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NHK大河ドラマ『青天を衝け』第23回ネタバレ感想 篤太夫と最後の将軍

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パリ編に突入し、ますます盛り上がってきた『青天を衝け』ですが、残念ながら今回のエピソードのあと3週間の休みに入ることとなってしまいました(しかもその後さらに2回休止予定 涙)。本来ならば昨年の『麒麟がくる』でこういう事態になるはずでしたが、例のイベントが1年延期となり『青天~』がそれを被ることとなりました…。

『麒麟~』も昨年長期の放送休止期間がありましたが、その事情はスタッフやキャストの安全を守るためという大義名分があったので受け止めることができた。でも、今回の場合は国民の意見を真っ二つに割るような異様な雰囲気のなかで強行開催されるオリ〇ピ●クが大きく影響しているので…正直なところ、非常に残念な気持ちでいっぱいです。ドラマは12月いっぱいまでと決まったとのことで、これまでの大河よりもかなり話数が少ない放送ということになってしまいました(全41回)…。

ちなみに私は、今の大河『青天~』が放送中にもかかわらずショーのように小出しに次回大河のキャストを発表するやり方は好きではありません。興味を惹きたい気持ちはわかるけど、今の大河やってる時にする手法としてはズルいなと(戦略なんだろうけど)。
題材は好きな時代だし、発表されるキャストも楽しみですが、やり方としてはなんだかすごくモヤります…(あくまでも個人的見解ですのであしからず)

話がだいぶ逸れましたが(汗)、今はじっくり『青天~』を楽しみたいです。短い話数でも濃厚で面白い内容が期待できるのでこれからも応援しています!

以下、第23回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー

『青天を衝け』第23回 篤太夫と最後の将軍

2021年07月18日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、橋本愛、板垣李光人、志尊淳、岡田健史、博多華丸、山内圭哉、石丸幹二、草彅剛、ほか

あらすじ

フランスからの借款は消滅したが、篤太夫(吉沢 亮)が当面の資金繰りに奔走し、昭武(板垣李光人)は留学を続けていた。家庭教師のヴィレットの教えに従い、篤太夫たちは髷(まげ)を落とし、刀も外し、洋服を着ることに。同じころ、日本では西郷(博多華丸)が軍備を整え、岩倉(山内圭哉)と大久保(石丸幹二)が王政復古への動きを進めるが、慶喜(草彅 剛)は先手を打って政権を帝に返上してしまう。一方、血洗島では篤太夫の養子になった平九郎(岡田健史)が、江戸に向かおうとしていた。

<公式HPより引用>

血洗島では、よしさんが成一郎のもとに届けられたパリの篤太夫の写真を見せに渋沢家を訪れていました。

元気そうな夫の姿に胸をなでおろす千代。この写真、実際の渋沢栄一さんのパリで撮影されたとされるものとかなり寄せて作られてますね~。吉沢くんがちょっとカッコよすぎるんですがw。
千代は娘に「父は尊いお方のお供で遠い国で働いているのだから、無事に戻るまで行儀や心掛けが良い子ではなりません」と言い聞かせていました。愛情深く育てつつも躾に対してはけっこう厳しく教えているようですね。きっとうたちゃんは賢い娘に育つに違いない。

その頃パリでは、フランスからの600万ドルの借款の話が頓挫してしまったという知らせを聞いて大騒ぎになっていました。そのお金で日本の近代化を見込んでいただけにこれは大きな痛手です(汗)。
外国奉行の向山は「薩摩の差し金だーー!!」と大憤慨。モンブランと手を組んだ薩摩の岩下に展示物の一件で手玉に取られた一件がありましたからね(苦笑)。彼らは幕府の権威を失墜させることにまんまと成功してしまったわけです。

しかし、このまま手をこまねいていたら昭武の今後の留学費用が尽きてしまう。そこで田辺太一は前回の汚名返上とばかりにある提案をしてくる。それがあまりにも早口でややこしい内容だったので愛蔵や他の人はポカーン状態だったのですがw、そんな中で一人だけ「なるほど、逆為替で金を得るわけですね」と納得していたのが篤太夫。よくあの説明で理解できたなと驚くレベルだったわ(笑)。さすが、お金のことになるとセンサーが働くねぇ。
つまりは、フランスがダメならオランダやイギリスと交渉できればうまいこと為替を引き出せるのではないかという提案でした。手を打つのが早かったのが功を奏してか、何とかそれで当面の資金を得ることに成功。昭武一行は条約を結んだ諸国への旅に出発することができました。

