NHK大河ドラマ『青天を衝け』第21回ネタバレ感想 篤太夫、遠き道へ

パリ万博出展についての話を聞いた慶喜は市之進に「渋沢はどうしておる?」と尋ねました。いよいよここから篤太夫の運命がさらに大きく切り開かれていきそうでワクワク、グルグルいたします!

久しぶりに市之進と対面した篤太夫は、慶喜が今や「上様」と呼ばれる身の上になったと聞いて「もう将軍になってしまったのか…」と早とちりして落胆。市之進は慌てて「まだだ」と否定しましたが、それが現実になるのも時間の問題です。しかし、彼が今回篤太夫を訪ねた理由は他にありました。そっちの方を早く言いたくて仕方がない(笑)。

フランスのパリで開かれる博覧会に日本からも参加が決定。それに伴い日本から外国嫌いの帝(孝明天皇)に代わって民部公子、すなわち慶喜の弟の徳川昭武が派遣されることになったという。

徳川昭武は斉昭の18男で、慶篤や慶喜の異母弟にあたります。第9回で桜田門外事件と同日に斉昭と雪で遊んでいた幼い息子が昭武でした。

そのことに大反対した水戸の猛者たちが”お付き”として同行することになったようですが、彼らは外国人を見たら”夷狄”とみなしてぶった斬る危険性が高い(汗)。
そのことを危惧した慶喜の脳裏に浮かんだのが、篤太夫だったのです。彼なら公儀との間を取り持つ役割を果たすのにふさわしいと考えたらしい。ものすごい信頼されているじゃないか!

「お主に頼みたいのは、一行の一員としてパリへ参ることだ!」

この言葉を聞いた瞬間、篤太夫は体に電気が走るような興奮を覚えた様子。さらに続く市之進の「水戸の猛者を見張るとかけっこう大変な役目だから十分考えてから決めていい」という気遣いの言葉などもう耳には入らない(笑)。

脳裏に浮かんだのは、道に迷った時最初に手を差し伸べてくれた平岡円四郎の姿。今の自分があるのは平岡が自分を抜擢してくれたからに他ならない。そして今、新しい仕事に馴染めず道に迷った自分に慶喜が白羽の矢を立ててくれた。このあまりにも運命的な出来事に「これは僥倖(思いがけない幸運)だ」と胸を熱くする篤太夫。

「参ります!行かせてください!」

全く迷いなく即答してしまう篤太夫が市之進には信じられないw。この当時のパリへの旅路は今ほど簡単なことではないし、慶喜の弟を護衛するような緊張感ある役目…、ふつうなら引き受けるのを躊躇うところだと思います。
しかし、「某の胸は今、まことにグルグルしております!グルグルして、おかしろくて、たまらないのでございます!!」とウルウルしながら感動に浸る篤太夫。きっとそこに新たな自分の生きる道が開けているはずだと直感していたに違いない。市之進にはそんな篤太夫の想いは理解できなかっただろうけどね(おそらくこの時代のほとんどの人が理解できなかったと思うw)。

「どのような甘苦も厭いません。どうか某をパリに行かせてください!!」

いよいよ篤太夫がパリへ向かうエピソードに突入していくのですね!!ドラマを見ているこちらも胸がグルグルしてきましたぞ!!

以下、第21回を見て気になったシーンもろもろネタバレあり

これまでの『青天を衝け』感想レポ

青天を衝け
青天を衝け
2021年度NHK大河ドラマ『青天を衝け』の感想レビュー
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『青天を衝け』第21回 篤太夫、遠き道へ

2021年07月04日(日)放送 NHKBSプレミアム 18:00~18:45 ほか

出演:吉沢亮、高良健吾、橋本愛、満島真之介、志尊淳、武田真治、尾上右近、草彅剛、ほか

あらすじ

篤太夫(吉沢 亮)は、パリ万博に参加する慶喜(草彅 剛)の弟・昭武(板垣李光人)の随行でフランス行きを打診され、その場で快諾する。一方、慶喜は第15代征夷大将軍に就任。慶喜は篤太夫を呼び出し、昭武の未来を託す。その後、横浜で初めて勘定奉行・小栗忠順(武田真治)と対面した篤太夫は、このフランス行きに秘められた重要な目的を知らされる。旅立ちの前、成一郎(高良健吾)と再会した篤太夫。二人は牢(ろう)に囚(とら)われている長七郎(満島真之介)と久々に対面するが…。

