『西郷どん』ゆかりの地(9) -薩摩出身の人々-

こちらの記事は、GW鹿児島『西郷どん』旅の記録の続きになります。

参考 前記事「ゆかりの地(8)」

『西郷どん』ゆかりの地(8)-西郷隆盛と西南戦争-
大河ドラマ『西郷どん』ゆかりの地を訪ねたレポート第8弾。鹿児島市内の主な西郷隆盛に関連する史跡めぐりレポートです。西南戦争が勃発してからの足取りを追ってきました。私学校跡、洞窟、終焉の地など。

 

今回は幕末に活躍した薩摩出身の人物について紹介したいと思います。西郷と関わりの深い人物たちだけでなく、幕末から明治に大きな役割を果たした人物の史跡にも行ってきました。

限られた時間ではありましたが、訪れることができた場所を中心に紹介していきたいと思います。

 

 

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『西郷どん』紀行 -薩摩出身の人々-

 

大久保利通生い立ちの地

まず最初に紹介するのは西郷の盟友だった大久保利通(正助・一蔵)です。この人は外せませんね!

1830年に生まれた大久保と西郷は幼馴染の関係でもありました。西郷が島津斉彬に気に入られたあとは後れを取る形になっていましたが(ドラマでも微妙な感情を抱いている場面が多くありました)、国父となった島津久光に取り入ることに成功してから出世街道を駆け上がっていきます。


大久保はこの地で少年期を過ごしました。生誕地はこちらではなく川を挟んで向こう側の高麗町というところです(ここから10分弱くらい)
最初はこちらの方が生誕地だと思ってしまったので、高麗町の方へ行きそびれてしまいました😅。大久保さん、ごめんなさい(汗)。


生い立ちの地には立派な石碑が立っていますが、川向うの生誕地のほうの石碑は小さくて注意しないと見落としてしまうほどなのだそうです😅。西郷さんとの扱いの違いが表れているような気が…(汗)。
訪れる場合は両方チェックしておきたいところですね。

 


街中に颯爽とした風貌で建っている大久保利通の銅像です。
西郷とは盟友でしたが、後年激しくぶつかり敵対したことから裏切り者と見られなかなか銅像が作られず、ようやく制作されたのは昭和54年とのこと。銅像の建てる位置も当時議論が起こって、ようやく現在のライオンズ広場に落ち着いたそうです。なかなか難しいものですね…。


近くで見るとなかなかに凛々しくてカッコいい😆!その視線は薩摩期を過ごした加治屋町のほうに向けられているのだそうです。

ちなみに、この時は気付かなかったのですが…大久保像の後ろ、足元のあたりに紀尾井坂で大久保と共に命を落としてしまった馬車夫と馬のちっちゃい像があるのだとか。回り込んでチェックしてみればよかったなぁ~~。訪れた際にはぜひ後ろにも注目してみてください。

 

生い立ちの地と像へのアクセス

地図を見て分かるように、西郷家とはかなりのご近所だったことは確かなようですが…大河ドラマのようにお隣同士というわけではありませんでした(笑)。

 

村田新八・大山巌誕生之地

西郷の懐刀と言われた村田新八。その誕生之地碑が現在鹿児島中央高校の敷地の角にひっそりと建てられています。誕生とありますが、新八は村田家の養子に出されたとのことなので…正しくは幼少期を過ごした邸宅跡ということになるのだと思います。

以下、大河ドラマの後半エピソードに触れています。

 

大河ドラマ『西郷どん』では堀井新太くんが好演していますね。ドラマでは最初の頃は末っ子的立ち位置で、勢いはあるもののちょっと臆病者の可愛い弟的な存在でした。
しかし、時代が動くにつれてその波に揉まれ、「寺田屋事件」が起こった折には関係者だったとして喜界島へ流されたりとけっこう大変な目に遭ってます。ちなみに西郷は沖永良部へ流されました(二度目の流刑)

赦免された後は討幕運動に積極的に参加。薩長同盟を結ぶ折の調整役もになったりしていたのだそう。
そしてやがて明治維新を迎えますが、政府内で西郷と大久保の間に亀裂が入り…新八は苦悩の末に西郷についていく決断をします。西南戦争にも参戦し、西郷自刃を見届けた後自らも命を絶ちました。享年42でした…。