昭武たちが歴訪した国々は、スイス,オランダ,ベルギー,イタリア,イギリスでした。
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順調に旅を続け、スイスのベルンに辿り着いた昭武御一行様。そこで栗本鋤雲と合流することになりました。「薩摩に貶められた公儀(幕府)の信用を取り戻しに来た」と自信満々の栗本さん、外国は初訪問にもかかわらずえらい落ち着いてて頼もしいです。篤太夫よりもさらに海外への適応能力が高い人なのかもしれん。

栗本は小栗が発行した為替を篤太夫に手渡します。公儀としては金がないならこれ以上旅を続ける必要はないとの考えだったようですが、小栗は諸国の信用を失わないためにも旅は続けるべきだとして独自にお金を工面してくれたのです。渡航経験のある小栗さんは、外国との結びつきが今後の日本にとっていかに大切かを理解していたんだろうね。彼の援助のおかげで後の”渋沢栄一”が作られたと言っても過言ではないと思ってしまった。

愛蔵は今後の指示を仰ぐためにいったん帰国の途に就くことになりました。篤太夫とは良い連携を見せていただけにここで帰ってしまうのはちょっと残念。

篤太夫は愛蔵に家族や惇忠に宛てた手紙を託しました。見立て養子と定めた平九郎がその後どうなったのか情報がなく(千代さんからは未だに返事がこないらしい 苦笑)気が気じゃない様子w。そんな篤太夫に愛蔵は「平九郎君のことも引き受けよう」と情報提供を約束してくれました。パリでの自分の仕事を篤太夫に引き継ぐ関係から引き受けてくれたみたいですが、それ以上に二人には業務を越えた熱い友情も芽生えたようでした。

「いつか必ず日ノ本で会おう!」

固いシェイクハンド(握手)を交わし、ブランデーを飲んでお互いの健闘を誓った篤太夫と愛蔵。また再び一緒に仕事ができる日が来ることを願わずにはいられませんでした。

その同じ日の朝、京では大きな悲劇が起きていました…。

髷を整え終わった原市之進に「本圀寺遊撃隊」なる者たちが来たという知らせが舞い込んでくる。それと同時に押しかけてきた2人の人物は有無を言わさず襲い掛かり、市之進は刀を抜く暇すら与えられずに斬り殺されてしまいました。享年38歳…、あまりにも早すぎる死でした。
いつも呆れながらも篤太夫たちを温かく見守り続けてくれた市之進の突然の死はとても哀しかった…(涙)。帰国した篤太夫はさぞ悲しむに違いない…。

平岡円四郎の暗殺の時よりもインパクトは抑えられたような描き方ではありましたが(汗)、98年大河『徳川慶喜』で山口祐一郎さんが市之進を演じたときには側近だったにもかかわらずかなり呆気ない死の描き方だった印象が強い(苦笑)。
それだけに、非常にショッキングな暗殺シーンではありましたが今回はちゃんと見せ場があってよかったなと思いました。尾上君の熱演、素晴らしかったです!

慶喜の一番近い側近だった原市之進は、慶喜が開国派に傾いた要因の人物であるとみなされ恨みを買うことが多くなっていました(兵庫開港問題)。その流れで、開国に断固反対する攘夷派によって暗殺されてしまいました。市之進を襲ったのは、幕府の直参に当たる人物とされています。
ちなみに「本圀寺遊撃隊」とは、水戸藩主の徳川慶篤(慶喜の兄)を警護するために本圀寺に集まっていた水戸の部隊のこと。
原市之進のお墓は、藤田東湖・小四郎親子と同じ常磐共有墓地内にあります(原市之進は藤田東湖の従弟でした)。

円四郎に続いてまたもや有能な側近を身内に暗殺されてしまった慶喜は非常に大きなショックを受けてしまいます。それを知らせた成一郎も辛かっただろうな…。

「なぜだ…!!なぜ私の大事な者を次々と奪う…」

人払いをし一人悔しさと哀しみに暮れる慶喜の姿がとても痛々しく切なかった(涙)。

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同じころ、血洗島では平九郎が尾高の家から正式に渋沢家の養子として迎え入れられていました。すっかり大人っぽくなったよね、平九郎。むしろ篤太夫よりもキリっとしていて逞しいw。
しかし、平九郎は渋沢家で暮らす間もなくすぐに江戸へ向かうことが決まっていました。一緒に江戸へ行くことになった母親のやへさんはどこか嬉しそうでしたが、一緒に暮らせるとテンション上げて喜んでいたていはガッカリしてしまう。