<公式HPより引用>

篤太夫は永井尚志から旅に出るにあたっての役目を色々と聞いていました。主に「勘定」に関する出来事全般を任されたみたいですね。一橋家で手腕を振るっていたことが評価されたからでしょう。

ただ、パリへ行くにあたっては「見立て養子」を立てなければならないことが判明。この当時、外国へ行くことは死と隣り合わせ。それゆえ、万が一の時に備えて家を断絶させないように跡継ぎを決めなければならないことになっていました。それほど海外へ行くということは過酷なことだったんですなぁ…。篤太夫はあまりそこのところ深く考えてなさそうだったけど大丈夫か(汗)?
このことを成一郎に相談したいところでしたが、今は別々の役目に就いていることからまだその話ができていないという。

その成一郎は、血洗島の尾高家に立ち寄っていました。
成一郎は惇忠や平九郎に会い、「これからは幕府が変わっていく時代に入る。自分は幕臣として上様を支えようと思っている」と決意を語ります。かつては幕府への敵意を露にしていた血洗島メンバーたちでしたが、惇忠は「今は一橋様のお考えに異論無しだ!」と力強く答えました。時代が変わっていくことを彼らも肌で感じていたんでしょうね。

「国を開くことでかえって国威を上げるのであれば、これぞまさしく水戸様の教え!」

惇忠の想定外の物わかりのいい回答に成一郎も緊張の糸が切れたかのようにほっと一安心w。「兄ぃにだけは道が違うと言われたくなかった」という想い、よく分かるよ。ずっと尊敬してきた人だからね。平九郎もそれに倣う考えのようで「喜作さん、気後れしてたんかい?」といたずらっぽく笑っていました。こんな可愛らしい彼が後々…と思うと心が痛い…。
そして成一郎は惇忠と平九郎に「一緒に来ないか?」と切り出しました。慶喜が求める優秀な軍師に惇忠を推薦したい考えの成一郎。その言葉に惇忠は胸熱くなっていたようでしたが、平九郎は誘われたもののどういう人材として求められているのか告げられていませんでした。そのことにちょっと不安を覚えた様子でしたが…平九郎、どうする?

成一郎が血洗島を発とう準備をしていた時、千代とよしが会いにやって来ました。もうすぐに出かけなければならない成一郎に寂しさを感じながらも「何か足りないものはありませんか?」と気丈に尋ねるよしさんが切ない…。でも、そんな彼女に「足りないのはお前と作太郎だけだ」と粋なセリフをさらりと言ってのける成一郎w。こんなこと言われたら、「そんなこと…」としか反応できないよねぇ。一緒について行くわけにはいかないのだって分かってるだけになおさら切ないよ~。

千代は恐る恐る栄一がどうなっているのかと尋ねましたが、成一郎は役目を違えてしまったから分からないと素っ気ない。そういえば、けんか別れして以来会ってないから…パリ行きのことは知らないか(汗)。「俺とは考えが違う」とドヤ顔をして見せたものの、千代は愛する夫の近況を知ることができずガッカリしてしまった…。成一郎よ、もっと千代ちゃんの気持ち考えて発言しなきゃ~!

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そしてついに、孝明天皇の強い要望により慶喜が第15代将軍に就任しました。

草彅@慶喜、すでに貫禄ありますなぁ~!

元々は将軍職に就きたくなかった慶喜でしたが、ここまで来たらもう引き受けざるを得ないという形での就任となりました。その代わり、そこに至るまでにものすごい濃密な政治経験を積んでいたこともあり、これまで老中などの側近任せにしていた政治スタイルを将軍メインで動かすことにシフトしていくことになります。
まずはイギリス公使との接見を急がせようとさっそく老中の板倉に指示を出し動き出す慶喜。

ところが、同じ時期に自分を頼りにしてくれていた孝明天皇が天然痘の病により床に臥せてしまいました。4時間にも及ぶ御神楽がさらに命を縮める結果になってしまったようです(汗)。天皇の仕事は国の安寧を祈ること…と無理を重ねたことが仇になってしまったとは…。

病の床にある孝明天皇を睦人親王(後の明治天皇)が見舞いに訪れます。しかし、幼い息子に伝染病でもある天然痘が感染したらと孝明天皇は危惧。そんな気遣う父に親王は「すでに種痘を受けております」と答えました。種痘とは、天然痘のワクチンの事。
現代の世も新型コロナウィルスという伝染ウィルスがはびこっているなかで「ワクチン」の重要性が多く叫ばれるようになりました。まさか大河ドラマでそれとリンクするような台詞が出てくるとは…。いつの時代も、ワクチンは大切だってことなのかなぁと思ってしまった(汗)。