大河ドラマでどのくらい新八くんが描かれるかは定かではありませんが、後半は切ないエピソードがオンパレードになりそうな予感です😢。

 

西郷隆盛生誕の地からほど近いところにかなり大きくて目立つ大山巌の生誕之地碑があります。西郷よりも14年下だったこともあってか、どちらかというと弟の従道(信吾)と遊ぶ機会が多かったようですね。

大河ドラマ『西郷どん』の前半部分では全く登場してきていませんが(同じ大山でも格之助は別人ですw)、西郷からはたいそう可愛がられたようで関わりも深かったのではと推察します。
薩英戦争や戊辰戦争では西郷の元で共に戦いましたが、西南戦争では敵の立場として戦う人物でもあるのでそろそろ出てきてほしいところですが…どうでしょう?(18年5月現在の話ではまだ登場せず😓)

大山巌が出てきた大河ドラマとして思い出されるのが『八重の桜』です。反町隆史さんが演じていました。印象深いのは、会津出身の捨松と18歳の年の差婚をしたエピソードでしょうか。戊辰戦争では敵同士だった立場の二人が結婚したんですよね。

 

村田新八・大山巌生誕地へのアクセス

二人の育った家はかなり近かったことが分かります。また、西郷家もすぐ近くにありますね。

 

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小松帯刀像

西郷隆盛の銅像と向かい合うように建てられたという、小松帯刀の銅像です。宝山ホールの敷地内に建っていますが、一般の人も近くまで行くことができるようになってました。西郷さんの銅像から真っ直ぐ向かっていったところにあるので分かりやすいと思います。
ちなみにこの像のイメージは、大政奉還をすべきかどうか徳川慶喜から問われたときに真っ先に「直ちに奉還すべし」と記帳した時の様子なのだそうです。

小松帯刀は島津久光に気に入られて藩政改革に積極的に取り組んだ人物です。薩長同盟締結や大政奉還にも大きく尽力しました。明治に入ってからも政府に重用されますが、36歳の若さでこの世を去りました。

大河ドラマ『西郷どん』では町田啓太くんが演じることになっているので今からとても楽しみですが(18年5月現在)、『篤姫』での瑛太くんが演じた帯刀が今のところ印象強いですね。あの時は準主役的立ち位置でしたから、けっこう出番も多かったように思います。
その瑛太くんが、『西郷どん』では同じく久光と大きく関わる大久保利通(正助・一蔵)を演じているっていうのがなんだか因縁を感じます😃。

 

アクセス

ちょうど正面に西郷隆盛の銅像があります。

 

天璋院篤姫

2008年大河ドラマ『篤姫』の主人公にもなった天璋院篤姫の銅像は、歴史資料センター黎明館の敷地内にあります。後ろには桜の木があるので、春に行ったら写真映えするのではないかなと思います(私が訪れた時は大雨でした😅)
2010年に建てられたそうで、まだ真新しい感じでした。

 


こちらは今和泉島津家本邸跡です。現在は屋敷は残っておらず、石垣だけになっています。篤姫はここで誕生しました。

『西郷どん』では北川景子さんが篤姫を熱演しています。宮﨑あおいさんの篤姫も印象深かったけど、北川さんのも爽やかで凛とした雰囲気がハマっていて見応えがありますね。
今和泉家のこともチラッと出てきましたが、「西郷どん」だけでは分からない部分が多かったので😅、その補完としては「篤姫」を見た方がいいかもしれません。今泉家のシーンはけっこう濃く描かれていたのが印象的だったので、それを見たうえで「西郷どん」の篤姫が海に向かって父親の名前を叫ぶ場面を見るとグッとくるかも。

篤姫は江戸城無血開城に大きな役割を果たしました。「西郷どん」後半での活躍に期待したいところです。

 

篤姫像のアクセス

黎明館の敷地内(鶴丸城跡)にあります。

今和泉島津家本邸跡のアクセス

石垣だけなので分かりづらいかもしれませんが、バス停のところに大きな看板があるので目には留まりやすいと思います。西郷隆盛たちが眠る南洲墓地のすぐそばにあります。

 

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調所広郷

鹿児島の天保山にある松林の入り口にひっそりと調所広郷の像が佇んでいます。大河ドラマ『西郷どん』では竜雷太さんが好演されていました(『篤姫』では平幹二郎さんが演じていました)

