山口県の史跡でと言えば幕末時代の偉人のものを思い浮かべる方が多いと思いますが、室町時代に大きな勢力を誇っていた周防大内氏関連の史跡も大変見応えがあるのでぜひ訪れていただきたい。
特に山口市は、24代目当主の大内弘世がこの地に拠点を移し政務を行い出してから「西の京」と呼ばれるほど華やかな文化が大きく花開いたと云われています。
「2024年に行くべき52カ所」と評価してくれたニューヨークタイムズの記者さんも大内時代の史跡(瑠璃光寺五重塔や八坂神社)に注目してくださったようですし、山口県はもっといろいろ大内関連をプッシュしてもいいんじゃないかな、と。
まぁ、評価の基準として「過度な観光客がいないこと」っていうのも挙げられてるらしいのでそこそこアピールしていくっていうのがいいのかもしれませんが(笑)。
過去の大内氏史跡関連記事参照
今回紹介するのは、築山跡です。大内館跡の北側に位置し、現在その場所には築山神社と八坂神社が建っています。
大内家第28代当主・大内教弘は政務を行っていた大内氏館の北側に別邸を建て、それ以降”築山殿”と呼ばれるようになりました(家康の正室も同じ呼び名でしたが関連性はありません)。優れた文化人でもあった教弘は、この場所に多くの文化人を招きもてなしたと伝わっています。
色々発掘も進んでいるということですが、どうやら相当豪華な屋敷だったようですね。豪勢な庭もあったそうな。
住処として使われていたのは教弘が存命している間だけだったようで、亡くなった後は息子の政弘によって”大明神”とされ神社になったのだとか。
なお、八坂神社は時間の関係上じっくり見ることができず写真を撮ることができませんでした(←引っ越し直前にバタバタと訪れたので 汗)。
山口市の八坂神社は、1370年に山口に拠点を移した大内弘世が京都八坂社から勧請(つまり本家の分霊をこちらに呼び寄せた)して建立したと伝わっています。毎年7月にはこの場所で山口祇園祭が行われるとのこと。なかでも「鷺の舞」は1459年に大内教弘が京都から取り入れて以来約600年以上も続く伝統芸能として知られています。
この山口祇園祭ニューヨークタイムズでも取り上げられたそうです。
築山跡へ向かう入口には「八坂神社」と掲げた巨大鳥居があります(これだけは撮ったw)。
山口県の史跡と風景巡り 築山跡
築山神社
現在の「築山神社」は1742年に建立されたものです。始まりは1605年に毛利輝元が大内義隆の霊を祀った宝現霊社とされていますが、移転や合祀を繰り返し、1870年に今の地に移転してきたとのこと。歴史的にも評価の高い建造物として本殿・拝殿共に山口市の有形文化財に登録されました。
現在はその面影を残すものは殆ど見当たりませんが、土塁や石垣がわずかに残っています。
大内氏月見之松の碑
神社のすぐ脇に碑があります。かつてこの場所には大内氏時代からあった名木「月見松」が植えてあったそうですが、1856年の大火によって焼失してしまったとのこと。残念です…。焼け残った根元を切り取って作った額縁に囲われた松の絵は現在八坂神社の楼門に飾ってあるそうな。見てみたかったーーー(汗)。
市川元教の墓
八坂神社の本殿脇に毛利家家臣だった市川元教のお墓がひっそりと佇んでいます。
かつては築山神社の土塁の上にあったそうですが、2018年に現在の場所に移されたそうです。お墓の向かって左側にある灯篭は1827年の250回忌に建てられたもの。
市川元教は大友宗麟と大内家再興を企てて決起を図りましたが、その前に父親の経好の知るところとなり処刑へと追い込まれてしまった悲劇の武将。ただ、史料は少なく今もって謎多き人物とされているようです。
盃状穴が刻まれた巨石
説明版によれば、盃状穴とは性のシンボルとされていて「死者を蘇らせ」たり「豊作祈願」することを意味する刻印とのこと。現在でもその願掛けを信じているところも多いようです。
ただ、この石がいつの時代のものかや、そもそも大内氏と関係があるのかについては何も記されていなかったので(汗)不明な点が多いのだろうなと思いました(苦笑)。
築山跡史跡公園(大殿・旧菜香亭跡)
かつて大内教弘の居館があったとされる場所は現在公園として整備されています。1977年からの発掘調査で様々な歴史的遺構が発見されたようですが、今はこの芝生の下に埋められた状態になっています。
保存状態を維持するためと思われますが、なんだかちょっともったいないなという気がしないでもない…。史跡を維持するってなかなか難しいものですね。
明治期の1877年にはこの場所にあった建物で料亭が開業。「菜香亭」という名称はここをよく訪れていた井上馨が命名したそう。他にも伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋といった幕末の偉人から昭和に至っては田中角栄や佐藤栄作といった歴代総理大臣も訪れていたというすごい料亭で、1996年まで約120年間営業を続けていたというから驚きです。
その後解体する話も出たそうですが、歴史的価値のある建物を壊すのは忍びないと寄付金が集まり2004年に山口市の野田神社付近に「山口市菜香亭」として移築復元されました。大人100円・小人50円で公開されています。
詳しい情報は公式HPでチェック
ついに行きそびれてしまったのが悔やまれる…。山口生活1年で終わると思わなかったからなぁ(苦笑)。機会ができたらぜひ訪れてみたい。
河村写真館
大内氏とは無関係ですが(汗)八坂神社境内に貴重な建築物を見つけたのでレポします。
参道脇にひときわ目立つレトロな洋館、河村写真館です。建築年数については様々な説があって定かではないそうですが、だいたい明治初期の1887年頃に建てられたらしいということで現在も当時の姿のまま残されています。
説明版などは見当たらなかったのですが(汗)、2006年に山口県指定の有形文化財に登録されました。
山口県内最初の写真館だったそうで、明治期には伊藤博文や山県有朋が故郷へ帰るたびにこの場所で写真を撮ってもらっていたという逸話も残っているらしい。開業以降は所有者を何人か交替させながら平成期に入るまで約120年間営業を続けていたそうです。
こんな素晴らしい歴史が詰まった「河村写真館」ですが…、廃業してしまった現在は中の見学もできず説明版もなくひっそりと佇んでいるのみ…。せめて入り口に茂っている雑草だけでも何とかできないものですかねぇ。
ちょっと近寄りがたい印象が…(汗)。大切に保管し続けてほしいと思います。
アクセス
JR山口線の山口駅からバスで「県庁前」下車後、徒歩でだいたい10分程。バスに乗らない場合はJRの上山口駅から歩くのが近いかな。
駐車場も奇麗に整備されているので車で訪れてもOK。
余談ですが、山口在住時はここからほど近い胃腸科がかかりつけでしたw。移動手段の電車の本数が少ないので行くまでに難儀した…(←どうでもいい思い出 苦笑)。