「この前まで攘夷と騒いでいたくせに」と相変わらずお小言が多い伯父さんと伯母さんでしたがww、惇忠は「異国の進んだ技を身に付ければ、万一異国が敵になったとしても日本の役に立てる」と説得するのでした。
千代は厳しい顔で平九郎に「お前はもう武家なのだから、何があっても栄一さんに代わって忠義の道を尽くすのですよ」と覚悟を説きました。それに対して平九郎もキリっとした表情で「栄一さんが戻るまで俺が家を守ります!」と宣言。その頼もしい言葉に千代も少し安堵したようでした。

ていはそんな平九郎に寂しさをこらえ一生懸命笑顔を作りながら何か告げようとしましたが、こみ上げる感情を抑えきれずなかなか言葉が出てこない…。そしてとうとう外へと飛び出してしまいました。
平九郎がその後を追いかけると、庭先でていが声を殺して泣いている姿が目に入る。平九郎の気配を感じたていは必死に涙を抑え、手作りのお守り袋を手渡しました。「どうか、お元気で…」となんとか笑顔を作るもののやっぱり泣いてしまうていの姿がなんだかとても痛々しい…。

そんな彼女を目の当たりにした平九郎は、思わずていのことを強く抱きしめました。

「おてい、俺は、いつかお前を嫁に欲しい!栄一さんが無事に帰ってきて跡継ぎの心配が無くなったら、俺はここに帰ってくる。そしたら、俺の嫁になってくれ!!」

なんとーーー!!平九郎もていのことが好きだったのね!!なんとなくそんな雰囲気もチラチラ感じてましたが、「結婚したい」と思うまで盛り上がっていたとは知らなかったのでちょっとビックリしました。
まさかの両想いだったことを知ったていは嬉しさと驚きで思わず言葉を失ってしまう。そして、感激のあまり号泣。うん・・・うん・・・わかるよ、おていちゃんのその気持ち(涙)!!!平九郎が自分に想いを寄せてくれてるなんて夢だと思ってた節あるもんね。それだけに喜びと感動もひとしおだったと思うよ。

それを見た平九郎は「バカ、泣くな!みんなに聞こえるだろう!!」と大いに焦ってしまいますがww、もう時すでに遅しでバレバレ状態でした(笑)。でも、ゑいさんも千代も嬉しそうでしたね。

晴れて両想いとなった二人。こんなハッピーな場面なのに、先の運命が見えてしまうと切なくてたまらなくなってしまう。いつまでもこの幸せが続けばいいのに…。平九郎、本当は江戸へ行ってほしくないよ…。

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一方、京では岩倉具視が大久保一蔵らを呼び出して「これがあれば、戦になっても心配あらしません!」と自信満々にある図柄の見本を見せつけていました。

それは、「錦の御旗」のデザイン画でした。とにかく「目を惹くことが大事だからケチったらだめだ」と熱弁を振るう岩倉。

”錦の御旗”とは、「天皇の軍」であること(官軍)の証となる旗のこと。1221年の承久の乱の時に後鳥羽上皇が与えたのが最初と言われています。後醍醐天皇も鎌倉幕府打倒の戦の折に錦の御旗を掲げたと伝わっているそう。
しかし、江戸時代は戦がない平和な世の中だったため、幕末には”錦の御旗”を実際に目にしたことのある人はいませんでした。

真の”王政復古”のために何としても徳川を亡ぼしたい彼は、もはやなりふり構わずな策を打ち出してきたようです。大久保も「薩摩も徳川を撃ち祓う気満々だ」と乗ってきました。
しかしながら、土佐では意見が割れているため話が進まないらしい。それを聞いた岩倉は「はぁ!??」と呆れ顔にww。このあたりの山内さんのお芝居が面白すぎ(笑)。

土佐が揉めてる間に徳川が勢いを盛り返したら大変だということで、大久保は「一刻も早く討幕の宣旨をいただきとうございます!!」と迫ります。
同じころ伏見の薩摩藩邸では西郷が「戦じゃ~!!戦じゃぁ!!」と今すぐにでも戦端を開かんとする勢いでテンション上げていましたw。”天璋院様御守衛”という役目を受けていたこともあり、それを盾に浪人を集め戦支度に余念がない(天璋院を守るという大義名分を利用したわけですな)。今回の西郷どんはホント不気味だわ~~(汗)。あのボケまくる華丸さんと同一人物なのが信じられなくなるほどww。