しかし、1867年1月、孝明天皇は崩御してしまいました…。35歳という若さでした。
一部では”暗殺説”というのも囁かれていましたが、今では研究も進んで病死(天然痘)の可能性が高いというのが通説になっているそうです。

孝明天皇が崩御してしまったことで慶喜の政治への舵取りが難しい情勢になってしまいました。気がかりなのが、次の天皇の座に就くのが祐宮(睦人親王)であるということ。なぜならば、そのバックについているとされているのが幕府に刃向かう姿勢を強めている公家だったからです。そのうちの一人が、追放されて貧乏暮らしを余儀なくされている岩倉具視でした。

孝明天皇の崩御を聞かされた岩倉は「なんでや!?」と大きく動揺。使いの人に掴みかかるほどショックを受けてしまう。それを全身で受け止めて突き飛ばしたウメ…じゃなかったw、トメさんがパワフルで面白かった(笑)。
「お上は後醍醐帝以来の政を行う帝になるはずだった…」と力を落としてしまう岩倉でしたが、「わしが幼帝をお守りし、王政復古を果たします!!」と奮起。表舞台に進出する決断をします。

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その頃、篤太夫は慶喜に呼び出され二条城を訪れていました。頭を上げてみると…そこには予想外の慶喜がいてビックリ仰天w。

フランス皇帝ナポレオン3世から贈られたという軍服を身に着けた慶喜は、「不似合いとはわかっている」と言いつつもご満悦な表情を浮かべていましたw。前回の大河ドラマ『麒麟がくる』では信長に洋装をもらった光秀が微妙な表情をしていましたがww、今回の大河の慶喜さんは洋装に対してまんざらでもないようですね(笑)。

慶喜は改めて昭武に篤太夫を紹介。そのうえで、兄として昭武にパリへ行くにあたっての5つの心得を言い渡しました。

  1. 万博後も条約を結んでいるイギリス、オランダ、ロシア、ベルギー、イタリア、スイスの各国を訪れてその地の王に挨拶すること
  2. フランスで3年~5年、足りなかったらそれ以上の帰還になってもいいから学問を学んでくること
  3. 学問の師匠を重んじること
  4. 日本に有事が起こったという知らせがあっても決してむやみに動こうとしないこと
  5. 今回の渡欧を円満に勤めること

この中の4番目、もしも日本で何か事件があったとしても云々というくだりは印象的でしたね。混迷の時代であることを重々承知していた慶喜は、この時すでに日本が大きな戦に巻き込まれることになると予想していたのでしょう。それゆえに、何を聞いても狼狽えてむやみに行動しないようにと釘を刺したのだと思いました。

昭武は「上様の御言いつけを固く守り精一杯努めてまいります」と力強く答えました。後々、この言葉の意味が彼にのしかかってくるとは思いますが、その時昭武は兄の言いつけをどう思い出していくのか気になるところです。

慶喜は昭武らを下がらせたあと、篤太夫と二人きりになりほっとしたような表情を浮かべながらも「どうする?もう将軍になってしまった」と少しニヤリとしながら語り掛けました。それに対して少し苦笑いしながらも「こうしてみると、意外とその場所が似合うように思える」と答える篤太夫。二人きりの時はお互い遠慮なく胸の内を語り合える関係っていうのがいいですよね。

慶喜は、今の情勢は自分が将軍になったところでどうにかなるわけではないということも分かっていると告げます。それゆえ、将来は異国を知り見聞を広めた若き人材に将軍の座を譲りたいと本音を明かす。それにふさわしい人物として昭武を考えていたのです。もしも自分に子供ができたとしても、跡継ぎは昭武にと決めていると語る。
思いもよらない考えを聞かされた篤太夫は驚き言葉を失ってしまいました。たしかに、自分に子供ができても世継ぎは昭武という考えはビックリですよね。他の人に聞かれたら争いの種になりかねない(汗)。

しかし、今慶喜が懸念しているのは…、昭武が帰国した後も自分が将軍として公儀(幕府)を潰さずにいられるのかということだという。この言葉は非常に重い。その可能性も彼の中では十分あり得るとして受け止めていたのですね…。
ただ、簡単に潰されるわけにはいかないと闘志を燃やしている慶喜。その壮絶な覚悟を聞いた篤太夫は胸が熱くなる想いがこみあげてきた様子でした。

