坂本龍馬ゆかりの地といえば生まれ故郷でもある高知県がとくに有名ですが、実は、広島県福山市にも「いろは丸事件」に関する龍馬の史跡が残されています。その足跡をいくつか訪ねてきました。
1867年、海援隊の船「いろは丸」(160トン)と紀州藩の軍艦「明光丸」(887トン)が鞆沖合で衝突し「いろは丸」が沈没してしまった事件が発生。いろは丸には坂本龍馬も乗船していました。乗員はなんとか助かりましたが、大阪へ運ぶはずだった積み荷は船と共に海の底に沈み大きな損害を被ってしまいました。
この海難事故を巡る話し合いが鞆の浦で繰り広げられ、明光丸側の非を主張した龍馬側が紀州藩から損害賠償を勝ち取るのです(最終決着地は長崎でした)。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』(福山雅治さん主演)の第42回でもこの事件のエピソードが取り上げられているので興味があればチェックしてみてください。
以下、坂本龍馬ゆかりの鞆の浦レポになります。写真はクリックすると大きくなります。
坂本龍馬ゆかりの地 いろは丸事件-広島県・鞆の浦-
常夜燈・いろは丸展示館
鞆の浦はドラマや映画のロケ地に登場することが多いので、一度行ってみたかった場所でした。今回念願かなっての訪問です。
鞆の浦といえば・・・ドラマなどでよく見かける光景「常夜燈」が有名です。
1859年に建設された燈台で、現存する江戸時代からのものとしては最大級といわれているそうです。
静かでのどかな漁港の風景と、石造りの赴きある常夜灯がマッチしていて眺めるだけでも癒されます。この光景を一度生で見てみたかったので本当に感動しました。
常夜燈のすぐそばに、いろは丸の足跡や沈んでいた積み荷の一部を展示している「いろは丸展示館」があります。江戸時代の蔵を改修した建物だそうです。
こちらでは、いろは丸と明光丸の衝突事件の詳しい経緯を学ぶことができます。また、引き上げられた積み荷の一部や龍馬のものと思われるブーツの底なんかも展示されていました。
さらに、資料館の2階部分には鞆の浦で交渉に臨んでいた龍馬が住んでいたとされる「隠し部屋」も忠実に再現されています。かなり暗い空間で、階段を上った先に龍馬のけっこうリアルな人形(?)が座っていたのでちょっとビビりましたww。
こちらの資料館での写真撮影はOKとのことでしたが、中の様子を掲載するのはNGとのことだったので外観の写真だけ。ちなみに入り口にはドラマ「流星ワゴン」の大きなポスター(私はこのドラマを見て鞆の浦に憧れを持ちました)や、出演していた香川照之さんのサインも飾ってありました。
桝屋清右衛門宅
いろは丸展示館の2階に再現されてある坂本龍馬の隠し部屋ですが、なんと現存しています。
廻船問屋を営んでいた「桝屋」は、いろは丸事件の折に海援隊を支援していたことから宿舎として提供しました。
桝屋さんの入り口。1階部分は海援隊のメンバーが滞在し、当時命を狙われる立場だった坂本龍馬は2階屋根裏の隠れ家に潜んでいたと伝わっています(この当時、龍馬は「才谷梅太郎」という変名を使っていました)。
現在は見学のための階段が設けられていますが、当時は「隠れ部屋」だったことからそこへ通じる入り口も天井板でカモフラージュされていたそうです。出入りは取り外しができる梯子を使用していたらしい。
階段を上っていったさきに、坂本龍馬の隠れ部屋が現れます!!
ほぼ当時のまま保存されているとのこと!!これは歴史好きな私としてはテンションが上がりました。柱も天井も壁も…当時の息遣いが聞こえてくるようだった。
魚屋萬蔵宅(御舟宿 いろは)
いろは丸事件の損害賠償を巡る紀州藩との談判は鞆の浦で3回に分けて行われました。その最初の場所に選ばれていたのが、魚屋萬蔵宅です(海援隊が宿泊していた桝屋と紀州藩が宿泊していた円福寺の中間地点だった)。
こちらの建物は増改築を繰り返していたとのことで当時のものではないとのこと(ちなみに現在の建物の外観は「崖の上のポニョ」の構想を鞆の浦で練った縁から宮崎駿さんがデザインしたそう!)。「いろは丸事件談判跡」という石碑が脇に立っています。が、場所的にはここで間違いないそうです。現在は”御舟宿 いろは”として1階を食事処、2階を宿泊施設に改築して営業されています。
談判場所とされたのは1階のお座敷部分。
現存した部屋ではないので普通に食事をすることができます。私たちもこちらで昼食をいただきました。なんとなく龍馬たちの息遣いを感じながらの食事はオツなものでした。
特に、鯛茶漬けがめちゃめちゃ美味っっ!!!でした!!おススメです。
お店に時々遊びに来る猫のきなこちゃんがめっちゃ可愛かった♪
福禅寺 對潮楼
第2回・3回の「いろは丸事件」における談判が行われたのが福禅寺・對潮楼です。話し合いは両日ともに平行線をたどり結果的には鞆の浦では決裂という形で幕を閉じたそうです。その後は長崎へ談判の場所を移し、そこでついに龍馬は7万両の損害賠償を勝ち取ることができました。日本初の海難審判だったとされる事件でもありました。
しかし坂本龍馬は「いろは丸事件」が長崎で決着した約1週間後、京都の近江屋で暗殺されてしまいます…。この事件が絡んでいたのかどうかは今も謎のままです。龍馬暗殺は現代も最大のミステリーとされていますね。
最初は平安時代に建設されたとされるかなり歴史の古いお寺です。現在ある本堂も1694年改築以来ということで歴史的にもかなり貴重。江戸時代には朝鮮通信使のための迎賓館としてもつかわれていたようで、その当時の資料もいくつか展示されています。
そして・・・なんといってもここから眺める景色がとても美しい!!
1711年にここを訪れた朝鮮通信使の李邦彦(イパンオン)は、あまりの美しい光景に感動し「日東第一形勝」と称賛したと伝わっているほどです。ちなみに”対潮楼”という名称は1748年に訪れた朝鮮正使がつけたそう。
窓枠から見えるのは仙酔島・弁天島です。おそらく龍馬もこの美しい光景を見ていたんだろうなぁ…と思うと気持ちも昂ります(まぁ、厳しい交渉だったらしいのでそれどころではなかったかもしれませんが 汗)。
観光船「平成いろは丸」が行き来する光景をゆったり眺めることができます。
円(圓)福寺
室町時代、もともとは島だったこの地にかつて村上水軍が拠点としていた城が築かれていたそうです。関ケ原の戦いで廃城されたのちに圓福寺が移転され今に至っています。
いろは丸事件談判の折には紀州藩の滞在場所になりました。
寺の入り口から眺める港の景色がとても素朴で癒されます。
円福寺は小高い場所にあるため階段を上っていかなければならないのですが、その途上で猫たちに出会うことができました。
また、この日はかなり暑かったこともあり寺に通じる道の入り口にある駐車場の車の下にも数匹の猫ちゃんたちが涼んでいました。
どの子もけっこう人懐こくておとなしく可愛かった♪
坂本龍馬の息遣いを感じられる「鞆の浦」は情緒あふれる素朴で美しい場所でした。ゆっくり心を休めたいときにおすすめの場所かも。また機会があれば訪れてみたいです。
広島県を巡る旅はもう少し続くので次の記事で紹介したいと思います。