ドラマのイメージだと政治手腕や財政手腕を発揮しながらも、藩のためには”何でもやる”といった少しダークな人物として描かれていましたが…、広郷の通称が「笑左衛門」って刻まれているのを見たらなんだかちょっとホッコリしてしまいました😊。名前に「笑」という文字が入っているとダークな印象もなんだか払拭されるような気がしてしまいます。

 

斉彬の父・斉興への忠義のために働いた調所でしたが、強引な政治手腕を行うこともあり反感を買うこともあったようです。それでもさまざまな手腕で赤字だらけの薩摩藩の財政を立て直した功績は大きいと思います。

「お由羅騒動」が起こり、斉彬と斉興の対立が激化。斉興派だった調所は斉彬派の阿部正弘に密貿易の罪で責めを追い、その影響が斉興に及ぶことを危惧して自害してしまいました。汚れ役のようなことを担った人だったのだと思います。

現在、島津家の菩提寺だった福昌寺跡の墓地で静かに眠っています。福昌寺は廃仏毀釈の影響で取り壊されてしまい現在は墓地だけが残っています。

 

調所広郷銅像へのアクセス

天保山(鹿児島)の松林の造成も行ったとのことでこの地に像が建ったようです。

福昌寺跡へのアクセス

墓地内はかなり広大ですので探すのが大変でした(汗)。調所さんのお墓は斉興公の傍の区画にあります(入口にある案内板「G」のゾーン)。平成13年に子孫の方によって建てられたそうでまだ新しいです。

 

五代友厚

2015年のNHK朝ドラ『あさが来た』に登場して瞬く間に有名になった”五代様”こと、五代友厚の生誕地跡です。現在邸宅は残っておらず、広い公園として整備されています。
完成式典が行われたのは2016年9月25日、その日は五代さんの命日でもあったそうです。その日には朝ドラで五代を演じたディーン・フジオカさんからもビデオメッセージが寄せられたのだとか。石碑の石張りは「五代」にちなんで五角形になっています。なかなか洒落てますね😀。

 


生誕地から少し離れた泉公園に五代友厚の銅像があります。大阪でいくつかの五代像を見たことがありますが、生誕地・鹿児島の五代様もかなーり色男でございます😆。ディーン・フジオカさんが演じたというのも納得w。
制作されたのは昭和36年(移築は昭和56年)だそうなので、朝ドラで話題になるずっと前から五代は鹿児島で愛されていたのだと思いました。

朝ドラでおでぃーん様が演じた五代があまりにも魅力的だったので、将来違う人が演じるかもって思うとちょっと複雑ですが…おそらく「西郷どん」には出てこないような気がします😅。朝ドラでは大久保と親友だったという描写がいくつか出てきたので分かりませんが…大河の主役はあくまでも西郷隆盛なので…登場の可能性は薄いんじゃないかと思ってます。それにどちらかというと活躍したのは大阪ですからね。

ちなみに五代友厚のお墓は大阪の阿倍野にあって、大阪へ行くとき時間があればよくお参りに訪れています。大阪の五代さんについては機会があれば触れたいと思います。

 

五代友厚生誕地のアクセス

西郷隆盛終焉の地から歩いていける距離です。城山トンネルの真上に位置しています。

五代友厚像のアクセス

 

 

若き薩摩の群像

薩摩藩から英国(イギリス)へ青年藩士19名が選ばれ派遣されました。そのうち17名の像が鹿児島中央駅前(東口)にドドーーンと建っています。四方八方に様々な表情をした若い藩士たちがいて、けっこう長い時間楽しめました。
像にならなかった2名のうち1名は土佐の人で、もう1名は通訳を務めた長崎の人だそう。この人たちは薩摩人ではないということで像になることができなかったんだとか。ちょっとお気の毒…。

アクセス

鹿児島中央駅の真ん前にあるのでどの史跡よりも一番わかりやすいかも。

 

以上、ざっと尋ねられた薩摩出身人物の史跡に関する紹介でした。他にもたくさん偉人の生きた跡が存在していたのですが、全て巡ることができず(汗)。もう一度訪ねた時にはぜひリベンジしてみたいです。

次回は島津家について紹介したいと思います。

 

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