そして二人は徳川家康の遺訓を共に暗唱する。この時、確かに二人の想いが重なり絆が結ばれていくのを感じグッとくるものがありました。家康さんも、この二人に呼んでもらえてうれしかったんじゃないかな。
読み終わった後満足げな笑みを浮かべた二人。篤太夫は将軍となった慶喜と「大権現様の御遺訓」を共に唱えられたことにいたく感動を覚えた様子。まさに感無量だったことでしょう。

「渋沢、遠き道、苦も多くあろうが、弟を頼んだぞ!」

「必ずや、民部公子をお守りします」

篤太夫が将軍である慶喜の姿を見るのは、おそらくこれが最後になるだろうなと思うとなんだか切なくなるシーンでもありました。

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昭武を伴い、篤太夫たちは今日を出発し横浜の神奈川奉行所に到着しました。そこには勘定奉行の小栗上野介の姿もありました。篤太夫は「あれが小栗様…」とちょっと緊張した様子でしたね。幕府の凄腕勘定方という噂は知っていたので、一度は会ってみたい人物だったはずです。

さらにそこへフランス公使のロッシュが昭武に挨拶するためやって来る。この時初めて異人を目の当たりにした篤太夫は思わずビビッて後ずさりしてしまいましたね(笑)。でもこのロッシュさん、日本語も話せてけっこうフレンドリーな雰囲気。
さらに挨拶のためのシェイクハンド=握手を昭武に差し出したのですが…篤太夫はその意味が全く理解できていないので「何と馴れ馴れしい!!!」と激しい衝撃を受けてしまいました(笑)。昭武は実に落ち着いているのに、篤太夫はもう初めての事ばかりで混乱しまくりでしたねww。

すると、「おぬしが渋沢殿か?」と声をかけてくる人物が。

彼の名前は、外国方の杉浦愛蔵。フランスへ行くのは今回で2度目という話を聞いた篤太夫はビックリ仰天ですw。ちなみに、篤太夫と一緒にいた若い医者は高松凌雲

高松凌雲は22歳の時に久留米判を脱藩した後、蘭方医・石川桜所のもとで西洋医学を学び、さらに緒方洪庵の適塾に入りオランダ語や英語を習得したという遅咲きの秀才でした。その医学や才能を一橋家に見出され、慶喜が将軍となった後は奧医師として仕えます。

案内されている時、「高松殿ではないか!」と声をかけてきた人物がいました。その人とは、福沢諭吉福地源一郎でした。

おおっと!!篤太夫、福沢諭吉とまさかのご対面ではないか!!まさに新・旧一万円札の人がここで遭遇するとはねぇ~(笑)。

福地は篤太夫に「モンブランという人物には気をつけろ」と忠告しました。なんでもモンブランという人物は、公儀から異国に派遣された人を見つけるたびに交流を持とうと近づいてくるらしい。福地は何度も断ってそれをはねのけたとのことでしたが、それではと今度は薩摩に近づいていっているとのこと。これはちょっと由々しき問題ですな(汗)。
しかし、奉行にそれを報告しても「放っておけ」と相手にされなかったらしい。上の人間にはまだ外国人と薩摩が近づいているということの危険性が理解できていなかったんでしょうかねぇ…。

福地源一郎は若い時(15歳ころ)から蘭学を学びそれを習得した秀才で、16歳で長崎から江戸へ出た折には英語もマスター。外国語の腕を磨いた福地は翻訳の仕事に従事していました。1861年、福沢諭吉と共に遣欧使節の一員に選ばれ欧州を訪問し大いに刺激を受けたとか。篤太夫たちが旅立つ少し前の1866年に帰国しました。
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愛蔵に案内された部屋で、篤太夫は小栗からパリ行きに関する別の目的についての説明を聞く。それは「600万ドルの借款」だという。

小栗と二人きりで話をする機会を得た篤太夫は、そろばんをはじき600万ドルを日本の単位に換算してみせる。小栗は呑み込みが早い篤太夫に興味を持ったようで目を細めていました。しかし、昭武が当面海外で学ぶことになってる資金繰りはどういうことになるのかと質問してきた篤太夫に様子が一変。

「それはおかしいのぅ!たしかおぬしはつい近頃まで攘夷討幕を訴えておったとか。そのような男が、ご公儀の3年、5年先を案じるというのはおかしなことではないか?ほんの1-2年の話であろう?」

