみで、賠償金は一銭も請求することができませんでした。ロシアのほうが国力が強かったため、交渉決裂後も戦争を続けるだけの余力がありました。しかし、日本にはもうその余裕がないためなんとしても戦争だけは終わらせる必要があったのです。それゆえ、賠償金を払えとロシアに強く交渉ができなかった。
しかし、そんな交渉内容の事情など日本国民は知ったこっちゃない。ロシアへの賠償金要求ができないと知るや否や歓喜していたはずの民衆は失望し、激しい怒りに転じてしまいました。

重い気持ちで日本に到着した小村に怒り狂った国民が襲い掛かる事件も発生。なんとか難を逃れた小村を弁護した栄一にも「売国奴 渋沢」といった紙がひっきりなしに送り付けられるようになってしまった。国民の気持ちも分からなくはないと苦笑いする喜作でしたが、栄一は「国民は今の日本にこれ以上望めないことを知らずに政府を糾弾しているのだ」とため息をついている。
しかし一方では、国を守るためとはいえ財界人を集めて演説したりと民衆を戦争に駆り立ててしまうことになった自分に対しても責任を感じているようでした。望んでやったわけではなかったにしても、結果的にその方向へ向かわせてしまいましたからね…。

とりあえず詳しい話を聞きに外務省へ向かおうと馬車に乗り込む栄一。ところが、出発しようとしたとたんに暴徒と化した民衆が一斉に襲い掛かってきた。「売国奴」と罵り敵意丸出しの感情をぶつけてくる人々の顔を栄一はじっと見つめていました…。
水道管事件の時のようにまた窓ガラス割られて刃物で襲われたらと思うと本当に恐ろしい場面でしたね(汗)。あれからガラスなど防犯設備もしっかりさせたのかしら…。今回は突破されなくてよかった。

講和条約反対の大規模な集会が行われた場所が東京の日比谷公園でした。警察が出動してそれを制しようとしましたが、興奮した民衆によって逆に襲撃されてしまいます。これをきっかけにさらに大きな暴動に発展し、ついには公共機関や政府、新聞社などからアメリカ大使館、教会に至るまで放火され無政府状態になってしまったのだとか。この出来事は後に「日比谷焼き討ち事件」と呼ばれることになります。
その後、戒厳令が敷かれ軍が出動しようやく暴動は鎮圧されました。死者は17名、負傷者500名以上、検挙されたものは2000人以上にのぼったと言われる大惨事だったとのこと。
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世情が未だ落ち着かないなかではあったものの、ようやく栄一念願の慶喜の伝記を編纂する作業が始まることになりました。歴史学者や昔を知る人たちがその場に集められている。

そこには年老いながらもまだまだ元気な猪飼さんの姿もありました。相変わらずユーモアあふれ朗らかな猪飼様の存在は重い展開が続くなかで本当に救いでした。

すると、少し緊張した面持ちの慶喜が栄一の先導でやって来る。その時の静かな佇まいにちょっとドキリとさせられました。まるで慶喜本人がその場に現れたかのような錯覚が起こったほど、草彅くんの姿が神々しく見えたよ!!まるで憑依されたかのようで…あれは、降りてきてたんじゃないか!?とすら思った。

まず最初に挨拶する栄一。その言葉の中で共に活躍した新聞記者の福地源一郎が病で世を去ってしまったことが触れられていてビックリしました(汗)。

ジャーナリストとして活躍した後は劇作家の道に進んだ福地源一郎。明治36年に親しかった九代目・市川團十郎がこの世を去った後に演劇界から引退し政治の世界に進みました。慶喜の伝記の編纂作業が進まないなか病に倒れ、無念の最期を迎えてしまいます。

慶喜の伝記を作りたいという熱意を滔々と語る栄一でしたが、その途中で猪飼様が「まだ喋る気か?ここにおる者は皆そんなことは分かっておる。お主は年をとっても話が長い!」とご尤もなツッコミww。栄一はこっぱずかしい想いをしていたようでしたが(笑)、緊張が張り巡らされたような会場は一気に和やかな雰囲気となりました。やっぱり猪飼様は「青天を衝け」に必要な存在。いつまでもこんな風にお元気でいていただきたいものです。

すると、栄一の熱弁を聞いていた慶喜は「ありがたいが、汚名を雪がれることは望まない」と告げました。あくまでも自分はすべてを投げ出して逃げたのだと静かに語りだします。最初は幼少期のことから語る予定だったようですが、慶喜は戊辰戦争前夜の出来事から語り始めました…。それだけ彼のなかではずっと心の重荷となっている出来事なのだろうなと胸が痛みます…。