慶喜は戦支度への動きを活発化させる薩摩の動きを懸念。金銭不足のなか戦をしたら幕府が大敗してしまうことは火を見るより明らかでした。そこで慶喜の脳裏に浮かんだのが「いっそ政を朝廷にお返しするか」という案でした。幕府が政権を朝廷に返上してしまえば、薩摩や長州は大義名分を失い戦の矛を納めざるを得ないだろうと考えたのです。
さらに、500年も政治から遠ざかっている朝廷なら、どうせすぐに政に行き詰って自分に助けを求めにくるだろうと算段も頭にありました。

「こういうことを一人で考えねばならぬとはのぅ…」

暗闇のなかでたった一人囲碁を打ちながら策を練っていた慶喜の脳裏に、かつての側近・平岡円四郎や、「おかしろい」存在だった篤太夫の姿が浮かんできたシーンは印象的でした…(市之進も仲間に入れてほしかったけど)。腹を割って話せる相手が傍にいないことの寂しさに耐える慶喜の孤独感が哀しくも切なかった(涙)。
でも、「一人囲碁」の姿を見るともう一つ思い出してしまうのが、大河ドラマ『おんな城主直虎』。直虎と政次が別々の場所でお互いを感じながら囲碁を打つ場面は今でも鮮明に覚えてる。囲碁=政次とすら思っちゃうほど。

大河には登場しませんでしたが、実際のところは幕府と薩摩ら反幕府勢力との戦を避けるために動いた土佐藩の後藤象二郎が坂本龍馬と「大政奉還」のアイディアを出したと言われています。後藤は、幕府が天皇に代わって政治をするという現行のスタイルを撤廃し、天皇を中心として能力のある人材が政治を行うべきだと提案しました。幕府が消滅すれば反幕派の薩摩たちは振り上げた拳を下ろすしかなくなるだろうと考えたのです。
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そして慶応三(1867)年十月十二日、運命の日が訪れます。『青天を衝け』の要所要所で解説を担当してくれている徳川家康さんもこの瞬間を見届けることに…。

二条城に諸侯たちを集めた慶喜は「政権を帝に返上する」と宣言しました。

ついに、”大政奉還”の意思が慶喜の口から告げられる。二条城にはこの時の現場が今も保存されています。

「長い間政治の権力は武士が握り、自分も征夷大将軍を受け継ぎ天下人となった(天皇に代わって政治を行う役目を受けたということ)。しかし、今は情勢が変わり外国との交易を通じて政権を一つにまとめていかなければ国家を治めることができない。それゆえ、政権を朝廷にお返しし、様々な意見を取り入れ天子様の決断を仰ぎ同心協力してこの国を守りたい。さすれば日本は、必ずや海外万国と並び立つことができよう」

この「大政奉還」は家康の遺志を引き継ぐことにもなるのだという言葉を受け、北大路@家康様が万感の思いを込めて目をつむりそれを受け止めた瞬間の場面はとても印象深く思わず見ているこちらも目が潤みました…。

まさか徳川家康が自分の作った江戸幕府の終焉を見届ける日が訪れようとは思いもしなかったよ…。家康さんとしては色々と複雑な感情はあったでしょうけど、最後の最後には「これでよかったんだ」と慶喜の言葉を受け入れたように見えました。このあたりの無言のお芝居の迫力と説得力、さすが北大路欣也さんだなと感動いたしました!!

「大政奉還」の草案を後藤象二郎から聞いた薩摩藩の西郷らは、それを慶喜がOKするはずがないと思い込んでいたため、そうなれば自分たちに有利に働くと考え承諾してしまった経緯がありました。ちょうどその頃薩長は倒幕の密勅を受けていましたが、その当てが外れたことで彼らは出鼻をくじかれることになってしまったのです。
ドラマに登場したのは、二条城の二の丸大広間に集められた40藩の重臣約50名(事前に10万石以上の大名の重臣に打診がありました)に対し慶喜が大政奉還の意思を伝えたうえで「意見がある者は率直に尋ねてくるように」と告げた場面です。この後、後藤象二郎ら6人が慶喜と面会して「みんな了承した」との表明を受け、10月14日に正式に朝廷に「大政奉還上表書」が提出されました。