篤太夫の過去の黒歴史が、しっかりと小栗様にバレちゃってるじゃないのーーー(汗)。きっと事前に情報をチェックしていたに違いない。しかも、すごいだったよ、真治@上野介!!あんな勢いで迫られたら普通なら委縮してしまうってレベル。

しかし篤太夫はちょっとビビった程度で「今は違います!今は何とか生きて日ノ本の役に立ちたいと思っております!!」とまっすぐな眼差しで反論していました。いやぁ、すごい度胸だよまったく。こりゃ将来大成するわけだわ。
そんな篤太夫をマジマジと見つめた小栗は「冗談だ」とはぐらかしましたが、あれは”冗談”っていうよりも、”試した”よね。篤太夫がどの程度の人物かをちょっと脅して反応を見たんだと思うわ。小栗様もお人が悪いw。

「おぬしの働きは存じておる」と急に大笑いしてフレンドリーな雰囲気になった小栗。自分が勘定奉行である間は間違いなく資金は送るから安心するようにと告げました。どうやら篤太夫のことを気に入ってくれたようですね。ただ、「自分が勘定奉行である間は」という前置きが気になる…。小栗は幕府は5年はおろか…1年先すら分からないと告げる。彼もまた、慶喜と同じように幕府の終焉を予感していた一人だったのです。その言葉に驚きを隠せない篤太夫。

6年前にアメリカへ渡った際に造船所の技術を目の当たりにして驚かされた話を篤太夫に聞かせる小栗。

常に持ち歩いているアメリカから持ち帰った「ネジ」を篤太夫に見せ、その重要性を熱弁。あの時日本はそれに勝てないと痛感した小栗…。しかし「心意気だけは負けるわけにいかない」と力強く語り、日本でも造船所を作るべきだと主張しました。

「いつか公儀のしたことが日本の役に立つ。徳川のおかげで助かったと言われるなら、それもお家の名誉となろう。おぬしなら嫌いな異国からでも多くのことを学べよう。無事に戻れば、共に励もうぞ!」

たとえ幕府が消えてしまった後に造船所が完成したとしても、そこに『徳川』の名前が残ればいいと熱く語る小栗の姿に篤太夫は魅了されていきました。この時小栗は、篤太夫が帰国した後に共に働けることを心から望んでいたようにみえる。そう思うと、なんだかグッときて胸が熱くなってしまった…。そんな日が、本当に訪れてほしかった…。

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パリ行きの準備に追われるなか、篤太夫は千代に宛てて近況を報告する手紙を送ることに。でも「見立て養子を立てなければならない」という文章を書いたところで、まだそのことについて何も決まっていないことにハタと気が付いてしまう。
成一郎にそのことを相談しようと思い立った篤太夫は、愛蔵から許可をもらい江戸へ行くことにしました。

ところが、一足違いで成一郎は京へ戻ったと聞かされてガックリw。
その後篤太夫が向かったのは…、小石川代官所でした。そこには殺人の罪で未だに投獄されたままでいる長七郎がいる。パリへ発つ前に会いたかったんだろうね…。

代官に声をかけると「昨日までの渋沢さまと顔が違う」と言われて首をかしげる篤太夫。すると、後ろから「今日こそは尾高長七郎に目通りを願いたい!!」という勇ましい声が聞こえてきた。なんと、偶然にも成一郎がそこにやってきていたのです。久しぶりの思わぬ再会にテンション上げ上げになった二人は、代官所の前ということも忘れてワチャワチャじゃれ合ってしまう(笑)。なんだかんだ言いながら、二人はめっちゃ気の合う仲間なんだよね。

篤太夫からフランスへ行くことになったと聞かされた成一郎はビックリ仰天w。「この先はもっと訳の分からにところに飛び込むんだ」と苦笑いする篤太夫を見た成一郎は「お前、ちょっとワクワクしてないか?」と図星を突いてくるww。篤太夫は「日ノ本のために行くんだ!」と必死に”お役目”をアピールしてましたが、ワクワクする気持ちも確かにあったよね(笑)。でもそれは知られたくないって強がっちゃうところが可愛いw。

旅立つ前になんとか成一郎や長七郎に会っておきたかったと語る篤太夫。生きて帰れる保証のない旅ですからね…。特に長いこと顔を見ていない長七郎のことは気がかりでならない。
成一郎は江戸に出るたびに資金を差し入れていたようでしたが、なかなか対面させてもらえなかったと語り肩を落とす。どうやら体の調子がだいぶ悪いらしい。と、その時、ついに対面の許しが出ました。

