鞆の足利義昭の足跡をたどる旅のなかで、もう1つゆかりの地を発見したので訪れてみました。
※義昭が鞆幕府の拠点としていた鞆城跡レポ↓
常国寺
毛利の家臣だった渡辺元は鞆幕府時代の義昭の警護や接待を担当していたとされ、羽柴秀吉の時代に変わる天正11年頃から約3年間を菩提寺でもある常国寺で預かったと伝わっています。
今回は訪れることができませんでしたが、常国寺の近くには渡辺氏の居城だった一乗山城跡があります。かつてはここで鞆幕府の政務をこなしていたらしい。ところが、秀吉と毛利が和睦したことによって情勢が変わり(秀吉の中国大返しの時かな)居場所を失った義昭を渡辺氏が匿ったそうな。
常国寺は日親上人を開山として建立した寺ですが、義昭の父・足利義教はかつて日親に恐ろしい拷問を加えた歴史がありました。その寺に匿われた義昭は父の悪行を恥じ祈りを欠かさなかったそうです。
正面の唐門は元禄時代に再建されたものだそうですが、正面の扉には前時代のものが使用されているとのこと。現在は福山市の重要文化財建造物に指定されています。
警護を担当してくれた渡辺氏に感謝した義昭から贈られたものであると伝わっており、足利家の家紋や桐の文様を見ることができます。
他にも、こちらの寺では義昭に関する貴重な資料が収められているとのこと。
常国寺の裏手に回って見ると、歴代渡辺氏の墓所があります。そこからさらに山の上に登っていった先に(ちょっとハードな坂道を上りますが)、足利義昭の供養塔「将軍塚」がありました。
私たちが訪れたときにはきれいに整備されていましたが、少し前まではけっこう荒れた感じだったようです(汗)。ちなみに、「将軍塚」とされているのは手前の小さな塔のほうです。
もともとは宝篋印塔(ほうきょういんとう)としての供養塔が建っていたそうですが、戦時中に破壊され(足利は国賊という風潮があり子供らによって谷底に落とされたんだとか…)今では相輪を残すのみとなっています。足利家に纏わる寂しい歴史の一端を感じました…。
アクセス
備後安国寺
『麒麟がくる』紀行からは逸れますが、鞆の浦には鎌倉時代に創建されたとされる備後安国寺があります。
1273年に仏殿を建てたのが最初だそうですが、その後1339年に足利尊氏に、1579年には毛利輝元の重臣・安国寺恵瓊によってさらに再興された歴史があるそうです。
拝観料一人150円で中の見学ができます(お金はボックスの中に入れる形式でした)。
仏殿と、そこに安置されている阿弥陀三尊像、法燈国師坐像が国の重要文化財に指定されています。
また、仏殿の背後にある安国寺庭園では安国寺恵瓊が植えたと伝わる巨大ソテツを見ることができます。