ところが、その場に呼ばれなかった小栗らは大政奉還の知らせを受け「上様はご乱心されたのか!!」と大憤慨。なんとしても公儀を潰したくなかった彼らは、政治をいち早く取り戻すため江戸から軍を上京させることを急がせました。公儀に刃向かう者たちを煽り戦端を開かせ、帝からその者たちを引き離すことを画策する小栗。でも、そこまでの戦力がこの時の幕府にあるのか気がかりではありますねぇ…。この強硬論が彼の首を絞めていくことになりそうで(汗)。

さらに大政奉還の影響は大奥にも及んでいました。家定の乳母・歌橋「この世はもう終わり、生きてこの先を見たくない」と絶望して自害しようとしてしまう(汗)。寸でのところで慌てて駆けつけた天璋院に止められますが、「慶喜が徳川を殺してしまった」と恨みすら募らせていました…。政治に疎かったであろう女性たちにとっては、慶喜が決断したこの判断を理解するということは難しかっただろうなと思います…。

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それからしばらくして、松平春嶽が「今回のことで公儀が混乱していると聞いている」と懸念を告げるために慶喜のもとを訪ねてきました。それに対して、薩摩らをけん制し戦を避けるためには止むを得ない判断だったと告げる慶喜。さらに「天皇を中心とした政治を目指す」という考えを聞かされた春嶽は「そこまでの御覚悟とは…」と感嘆する。
ここまでちょっと微妙な関係になってしまっていたことから、もしかしたらまた慶喜が謀を企んでのことじゃないかと勘繰ってしまっていた春嶽は自分の考えが愚かだったと反省。まぁ、そう思ってしまうのも無理ないよねw。

そんな春嶽に「自分の周りはすべて敵だと思ったこともあった」と告白した慶喜は、そのうえで「今こそ心を広く開いて多くの方の力を借りたい」と熱弁。

「そうですか…!!ようやく…!!」と感動した春嶽さんの目に一瞬”やっぱ慶喜LOVE”みたいな感情が見えたような気がしたのは私だけでしょうか(笑)。意見が対立して袂を分かつこともあったけど、春嶽は慶喜のことを大きく買っていましたからどこかで完全和解したかったんじゃないかなと。だから「一緒に協力して新しい日本を作ろう」と慶喜から頼みにされた時は本当に嬉しかったと思いますよ。

一方岩倉村では、岩倉具視や大久保一蔵らが「先手を打たれてしまった」と悔しさを滲ませていました。そんな時、岩倉に「なんか来てますでぇ」とトメさんが一通の文を持って駆けつけてきました。それはなんと…、朝廷からの「復帰してほしい」というお誘いの文だったのです。

「よぉっしゃ~~!!許されたぁ~~!!!5年!!!5年!!!」とテンション爆発させて大喜びの岩倉さんwww。そのあまりの喜びっぷりにちょっと引き気味に目を丸くしてビビってる石丸@大久保さんの表情がめちゃめちゃ可愛くて萌えました(笑)。

ということで、ついに岩倉具視が朝廷に復帰することになりました。このクセの強い方が前面に出てくることで幕府はいよいよ大変なことになってしまうのです(汗)。

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日本が大政奉還で大きな岐路を迎え大変なことになっていた頃、パリでも大きな転換期を迎えようとしていました。歴訪を終えてパリに戻った昭武は留学生活に突入。その家庭教師に任命されたのが、陸軍中佐のヴィレットでした。なんでも慶喜の依頼があっての事らしい。

ところがヴィレットは昭武はじめ日本人全員に髷を落とし刀を外したうえで洋服を着るようにと要求してきた。武士にとって「髷」や「刀」はなくてはならないもの、魂そのものです。真っ先に菊地平八郎ほか水戸藩士の皆様は「武士の魂を捨てろというのか!??」と食って掛かるのですが、「そんな恰好では何も学べない」とヴィレットも折れようとしませんw。

その様子を傍から見ていた栗本は「郷に入れば郷に従えだ」と余裕の表情。自分たちよりも立場が上の栗本に僧説得されては、菊池たちもそれ以上何も反論できなくなってしまった。
で、断髪式が行われることになり…そのトップバッターを買って出たのは、やはり好奇心旺盛な篤太夫でしたw。

