「鎌倉殿の13人」ゆかりの地レポート -北条政子(鎌倉市・安養院)-

2022年度大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。妙な笑わせ方をしようとしてくるシーンは好きじゃないのですが(汗)鎌倉時代前後が取り上げられ注目されていることには非常に大きな関心を寄せています。

GW期間中に大河に出演した人物ゆかりの地をいくつか訪ねることができたので、紹介していきたいと思います。今回は、北条義時の姉で尼将軍と呼ばれた北条政子と安養院について。

『鎌倉殿の13人』ゆかりの地レポ一覧

北条政子とは

北条政子は伊豆の国の有力豪族だった北条時政の長女として誕生しましたが、伊豆に流されてきた源頼朝と出会い結婚したことで大きな歴史の渦に巻き込まれていくことになります。ちなみに、頼朝が流されてきたばかりの当時、政子はまだ幼い少女でした(4歳くらい)。頼朝は約20年の流人生活を送ったので、その間に二人の関係がじわじわと進展していったという感じだったのではないかと。

頼朝亡き後に長男の頼家が2代目将軍を継ぐと、政子は出家して”尼御台”と呼ばれるようになりました。
ところが頼家は素行が悪く人心を掴むことができず、最後は病に侵され奇跡的に回復したものの権力闘争に巻き込まれ政子に修善寺に幽閉された後暗殺されてしまいます(頼家についての史跡記事はこちら)。3代将軍を継いだ次男の実朝は文化人の側面を持ちながらも政治を取り仕切っていましたが、甥にあたる公暁に暗殺されてしまいました。この時政子は「たった一人の息子を失ってしまった。もう生きる気力がない」と嘆き悲しんだと伝わっているそうです。

実朝亡き後は4代目鎌倉殿として後鳥羽上皇の皇子である三寅を迎え入れますが、三寅が2歳と幼子であったことから後見人でもあった政子が将軍代行として務めることになり、”尼将軍”と呼ばれるようになりました。
1221年、鎌倉と後鳥羽上皇との関係が悪化し後の世にいう”承久の乱”が勃発。北条義時追討の院宣が下され上皇が挙兵したと知った御家人たちは朝敵となることを恐れ動揺してしまう(院宣は幕府によって事前に回収されていたとのことですが)。そんな彼らを庭に集めた政子は「最期の詞」と切り出し演説を行いました。

”頼朝様のおかげで皆の地位や待遇が良くなったことを忘れたのか。頼朝様から受けた恩は山よりも高く海よりも深いはずである。不義の院宣が下されたが、恐れることなく三代続いてきた鎌倉将軍の意思を継ぎ一致団結して戦うべきだ。ただし、後鳥羽上皇の元へ下りたい者はそれに従うことを認める”

「吾妻鏡」に記されている政子の演説はざっとこんな感じの内容だと思われます。「頼朝様のご恩は山より高く海より深い」という文言は有名ですね(ドラマではこの冒頭部分を告げた後に政子が原稿を読むのをやめて自分の言葉で訴える展開だった)。
鎌倉幕府創立者である源頼朝の妻であった政子の言葉は集まった多くの御家人たちの心を強く打ち、なかには感極まり涙した人もいたようです。”尼将軍”と呼ばれた彼女の言葉が当時いかに重く説得力のあるものだったのかというのが伝わります。

大河ドラマでは政子役を小池栄子さんが熱演。強い意志を持った目力が役に生きていて非常に素晴らしい存在感を放っていたと思います。頼朝と出会ってから結ばれるまでの展開の時は正直ちょっとあの芝居が苦手だったんですけど(個人的に三谷さんが描く女性キャラクターが好みではないというのもあるのですが 苦笑)、頼朝を失って尼になったあとの、必死に時代の荒波に抗いながら突き進もうと生きる姿はとても力強く魅力的でした。

大河ドラマでは最終回目前の第47回で政子の演説シーンが登場。吾妻鏡の史料内容からは少し逸れた感じになっていましたが(個人的には義時が私欲なく幕府に尽くそうとしてる、みたいなくだりは「そんなことなかったんじゃね?」と違和感あったけど 汗)、弟を想う姉の気持ちが滲み出ていて感動的でした。

政子は承久の乱の戦後処理を義時と取り仕切りましたが、それからほどなくして義時が急死すると3代目執権として義時の長男である泰時を擁立するべく尽力します(伊賀氏の変があったとされる時)。泰時が無事に跡を継いだことを見届けたのち、義時が亡くなった翌年に69歳でその命を終えました。

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安養院(北条政子の供養塔)

1225年に北条政子が夫である源頼朝を弔うために建立したと伝えられており、その当初は佐々目が谷の長楽寺あたりにあったそうです。その後鎌倉時代末期に火事に見舞われ現在の地に移転したとのこと(移転後も火事で一度焼失する憂き目に遭っているらしい…)。寺の名前「安養院」は政子の法名にちなんでつけられました。政子は安養院が創建された年に亡くなっています。

※大河ドラマ紀行では第46回放送時に紹介されました。

現在は非公開になっていますが、本堂には北条政子の坐像が2体安置されているそうです。そのうちの1体を模した像が2022年12月に制作されたというニュースを目にしました。今後このレプリカ像を年に1度公開することも考えているとのことです。

尼将軍と呼ばれた北条政子、晩年の姿を3Dプリンターで復元…「強さや悲しみ読み取れる」
【読売新聞】 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目が集まる源頼朝の妻、北条政子(1157~1225年)の墓と言われる石塔がある神奈川県鎌倉市の安養院が、損傷が激しかった、政子とされる座像を3Dプリンターを使って復元した。寺にはも

初夏になると一斉に咲き誇るオオムラサキツツジ(通称・お化けツツジ)は寺のシンボルにもなっています。

私たちが訪れた5月のGW中はちょうど見頃になっていてとても奇麗な光景を目にすることができました。

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山門を入ってすぐの場所には日限地蔵樹齢700年を超えると伝わる槇の大木があります。

「日限地蔵」とは日にちを限ってお参りすると願いが叶うと信じられているお地蔵さんで、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて建てられたものだと伝わっているそうです。槙の樹はお寺の中でもすごい存在感を放っているので一見の価値あり。

本堂から少し奥に入ったところに、二基の宝篋印塔が建っています。

向かって左側にある少し小さな宝塔が北条政子の供養塔です。ちなみに、政子の墓と伝わる石塔は寿福寺の裏山にあるとのこと。息子である実朝と並んでいるそうなので、機会があれば一度お参りしに行きたいところです。

政子の右隣りにある大きな宝篋印塔は鎌倉時代後期の1308年に建立されたもので、善導寺の開山良弁尊観のものと伝わっています。鎌倉に現存する最古の石塔で、国の重要文化財に指定されています。

安養院までのアクセス

安養院には”世界のクロサワ”こと映画監督の黒澤明さんのお墓もあるそうで、映画ファンがよく訪れているのだとか。境内ではなく脇道を少し行ったところにあるようです。

なお、伊豆における政子の史跡を訪ねたレポもアップしているので興味がありましたらこちらもどうぞ。

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