案内されて長七郎が投獄されている牢を訪れた篤太夫と成一郎は大きな衝撃を受けてしまう。

あの血気盛んだった頃とはまるで別人のようにすっかりやつれ衰えてしまった長七郎…。まともに立ち上がることすらできない長七郎に、篤太夫と成一郎は「こっちのことは案ずるな」「いつかは出られる!」と必死に励ましの言葉を継げる。しかし、「ここは生きたまま死んでいるみたいだ・・・」と絶望感を口にする長七郎。ただ死を待つだけのような状況に、彼らの励ましの言葉は届くことがありませんでした…(涙)。

あんな長七郎の姿を見てしまうと…坂下門外の変が起こった時に無理に引き留めなければよかったのではないかと思ってしまいますね…。たとえその時に命を落としたとしても、長七郎はそのほうが幸せだったかもしれない。

その帰り、蕎麦屋に立ち寄った二人。蕎麦をすすりながら篤太夫は「見立て養子」の件について、平九郎を立てようと考えていると告げました。自分の養子になれば、幕臣として千代や娘たちと堂々と京に出てくることができると踏んでの事でした。
それに対し、成一郎は自分も惇忠や平九郎に江戸息を誘ったことを報告。篤太夫の話はまさに渡りに船だったのです。さっそく「見立て養子」の件について動くことを約束してくれました。平九郎はきっとこの話を大喜びで受けるんじゃないかな…。それが吉と出るか、もしくは凶と出てしまうのか…。この時点ではまだ誰も分からない。

篤太夫がもう1つ心配している出来事が、千代から手紙の返事が一向に来ないことでした。まだ若く美しい千代が放っておかれた生活に限界を感じ他の男に目移りしているのではないかと気が気ではないらしい(笑)。それを聞いた成一郎は思わず吹き出してしまっていましたが、私も「オイオイ」と苦笑いだったぞww。
篤太夫は自分の出す手紙でどれほど千代が心細く悲愴な気持ちにさせられているか全然気が付いてないんだよなぁ。しかも、形見の小刀まで送っちゃってるわけですから…そりゃ千代さんとしたら辛すぎて返事書く心境になんかならないでしょうよ。

成一郎は千代がどれだけ篤太夫を心配し想っているのかを知っています。でもそれはあえて伝えず、「俺がくれぐれも節操は守るようにとしっかり伝えておくから」と笑うのでした。千代ちゃん、まさかこんな話が二人の間で展開されてるなんて知る由もないよなぁ(苦笑)。

「お前が戻る頃には、日ノ本はいったいどうなっておるのかのぅ」

そんな成一郎のことばに、明確な答えを見いだせない篤太夫。まさに一寸先は闇な時代。それでも「今よりきっと、良い世になっていると願いたい」と想いを馳せる。その役目を自分たちが担うんだと、先の見えない世の中に希望を見出そうとする二人の姿がとても印象的でした。

そして1867年1月11日、篤太夫はついにアルフェー号に乗って日本を出立!!いっぽう成一郎は慶喜のもとに残り軍隊の教育に力を入れていました。

その頃ちょうど篤太夫が千代に宛てた手紙が血洗島に届いていて、家族は生きた心地がしていませんでした(汗)。あまりにもいろんな出来事が次から次へと届くものだから、身内としては堪ったものじゃない。しかも今回は生きて帰れるか分からない外国行きですから…その心中お察しします(苦笑)。

そんな家族の心配など露知らぬ篤太夫は船から海を眺めながら、幼い頃に出会った高島秋帆から「この国は誰かが守れなければな」と告げられた言葉を思い出していました。あのとき、幼い栄一は「俺が守ってやんべぇ!この国を!!」と力強く答えた。その時の想いは今も変わらない。

まだ見ぬ異国の地へと想いを馳せる篤太夫。その眼には国のために働くんだという気概が満ち溢れていました。

そして最後の最後に徳川家康さまが登場!!!

「篤太夫が、その一家が、わが徳川の世がどうなるのか、この先もしかと見届けていただきたい」

はい!!しっかりと見届けさせていただきます!!まさにパリ編へ向かうにふさわしい胸高まるラストでございました。次回からは大きな話題となっている万博の映像が出てきますね。楽しみです!!

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