髷を切るということに抵抗がなかったらしい篤太夫は、周囲の心配をよそにまるでその時間を楽しむかのようにワクワクドキドキして顔がにやけちゃってる(笑)。それにしても吉沢くん、髷を切っていったんロン毛になったシーンの時も違和感なかったわ~~。さすが美形役者だねぇ。
そして、七三分けスタイルになった篤太夫でしたが…これも違和感なしでしたわ!!吉沢くんだからこそだよねぇ。ちなみに、洋服はパリに到着してからすぐに調達していたのだそうです。

一番最後に髷を切る順番が回ってきたのが水戸藩の皆様。先陣を切るのはいつも真っ先に食って掛かっていた菊地平八郎さんです。篤太夫とは全く違い、武士の魂を捨てなければならない悲壮感で押しつぶされそうになっていた菊地は切る前から涙目ww。しかも、自ら髷を切り落とそうとしてましたからねぇ、彼の覚悟がひしひしと伝わりましたよ。

そして”辞世の句”を読み上げながら断腸の思いで髷を切り落とす!!その瞬間、見守っていた他の水戸の皆さんは絶叫しながら大号泣ww。

これ、かれらからすればものすごい深刻な出来事だっていうのは重々承知してるんですが…、申し訳ないんだけど、面白すぎて思わず声に出して笑ってしまいました(笑)。
全然抵抗がなくむしろワクワクしながら髷を落とした篤太夫と、まるで切腹するかのように悲壮な覚悟で髷を落とした平八郎ほか水戸の皆さんの落差があまりにも大きすぎてww。

でも実際は本当にこんな雰囲気だったのかもしれないですよねぇ。平八郎たちからすれば、昭武の護衛という大義名分の為だけに決死の想いでパリまでやってきて、それなのに強引に武士の魂を捨てさせられたのだから…よくよく考えると本当に気の毒なことだったと思います(汗)。

そして、民部公子・徳川昭武も洋装姿に変身。

なんたる美少年!!!ヴィレットさんも思わず見とれてしまうのも納得で背う。

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それから少し経った頃、篤太夫は軍人のヴィレットが銀行オーナーのエラールが気さくに会話を交わす姿を見て驚いてしまいます。そんな彼に「フランスでは軍人と商人が同じ立場だ」と笑うエラール。
それを聞いた篤太夫は、ベルギーを歴訪した時にベルギー国王のレオポルド二世が昭武に「ベルギーの鉄をぜひ買ってほしい」とプレゼンしていたことを思い出しました。あの時は国王が商人のように自国の産物を売り込むなんてとんでもないと感じたものの、冷静に考えてみればそれはすごく「ありがたいこと」だと考えが変わったようでした。

レオポルド2世は植民地としたアフリカのコンゴで非人道的な残虐な行為を行ったことで知られています。彼が亡くなった時の葬列には沿道からヤジを飛ばされ唾を投げかける者もいたらしい。
2020年にアメリカでアフリカ系の黒人ジョージ・フロイドさんが白人警官から暴行を受けて亡くなった折ベルギーでも大きな反発行動が起こり、コンゴでの植民地圧制のシンボルでもあったレオポルド二世の胸像が赤いペンキで塗られ撤去されるに至りました。

「異国がどこか風通しがいいのはこのせいか!!皆が同じ立場に立ち、皆がそれぞれ国のために励んでおる!こうでなくてはならない」

新しい国のあり方に改めて気づかされた篤太夫は、興奮しながらこの先の日本の在り方に想いを馳せていました。この時すでに、鉄道や新聞を商売として取り入れる考えも浮かんでいたようですね。

日本語がよく分からないながらも、篤太夫が新たな価値観に触れて興奮している様子を察したエラールは 「日ノ本は今後素晴らしい国になっていくことでしょう」と告げました。嬉しくなった篤太夫は自ら手を差し出し、「メルシー、メルシー!!」とフランス語で感謝の気持ちを伝え固い握手を交わします。

この場面は、今後の篤太夫(栄一)の活躍が垣間見えるような爽快感があってとてもワクワクしました!彼ならきっと新しい日本を作ってくれる!みたいな確信が持てましたね。そう思わせてくれる芝居をした吉沢亮くんに拍手です!!