幕府内に薩摩への憎しみが渦巻いていたあの頃…。周囲にいた人は口々に出兵を主張し激昂し半狂乱状態になっていた。その当時、酷い風邪をひいた身でありながらも「決して戦端を開いてはいけない」と言い続けた慶喜のことを喜作は思い出していた。
しかし、慶喜と刺し違えてでもという過激な意見が大勢を占めるようになってしまった。「薩摩を討つべし!」の大合唱を一身に浴びたことで恐怖を感じてしまったあの時のことが脳裏をよぎる…。

「今でもあの時の皆の顔を夢に見る。人は誰がなんと言おうと戦争をしたくなれば必ずするのだ。欲望は道徳や倫理よりずっと強い。ひとたび敵と思えば、いくらでも憎み残酷にもなれる」

なんという重い説得力のある言葉…。戦に向かう時代を身を以て体験した慶喜はその恐ろしさを身に沁みて実感していた。「欲望は道徳や倫理よりずっと強い」というセリフは特に印象深いです。戦争を起こす人の感情はまさに”欲望”と等しい。太平洋戦争の時も、きっとそれと同じ状況だったのではないだろうか。哀しいかな、負の歴史も繰り返してしまうものなのだなと思うと何ともやりきれない気持ちが沸き起こってしまいます。

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栄一は初めて慶喜本人の口から当時の苦悩を聞いて胸を痛めていました。もしもあの時自分が慶喜の傍にいたらどう動いていただろうとも感じたかもしれない。

「人は好むと好まざるとにかかわらずその力に引かれ、栄光か破滅か、運命の導くままに引きずられていく」

実感のこもった慶喜の言葉を聞いた栄一の脳裏に、日露戦争前夜と戦後の混乱に翻弄される人々の感情の移り変わりがまざまざと蘇ってきた。人の心はなんと脆く頼りないものなのだろう…。時代の引力に左右されてしまう人間の弱さが戦争を呼び寄せてしまうのだと思わずにはいられない。
そして慶喜は戊辰戦争開始時の苦しい胸の内をさらに打ち明けていきました。

「私は抵抗することができなかった。ついに『どうにでも勝手にせよ』と言い放った。それで鳥羽伏見の戦いが始まったのだ。失策であった…。後悔している」

当時を思い出しながら俯き加減で自らの罪を告白する慶喜…。自分の決断で多くの貴重な命を失わせてしまった悔恨が彼の中から消えることはない。だからせめて、謹慎処分と決まった後はひたすら息を潜めて生きていこうと決めた。趣味に没頭し世間から忘れ去られるような生き方は、慶喜の贖罪の気持ちそのものだったのです(涙)。

心静かにキャンバスに向かって描いた白い蓮の花の油絵は、失われてしまった命への弔いの気持ちが込められていたに違いない…。

初めて慶喜の本心を知った篤二は「今もまだ平然と生きている」と暴言をぶつけてしまったことを後悔しているように見えました…。猪飼は「そこまでの御覚悟が…」と絶句し、喜作は「ただ逃げたのとは違うのだから、あれだけそしりを受けながらあえて口を閉ざさなくてもよかったのではないか」と悔しさをにじませる。

しかし慶喜はまっすぐと前を見つめながら「人は生まれついての役割がある。隠遁は私の最後の役割だったのかもしれない」と告げました。栄一は「役割」という言葉を耳にしたとき、改めて自らの為すべきことは何か問い直しているようだった。日露戦争へと人を駆り立てる役割を担ってしまった自分に、戊辰戦争開始前夜に苦悩した慶喜の気持ちを重ね合わせていたのかもしれない。

ほとんどの人が帰路に就いた後、一人椅子に座り物思いにふけっていた栄一はふと傍にいた篤二に「私の道とはなんだ?」と問いかける。
これまで日本を一等国にする為、がむしゃらに多くのことを成し遂げてきた。しかし慶喜の贖罪の気持ちを知った今、果たしてこのまま自分は突き進んでいくべきなのかと迷いの気持ちが生じてしまった。自分が目指した世界はもっと違うところにあるのではないかという想いが沸々と湧き上がってくる。

「今の日本は心のない張りぼてだ。そうしてしまったのは私たちだ。私が止めねば」

一旦立ち止まり、誤った道を進んでしまったことに気が付いた栄一。それを正すのは自分しかいないという使命感が彼の中に渦巻き始めていました。その末に出した結論は、実業界を引退するということだった…。

栄一は穏やかで満足そうな表情を浮かべていましたが、父の引退宣言を聞かされた篤二は再びとてつもない大きな不安に襲われ足がすくんでいるように見えました。これは、篤二崩壊の大きな助走となる出来事だったかもしれないなぁ…。栄一はそんな息子の複雑な胸の内を知る由もない。もっと腹を割って話す時間があればよかったのにと思わずにはいられません…。

次回は篤二のエピソードがクライマックスを迎えそうですが、それと同時にまた大きな別れもありそうです。いよいよあと2回…。15分延長で足りるのかな(汗)。もっと話数が欲しい!!

完全版ディスク発売中!(第弐集は12月発売予定)

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