と、明るい気持ちになっていたのですが…そこへ突然、残念なザンバラ頭になってしまった二人の水戸藩士・井坂泉太郎加治権三郎「こんな惨めな様にはもう耐えきれない!!」と涙ながらに駆け込んできました(汗)。彼らは月代状態からの断髪でしたから、頭の中央部分の髪の毛がまだちょっと生え切ってなくて気の毒な見た目となってしまっていました(苦笑)。そう考えると、篤太夫たちは総髪でいたのは正解だったよなぁw。

「俺たちは日ノ本に帰るぅぅーーー!!!!」

昭武を護衛するために必死で海を渡ってきたものの、髷を落とされ刀も取り上げられたことによって精神的な支えを失ってしまい心身ともに限界が訪れてしまったものと思われます(汗汗)。篤太夫たちのように最後までパリでの生活に馴染めなかったのは、もう、悲劇としか言いようがない。

そんな彼らを見た栗本は「お金の節約のためにも彼らは日本に帰したほうがいい」とボソッと篤太夫に耳打ちしました。そんなドライな栗本に対し、高松凌雲は最後まで「もうちょっと頑張ろうぜ!」と彼らを励ましていて、優しいなぁと思ってしまった。

結局、異国に最後まで馴染めなかった水戸藩士2名は帰国の途に就きました。ここまでよく頑張ったほうだと思うよ(汗)。菊地平八郎さんら他の水戸藩士は頑張って残ることにしたんだろうか!?
ちなみに、外国方の向山と田辺も一緒に日本へ戻されることになりました(事実上の更迭らしい 苦笑)。

 尾関伸次さん、どこに登場していたかずっと分からなかったんだけど…帰国することになった加治権三郎役で出演していたのねーー!最後に分かってよかったw。

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そして慶応三(1868)年十二月九日、大きな事件が起こります。薩摩の西郷ら反幕府勢力は、朝廷を支配下に置こうとするクーデターが勃発しました。

朝廷に復帰した岩倉はさっそく明治天皇に拝謁し喜びを滲ませています。さらに「父(孝明天皇)からそなたの名前は聞いていた」と聞くと感激したように「お上は後醍醐天皇以来の、政をする帝となられるのです」と告げる。それに今ひとつピンとこない様子の少年・明治天皇でしたが…

「どうぞこの先は万事この岩倉に、お任せくださりませ」(最後はエコー付きww)

と自信満々に宣言する岩倉。ここのセリフの緩急の付け方、山内さん、巧かったですねぇ!

岩倉主導の元、明治天皇に政の権力を移譲したことで「王政復古の宣言」が成立したのでした。「王政復古の大号令」という名称のほうが個人的にはなじみが深いかな。

さらに新政権から徳川を完全に排除するべく、同じ日の夜に小御所会議が朝廷で開かれることになりました。岩倉としてはすんなりと話が進むと思っていたようですが、ここで思わぬ誤算が生じます。

会議に参加していた土佐の山内容堂が突然「慶喜がこの会議に参加していないのはおかしいじゃないか!」と異議を申し立ててきました。かつて容堂は慶喜に反感を抱いていた時期があったので、岩倉たちとすればまさかここで土佐藩が慶喜を擁護するような発言をしてくるとは想像できず驚いたのではないかとw。「そもそもここまで世を納めてきたのは徳川の功績があったからこそじゃないか!!」とエライ剣幕の容堂さん。これまではちょっと目立たない存在でしたが、一気にそれを挽回するようなハッスルっぷりです(笑)。
ちなみに、これを真正面で驚きながら聞いていたのが正親町三条実愛。セリフはないながらも置鮎龍太郎さん、再びの登場でした。

さらに、「会議に彼を呼ばないとはどういう了見だ!!」と怒り心頭な山内容堂さんに、つい先日慶喜と和解したばかりの越前藩の松平春嶽も同調します。「新政府に三職(総裁・議定・参与)を置くことに異議はないが、ここに主たる地位に就くべき慶喜公がいないのは納得できないし、徳川宗家の領地はく奪も的外れだ」と加勢に出る。頼もしいわぁ~~、春嶽さん。慶喜LOVEだからこその反論だよね(違ww)。

それを聞いていた尾張の徳川慶勝さんも「慶喜なくして公家だけでこの先の政を回せるのか!?」と厳しい表情で迫ってきました。
思いのほか同調者が多く出て気持ちが大きくなったであろう容堂さんはさらに勢いを増して慶喜推しを猛アピールしたうえで「なんのために慶喜を排除しようとしているのか!?」と893まがいの脅しにまで到達www。容堂さん、気持ちは分かるが…よもや、酒飲んでないだろうなwww(容堂が極度の酒豪だったことは有名)。

しばし休息に入った時、会議中にビビりまくっていた岩倉wwは大久保を呼び出し「慶喜は人徳がないと聞いていたんだけど、どうなってるんだ??」と動揺しまくりw。徳川排除にばかり目を向けていたので慶喜本人の功績などはリサーチすることができなかったようです。これには大久保も困惑した様子でした。

そこへやって来たのが西郷吉之助。彼は慶喜と会ったことがあるので、多少はその人となりを理解していました(大河ドラマ『西郷どん』ではめちゃめちゃ深く関わってたしねw)。それゆえ、西郷は慶喜が手強い相手であることも分かっていた。

「これはやっぱり、戦をしなければ」

西郷の提案に少し及び腰な岩倉と大久保でしたが、「戦がしたくないなら、したいように仕向ければいい」と不気味な笑顔を向けて立ち去っていく西郷。今回の大河ドラマの西郷どんは本当に不気味で真っ黒だよ!!それを聞いてあっさりと「なるほどの」とかる~く納得しちゃう岩倉も怖いww。
ちなみに、この小御所会議のエピソードのなかに西郷が「短刀一本あれば片付く」と脅しとも取れるアドバイスを岩倉にしたことで容堂を論破できた、みたいなのがあったように記憶していますが…、今回の大河には出てこなかったので実話ではなかったのかもしれないなと思いました。

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そんなある日、体調を崩していた慶喜のもとに成一郎が「3日前に江戸城二の丸が放火された」と青い顔して駆けこんできました。一瞬その知らせに動揺を見せた慶喜でしたが、すぐにそれがであることを察し動いてはいけないと告げます。

ところが、それからほどなくして薩摩藩邸のあたりで銃撃戦となり戦が勃発してしまったという知らせが舞い込んできます。薩摩屋敷焼き討ち事件ですね。

西郷は江戸に匿っていた浪士組を利用し、江戸城で放火事件を起こさせたり町で狼藉を働かさせたりしていました(相当な悪逆非道なことをやったらしい 汗)。さらに庄内藩の屯所も襲ったためこれを討つべく軍が組織されます(討伐軍を組織したのは薩摩の所業に怒り心頭だった小栗上野介)。賊の引き渡しを薩摩藩が拒絶したため、討伐軍との戦となり薩摩藩邸は消失してしまうのでした。

何が起きても耐えるようにと申し伝えていたにもかかわらず、薩摩の挑発に乗って戦端を開く結果となってしまったことに慶喜は落胆を隠せません。しかし、このまま手をこまねいているわけにもいかず、体調が悪いにもかかわらず無理して自分が先頭に立たなければと奮い立ちました。

慶喜を前にした重臣たちは頭を下げながらも悔しさで肩が震えている。そして「薩摩を討つべし!!!」という怒りに満ちた言葉が自然と沸き起こる。この薩摩憎しの大合唱を目の当たりにした慶喜は、もはやスルーすることは不可能だと悟ったのではないでしょうか…。こうして、悲劇の鳥羽伏見へと向かっていくことになってしまいます…。

一方パリの篤太夫は日本が争乱の渦に巻き込まれようとしていることをまだ知らない。そこへ栗本が「日本から電信が入ったぞ!」と意気揚々とやって来ます。

放送中も放送後も色んな人に指摘されてましたが…、池内万作さんが演じる栗本鋤雲めっちゃお笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さんに似てますよね(笑)。いつかロバート秋山さんのネタの一つになるんじゃないかと思うほどですwww。

電信には、新しい政権が誕生することになったという旨のことが書かれてありました。さらに、日本国内の政治は極めて順調で皆こぞって慶喜を尊敬しているともある…。これって…大政奉還したタイミングあたりで出されたものじゃないだろうか(汗)。現代のような電話やメールといった手段がないので、その後の混沌とした状況はまだ彼らには伝わっていない。

「日ノ本ではいったい何があったのだろうか…」

篤太夫の胸に漠然とした不安が広がっていました。そして次週、ついにその真実を知ることになるのだと思いますが…それまで3週間も間が空いてしまうのは無念の極み!!今一番勢いがあるところなのに勿体ない!!

ジリジリしながら第24回を待ちたいと思います。話数が思い切り削られてしまいましたが(涙)、まだまだ『青天を衝け』は盛り上がっていくと思います。今後の展開にも大いに期待!

完全版ディスク発売!

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